やさしい人に笑ってほしい①

第39期(2018年6月-7月)

真面目を盾にとって、つまらない人間として生きていくんだと決めたから、NHKに入った…ということ書きましたが、それを面接で話すほど、私は度胸があるわけでもありませんでした。
というより、わざわざそこに触れなくても、私自身、真っ当だと思える、もうひとつの説明があったのです。
それは、私には「理不尽への怒りと憎しみ」がある、ということでした。

中学2年生のとき、私は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』という映画に心を塗りつぶされました。
主人公は、田舎町の工場で働くシングルマザーのセルマ。
彼女は、徐々に視力が失われていく病気にかかっています。
息子も同じ病気にかかっており、セルマは息子の手術費をこつこつと貯めていました。
しかし、視力の衰えていくセルマを工場は解雇。
さらに、親切だったはずの隣人が、セルマの病状の進行を見るや、貯金を盗んでしまいます。
おとなしく、つつましい性格のセルマは後日、あくまで丁寧に、隣人にお金を返してほしいと頼みますが、隣人は銃でセルマを脅迫。
もみ合いになり、銃は暴発、隣人は倒れます。
借金や妻との関係の中でがんじがらめになり、絶望していた隣人は、セルマに「よく撃ってくれた」と言い、そのまま殺すよう懇願します。
セルマが断るので、「殺さなければ放さない」と、金を握りしめる隣人。
とうとうセルマは隣人を殺し、逮捕され、死刑になってしまいます。

セルマの病気も、息子の病気も、セルマのせいではありません。
工場での仕事を続けられなかったことも。
隣人を家に招き入れたことだって、彼は本当に親切な人だったから、セルマの不注意とは言えません。
隣人を殺してしまったことは許されないことだけれど、セルマに他にできることがあったとは思えません。
いつも、できる限りの優しさで生きている人が、報われないこと。
それが私なりの「理不尽」の定義になり、それまで折にふれ自分の中に湧き上がってきていた怒りと憎しみが、その「理不尽」へ向けられていたことを、確かな手触りとともに確認したのでした。

たとえば、子どもがガシャポンをしようとお金を入れ、ハンドルを回し、しかし機械が故障していて何も出てこなかったとき。
それを見るだけで、みぞおちのあたりがぎゅっと縮むような感覚に襲われました。
彼は何も悪いことをしていない。
数秒先の未来へのキラキラと輝く期待が、無表情に圧殺される、その心の痛みを思うと、足が震えました。

そういう感性のルーツは、きっと、自分の生まれる家庭を選べなかったことを、とても理不尽に感じていたことにあると思います。
そしてまた、母をもっと尊重してほしいという私の気持ちが、父に伝わらなかったことも、私にとっては大きな理不尽でした。

父は、家では低く小さな声で、ぼそぼそと話す人でした。
私にはそのことこそが、「人と向き合わない」ことの象徴に思えました。
私が小学生のとき、キッチンで洗い物をしていた母が、リビングでテレビを見ている父の言葉に、適当に合わせて返事をしたことがありました。
水と皿の音の隙間で、かろうじて聞こえる父の声。
母はその内容を取り違え、的はずれなことを言ってしまったようです。
それが癇に障り、父はテレビからキッチンへと顔の向きを変え、母を凝視しながら、「誰がそんなこと言ったんだよ。言ってみろ」と問い詰めました。
もちろん、本当に怖かったけれど、それよりも私は、「キッチンで洗い物をしていたら、リビングの音はあまり聞こえない」ということを、父に知っていてほしかった。
無理解は、私にとって、理不尽の代表だったと思います。

ですから私の中には、「愛とは理解しようとすることである」―理解しようとすることこそが、理不尽に抗う手段だという世界観があります。
理不尽にさらされて生きている人の思いを、理解しようとすることを諦めず、分かるように伝えたい。
NHKの面接では、そんなことを話したように思います。

