12月/抵抗とヤバい女の子

日本のヤバい女の子

【12月のヤバい女の子/抵抗とヤバい女の子】

●松浦佐用姫

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《松浦佐用姫》

佐賀県唐津市。今から1500年前、この土地に一人の男性が立ち寄った。彼は大伴狭手彦(おおとものさでひこ)という名で、新羅へ出征する道中だった。
松浦の地に身を寄せた狭手彦を、地元の長者の娘が世話をすることになった。松浦佐用姫という少女だ。あれこれと面倒を見るうち、二人は仲良くなり、恋が生まれるまで時間はかからなかった。
しかしこの恋は、幸福な結末になりようがなかった。狭手彦は朝鮮半島へ向けて旅立たなければならないと決まっている。彼はそのためにここへ来たのだ。

二人は出立の日ができるだけ延びるように、何なら取りやめになるようにと祈り続けたが、願いもむなしく、ついにその日はやって来てしまった。
浜につけた船に物資が運び込まれている。大勢の人が行き交う。その中に恋しい男の姿がある。今こんなに近くにいるのに、これから確実にこの男は旅立ってしまう。多分、もう会えない。もう二度と会えない。最後に恋人の手を握り、そして離すと、それは嘘みたいに遠ざかっていった。
佐用姫は鏡山の頂上で領巾(ひれ)を振り、沖へ進んでいく船を見送っていた。あんなに小さい船の中に狭手彦がいるなんて信じられなかった。もしかしたら、船には乗っていないのかもしれない。本当は彼は浜にいて、今朝と同じように触れることができるのかもしれない。
彼女は突然走り出した。浜へ、浜へ行かなくては。今ならまだ間に合う。松浦川を北へ下り、呼子の町まで全力で走った。20km走ってようやく辿り着いたとき、船はどこにも見えなくなっていた。
呼子の浜の向かいに、加部という島がある。佐用姫はふらふらと加部島へ渡り、七日間ずっと泣き続け、そのまま石になってしまった。

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《松浦佐用姫》は《羽衣伝説》《浦島太郎》と並び日本三大悲恋と呼ばれている。
羽衣を盗んで天女を監禁する《羽衣伝説》、海底の城で謎の美女にもてなされる《浦島太郎》と比べると、《松浦佐用姫》はかなり静謐だ。
ファンタジー然とした出自もなければ、ロマンスが生まれる過程のドラマティックな描写も少ない。佐用姫と狭手彦の間には激しい恨みも憎しみもなく、別離は二人の関与できないスケジュールで静かにもたらされる。珍奇とも言っても差し支えないような設定がバンバン出てくる昔話群の中で、やけにリアルな設定がかえって異彩を放っている。

――大学院で彼氏ができたんだけど、彼がアメリカの研究機関へ行くことになって泣く泣く別れた。
――新卒で入社した会社ですごく好きな人と出会えたけど、相手が急に海外プラント建設のプロジェクトメンバーに選ばれて、どうしようもなかった。
――留学生と付き合ってたけど卒業して母国に帰っちゃった。

現代のリアルに置き換えるとすればこのような感じだろうか。物理的な距離だけでなく、政治的な障害、肉体的な永訣、文化的な隔たりが彼らの運命を決めてしまうこともあるだろう。
ある日好きな人ができて、付き合うことになり、今でもすごく好きなのに、自分たちにはどうすることもできない理由で永訣する。それはどんなシチュエーションでも、等しく悲しい。
 
 

佐用姫はなぜ「石」になったのだろう。
「石になる」というアクションは一見とても受動的で、無抵抗で、無気力に見える。別れを受け入れることができず、ただ心を閉ざす。恋人を連れて行ってしまう船を破壊するでもなく、無理やり旅に参加するでもなく、ただその場に留まっている。悲しみ泣き続けることに疲れ、ただひんやりと横たわっている。じっと動かない石の特性からそんなイメージが一瞬思い浮かんでしまう。
しかし、石はほんとうにパッシヴな存在だろうか。大抵の人間は、石で殴れば気絶するのではないか。

佐用姫の物語は人々にインスピレーションを与え、万葉集をはじめ多くの作品のモチーフになった。世阿弥もこの伝説をベースに曲を書いた。世阿弥の作った能《松浦佐用姫》には、「石にならない佐用姫」が登場する。能の佐用姫は狭手彦の形見の鏡を胸に抱いて海に身投げしたことになっている。旅の僧のもとに幽霊の佐用姫が現れ、失われた恋人への執心を語る。
世阿弥の佐用姫はファンタジー世界の構成に一役買い、僧侶に胸のうちを話すことで悲しみを共有する。世阿弥の意図した通りに行動してくれるし、世界観に協力することにやぶさかでない。

