熱の交点

呼吸

いつになく興奮したステージ。ギターを弾くほどに鳥肌がたった。
与えられた20分間は俺にとってようやく息ができた20分間だった。

向こう見ずであれるのは、信頼の基本が言葉にはないから、というそれと似ている。
畳み掛けてくる時間の波の密度は高い。ここには現在しかないし、”次”とはどうやら前からやってくるもではないらしい。

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こんばんわ、良知さん。
僕らのセッションがいよいよはじまりましたね。

先週の朝弘佳央理さんとのパフォーマンスをお届けします。
本番の一週間程前に出演のお誘いを頂いてからポツリポツリと音を作り(今までのどこかで作った音を引っ張ってくるのは、ダンサー相手にフェアじゃない気がして)、前日に軽く合わせ、本番を迎えました。新調したソフトやコントローラーにいくらか気を揉めながらも、会場からビシビシ伝わってくる集中と熱気に助けられ、いい演奏が出来たのではないかと思います。
即興の魅力は、既存の曲を演奏するそれとは違い、顛末を集中力を頼りに引き出さなくてはいけないというスリリングさにあります。自分の中心に静かに沈み体の反応を待つ。信じていられれば自然と動き出すもの。と分かっていても、命綱なしで放り投げられたような思いに毎度足がすくみます。

今回の僕らのように、コンピューターミュージックでさえも手軽に即興が出来るすごい時代になりました。けれど、そこに生の音が乗らないとどうしても物足りない。ボタンを押して流れてくる音だけじゃドライブしていかないんだよな。と常々思うのです。
それは、人に起因する危うさや生々しさが僕にとって何にも代えがたい魅力だからです。
”失敗があるから-ないから”や、”デジダルだから-アナログだから”といった観点ではなく”人が好きだから”。
昨今流行りのボーカロイドにまるで馴染めない、魅力を感じられないのも僕が人に重きを置きすぎているからかもしれません。
そして、無条件な信頼は身体に近づくにつれて深まるとも思います。
例えば、文字で構成された言葉よりもその口から発せられた言葉。それよりもその喉を震わせる音そのもの。近ければ近いほど騙されないし、飲み込むように受けとめることが出来る。含みも余白もなくていい。ただただ震わせて欲しい。と。
どこまでいっても人というのは原始的な、直接的なアプローチに一番に揺り動かされてしまうものではないでしょうか。

良知さんがここの名前を”呼吸”と決めてくれた時に、嬉しく安心しました。
ここから何が生まれていくのか楽しみでなりません。

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みなさん、はじめまして。
訪れてくださり、ありがとうございます。

毎月25日に僕と良知さんが交互に投稿するので、次はクリスマスまっただ中12月25日の良知さんの投稿になります。お楽しみに。
ということは、僕の今年のターンはこれで終わりですね。
ちょっと早いですが、よいお年を。また来年お会いしましょう。

ここからはじめるセッションがみなさんにとって、何かしらの前向きなきっかけや、良き縁となればと願っています。