やさしい人に、笑ってほしい。

そんなフレーズを、社会人になる頃から、自分の原動力として使っていました。

前回お話しした坂井家を、「番組にしたい」のではなく「知りたい」と思ったのは、「笑っているやさしい人たち」だったからなのかもしれません。

さて、坂井家を撮った2015年、「心の真ん中で自分が面白いと思った人に会うことが、結果的に番組を面白いものにすることにもなり、そうすることで、自分がつまらない人間でも大丈夫だと思えるのだ」と知った私は、仕事の仕方がはっきりと変わっていきました。
何の番組にするとか、そういうことが何も決まっていなくても、とにかく、面白い人にただただ会う、ということをするようになったのです。
それは、すでに出会った、自分が面白いと思う人から紹介される人であったり、あるいは街で出会った、妙に気になる人であったり、別の番組のリサーチの過程で出会った人であったり。
「あの人にまた会うのが、楽しみで仕方ない」という感覚が自分の心の真ん中にあるかどうか、それを厳密に厳密に研ぎ澄ませながら、ただ、人として関わる。
そうやって結んだたくさんの関係がすでにあれば、たとえば「宮下、○月に農業系でリポート出して」と言われれば、「それなら、こんな方がいらっしゃるんですが」と提案できる。
番組があるから、人と会うのではなく、人と会っているから、番組もできる。
そんなサイクルの中で、番組の内容もどんどん、自分ごとになっていきました。

そして次第に、「理解によって理不尽を殺すこと」よりも、理不尽のもとで自分なりのやさしさを守って生きようとする人たちの「輝き」を撮ることに、自分が喜びを感じるのだということを知っていきました。
そうした人たちのやさしさを目撃するたび、そしてそれを撮れるたび、なんだか自分が少し許されたような気持ちになって、ほっとするのです。
それはたぶん、父のように、人を軽蔑して、人を理解しようとしないで、人を傷つけて生きてきた自分の中にも、もしかしたら、ほんのひとつまみほどのやさしさがあるのかもしれないと感じられるからだと思います。

そうこうするうち、去年(2017年)の夏に東京に転勤してきた私は、福祉番組「ハートネットTV」などを制作している、文化・福祉番組部という部署に配属されました。
「理不尽のもとで自分なりのやさしさを守って生きようとする人たちの輝き」に興味があるわけですから、ぴったりだと感じました。

そこでの取材で、私はいわゆる「見た目の症状」がある方々との出会いをたくさん頂きました。
その中の一人、大学院生の神原由佳さんは、メラニン色素をつくれないアルビノです。

神原さん

彼女は、とてもやさしい人でした。
見た目を理由にいじめられたことは一度もないけれど、それでも自分の見た目に悩んで生きてきた、というのです。
子どもの頃、ちょうど「赤ちゃんポスト」が世間で話題になっていて、どうして五体満足の子が赤ちゃんポストに預けられているのに、周りと見た目の違う自分が、好きなものを食べさせてもらえて、ほしいものも買ってもらえて、大切に育ててもらえているんだろう。
私が代わりに赤ちゃんポストに行くべきだったんじゃないか…。
神原さんは、ニュースの中の、見ず知らずの赤ちゃんに対して、罪悪感を覚えて育ったのでした。

なぜ両親は、自分を「普通」に育ててくれたのか。
本当は、どう思っていたのか。
聞きたいけれど、聞いてしまったら、両親が築いてくれた「普通」の家庭が壊れてしまう気がして、聞けない。
誰よりも自分自身が、「普通」になりたいから。
そこで、自分の親に聞けないのならと、修論の題材として、他の「見た目の症状」がある子どもを育てる親たちに聞き取りをしている―それが、私が神原さんから聞いた話でした。

そんな神原さんの存在が、私の中で変化し始めたのは、年末に見た目の症状がある方々の集まりで再会したときのことでした。
「宮下さん、聞いてください。私、卒業を伸ばしたんです」。
神原さんは、修論の最後に、自分の両親に聞き取りをすることを決め、そのために研究期間を延長したのだそうです。
この人は、本気で納得しようとしているんだ。
もっと聞きたい。教えてほしい。
いま、心の真ん中に、神原さんがいる。
それを感じた私は、日をあらためて、ゆっくりご一緒したいとお願いしました。

