6月/夏服とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【6月のヤバい女の子/夏服とヤバい女の子】

●山姫

春が更け、衣替えの季節です。
夜でもぬるぬると重い、湿気に満ちた空気が透明な息苦しさになって体を喜ばせる。腕の内側を風がすり抜けていくのがおもしろい。
毎朝袖丈やら上着やらに悩んでしまってあわや遅刻の日々です。先週の日曜、衣装箪笥の中身をすっかり入れ替えました。
誰からも恐れられる女の子も夏の装いを楽しみにしているでしょうか。彼女たちも青い開襟シャツを着るでしょうか。

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《山姫》

山の中に、いるはずのない女がいる。彼女らは山姫、山女などと呼ばれ、東北から九州まで全国各地に現れる。彼女を見たものは命を落とすという。
岩手県遠野地方の伝承をまとめた柳田國男の《遠野物語 山の人生》には以下のような話が書かれている。

ある日のこと、山口村の吉兵衛という男が生業のため根子立山へ入った。一仕事終え、刈った笹を担いで帰ろうと立ち上がると、ふと不思議な心地がする。妙な気配を感じる方向に目を向けると、奥の林に赤ん坊を背負った若い娘が立っているではないか。
彼女は笹を踏みしめてこちらへ歩いてきた。つややかな黒髪を長く垂らした、はっとするほどあでやかな女である。藤の蔓で子供を負い、特に変わったところのないような縞の着物を着ているが、明らかに山中での装いではない。裾がぼろぼろに破れた着物を木の葉で綴っている。男の背中にどっと汗が噴き出す。果たしてこの足はほんとうに地面の上に立っているのだろうか?
吉兵衛は動くことができず、息をつめてその場に立ち尽くしていた。女は静かに彼に近づき、通り過ぎ、立ち去った。彼女は何もしなかった。ただ歩いて消えていった。吉兵衛はだいぶ経ってからようやく家へ帰ったが、恐ろしさのあまり寝込んでしまった。彼はそのまま生気を失い、やがて亡くなった。

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山姫の言い伝えはこの他にもたくさんあるが、どれもとんでもなく乱暴だ。
例えば、九州地方では山姫に笑いかけられてもけして笑い返してはいけないと言われている。笑顔を返すと血を吸われて命を奪われる。先手を打ってこちらから笑いかけるか、または睨みつけると助かるとのことである。
彼女たちには山姥のような荒々しい風貌はない。怒りをあらわにすることも危害を加えるそぶりもない。明確な殺意があるかも定かではない。
やさしく微笑んでおいて魂を奪うなんて、出会いがしらにボコボコに殴るよりもたちが悪い。あんまりだ。あれっ、もしかして好意を持ってくれているのかなと、思ってしまうではないですか。だけど爆発するように強い力の前ではそんな泣き言は限りなく無力です。彼女たちはただ圧倒的な魅力と毒気を放ち生きている。

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ところで、「山姫」という言葉はしばしば和歌の中に登場しますね。
その中でも特にかわいいなあと思ったのが続後撰集に編集されている九条良経の歌です。

■ 山姫の滝の白糸くりためて織るてふ布は夏衣かも

(滝が無数の糸のように落ちて飛沫をあげている。山の日陰は暗く、若い葉の匂いが立ち込めている。ときどき岩肌に日差しの粒がぱらぱらと浮き立ち、気温の上昇を告げている。
糸は滝壺へ後から後から垂れてくる。すいと山姫の指がそれを拾い上げて機を織る。
絹のようにすべらかで麻のように涼しい生地を織り上げ、彼女はさらさらと新しい夏衣を合わせて鏡の前へ立ってくるりと回ってみせた。)

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それから、古今和歌集には次のような伊勢の歌もありますね。

■ たちぬはぬ衣着し人もなきものをなに山姫の布さらすらむ

(白く泡立った水が絶え間なく落ち続け、布のようにとうとうと流れていく。滝は力強く美しく、もしもここから布を取り上げたらすばらしい衣になるだろうなあと思う。山姫が染みひとつない純白の布をゆらゆらとさらすのである。
だけどその着物を着る人は誰もいない。彼女は美しすぎ、強すぎた。彼女はひとりで山に遊ぶのだった。)
 
 
この二つの様子を想像して私はちょっと笑ってしまいました。
すれ違っただけで人間の魂を吸い取り、目が合っただけで命を奪い、勝手知ったる山を駆け巡って好き放題する脅威にしてはちょっとキュートすぎるのではないか。
私は山姫の作ったすばらしい服を着る人が一人もいないとは思わない。彼女はさらさらで、すべすべで、とびきりハイカラで、誰も見たことのない夏の着物を仕立てようとしている。
編み目のあらいサマー・ニット。Tシャツなら絶対にコットン100%。麻も捨てがたい、くたくたのワイドパンツ。川にひたされた冷たい足にスカートの裾がまとわりつく。帽子とサングラス。アホみたいな柄のアロハ・シャツ。めちゃくちゃイケている水着もいるんじゃない?だって、夏!その予感!
むだ毛の処理がどうとか、足が太いから隠したいとか、別に誰と出かける予定もないとか、そんなことは少しも問題ではなかった。空気が少しずつ暑くなる。飛び起きて辺りを見回す。軽やかな焦燥感に当てられてミシンを踏む。それは他の誰でもなく、彼女のためだけに誂えられるのだ。

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柳田國男によると、山姫はときどき人の灯を求めて人里へ降りてくるという。小さい頃に失踪したり連れ去られた村の女の子だったという説話もある。
情熱的で、刹那的で、何を考えているかよくわからなくて、気に入らないことがあれば暴れたりして、たまにさびしくなる女の子。そんなつもりがなくても気ままに暮らしているだけで人を傷つけてしまう女の子。出会ってしまったら一巻の終わり、知り合う隙もなく果ててしまう女の子。できれば絶対に遭遇したくない。だけど汗ばんでそわそわと浮かれるあなたの二の腕、それを撫でる袖口の瑞々しい影を生涯見られないなんて、もったいないような気がしてしまうよ。