一方、石の佐用姫は全くお話に協力する気がない。
物語の持つ妙なリアリティは、「佐用姫が石になる」というラストシーンでめちゃくちゃに崩壊する。具体的な地名・キャラクター設定・歴史背景によって入念に作りこまれた世界観がたった一つの「石」によって破綻する。それまでのトーン&マナーを無視して、突然「石になる」というフィクションを現実世界に持ち込むことで、彼女は物語のリアルを瓦解させた。

私は、これは佐用姫の「世界に対する抵抗」なのではないかと思う。
「狭手彦が新羅に行って高確率で死ななければならない世界」への、「船に乗り込んでどこまでも一緒に行けない世界」への、静かなる抵抗なのではないか。彼女は打ちひしがれていたのではなく、静かに怒っていたのではないか。
石になれたらいいのにと思うことが、私たちにもありますね。石は人間より硬い。石は世界に翻弄されない。石は死なない。石の中で思い出は風化しない。石になることができれば、今のまま、悲しいままでいられる。
人魚姫みたいに泡になって消えてなんかやらない。世阿弥版佐用姫みたいに他の登場人物とコミュニケーションなんて取ってやらない。胸のうちを話してメロドラマを作ってなんかやらない。使い勝手の悪いキャラクターになって、そしてそれでも退場してやらない。
私の大切な人を奪ったこの世界に、しこりとなって私はずっと存在し続けてやる。
 
 

石にならない佐用姫は、実はもう一人いる。
奈良時代に編纂された『肥前風土記』に、松浦佐用姫と同一人物だと考えられている弟日姫子という女の子が登場する。弟日姫子の物語は松浦佐用姫とほぼ同じだが、ラストが決定的に違う。

―――狭手彦の船を見送ってから五日経った夜、泣き暮らす弟日姫子を見知らぬ男が訪ねてきた。男の顔は狭手彦にとてもよく似ている。夜通し弟日姫子に寄り添い、朝になると帰っていく。
正体不明の、だけど愛しい面影の男。彼女はこっそり男の服に麻糸をくくりつけ、それを辿って後をつけた。糸は弟日姫子が狭手彦を見送った鏡山までのびていく。山頂の沼のほとりに男は立っていた。ただしその顔は狭手彦ではなく、大きな蛇だった。顔が蛇で、身体は人間なのだ。
「一晩俺と寝ればお前を家に帰してやろう」
お供していた侍女は危険を察知して山を駆け下り、弟日姫子の家族に危険を知らせた。しかし家の者が沼へ辿り着いた時、そこにはもう彼女の姿はなかった。恐ろしい蛇もどこかへ消え失せ、ただ沼の底に人間の骨が沈んでいた。村の人々はその骨を弟日姫子だと思い、鏡山に彼女の墓を作り魂を慰めた。―――

……蛇、マジで最悪では?と私は思った。例えばこれが自分の友達の身に起きたことなら――友人の生涯をかけた恋が終わったあと、突然現れた誰かがその悲しみに付け込んで何もかもを踏み躙っていったのなら――絶対に許さないだろう。『肥前風土記』の弟日姫子は、佐用姫のように七日間泣き続けることもできなかった。幸福になることも、悲しみ続けることも、怒り続けることも、彼女はできなかった。

沼に残された骨が蛇のものであればいいと私は願わずにいられない。悲しみの最中にくだらない理由で声をかけられ、めちゃくちゃにキレた弟日姫子が蛇を返り討ちにした痕跡であればいい。だって骨の正体は最後まで明らかにされていないし、蛇の身体は人間だったではないか。
あるいは、案外蛇を気に入った弟日姫子が肉体を脱ぎ捨て、人ならざる者になった痕跡であってもいい。骨は彼女の脱皮の跡で、新しい彼氏と楽しく暮らしているのなら、それでもいい。未来永劫怒りと悲しみを貫き通すことも、新しい喜びを手に入れることも、彼女が自分で選んだ結末であれば心から正しいのだ。

現在も、佐賀県のあらゆるところに佐用姫の痕跡がある。
頂上で領巾を振ったという鏡山は「領巾振山(ひれふりやま)」と呼ばれている。狭手彦の名前を呼んだことが呼子の地名の由来になったという説もある。加部島の神社には、かつて佐用姫だった石が今も祀られている。
1996年、秩父で小惑星が発見された。発見者の知人を通じて唐津市で命名することになった小惑星は、公募によってAsteroid “Sayo-hime”と名づけられた。
もう誰にも邪魔されない宇宙空間の中、彼女は今も静かに抵抗し続けている。/終