そして、12月22日。
神原さんは、最寄り駅の近くにあるお気に入りのパン屋さんに、私を連れていってくれました。
どうして、両親に聞き取りをすることにしたのか。
神原さんは、「私、子どもをもっちゃいけないと思っていたんです」と話し始めました。
「アルビノは遺伝性疾患だから、劣った遺伝子は私の代で、っていう、自分だけに向けられた内なる優生思想みたいなのがあって…。」

まるで、自分の話を聞いているようでした。
私も、子どもは絶対にほしくない、と思っていたからです。
それは、私がどんどん父に似ていく自分を感じていたからです。
心の底で周り(私の場合は「面白い人たち」)を軽蔑し、自分自身のことは(私の場合は「真面目」という)鎧で固めて、誰とも向き合わない、批判させない。
気を抜けば、低い声でぼそぼそと話している。
父のようにならないようにと、なるべく本気で私を否定してくれるタイプの女性と交際したり、あるいは女性を尊重できる男性でありたいと、「かわいい」ものを身にまとったり、「俺」と言わないようにしたり…しかし、積み重ねても積み重ねても、父の影が顔を出すのならば、私の子どもが、かつて私が思ったのと同じように、
「こんな家庭に生まれたいなんて、生まれる前にサインした覚えはない」
と思ってしまうかもしれない。
そうなったら、その子に説明がつかない。
怖い。
繰り返しちゃいけない、宮下家は僕で終わりだ。
そういうふうに思っていたから、私は神原さんの話に、まったく動揺しませんでした。

でも、神原さんは、「その先」を見せてくれる人でした。
「聞き取りで会ったお母さんたちの、なんていうか、『後悔していない感じ』にふれて、母になるのも面白いかもなって思えてきたんです。」

「普通」に育てられることが、本当はずっと疑問だったけれど、「普通」でいるために、何も聞かなかった神原さん。
自分でした蓋を開けるのが、いちばん大変だ―私は、それをすることにした彼女の勇気を、心底、尊敬しました。
「面白い」。
あなたの話は、面白い。
そういうふうに考えることを、不謹慎かもしれないと、一瞬思ったけれど、面白いものは面白い。
私が知りたかったことを、教えてくれるから。
そう伝えたら、神原さんは、「良かったです」と笑顔を見せてくれました。
「面白いっていうのは、私がいちばん嬉しい言葉なんです。」
私は、神原さんに、番組へのご出演をお願いしました。

2月3日に収録した、見た目の症状がある方々に自分の生き方について語り合って頂く番組では、神原さんの心境の変化が、恋愛にも影響を及ぼしていることが感じられました。
誰にいじめられなくても、自分で自分を認めることができなかった彼女は、男性に好意を向けられても、「なんで私なの?」と思ってしまうため、恋愛が気持ち悪いと感じてきたそうです。
もうひとりの「醜くてすいませんって思っちゃう」という方と一緒に、「こじらせチームだね」と盛り上がっていました。
しかし収録の最後には、「恋愛も」と言って、胸をドンと叩いてみせてくれました。
「形として恋人がほしい、じゃなくて、お互い許せるパートナーがいたらいいなと思います。」
何度見返しても、あたたかい気持ちが湧いてくる、「面白い」番組になりました。

私はそれまで、自分は
「理不尽のもとで、自分なりのやさしさを守って生きようとする人の輝き」
に惹かれるのだと思ってきました。
しかし、神原さんを始めとする、見た目の症状がある方々とのやりとりのなかで、「理不尽」という言葉が、だんだんしっくりこなくなってきていました。
理不尽は、主語のない、外的な不可抗力というニュアンスがあります。
でも、たとえば神原さんにとって、アルビノとして生まれたことは、主語のない経験だったのでしょうか。
「普通」の赤ちゃんたちへの申し訳なさ、それは、「自分が悪い」という、主語のある感覚です。

そう思ったとき、「理不尽」ではなく「選べなかったこと」という表現が見つかりました。
そう、私も、自分の家庭を、「選べなかった」と思っていたのでした。

「選べなかったこと」は、「選びたかったこと」です。
だからこそ、そこには、「納得」を求める気持ちがあります。
自分が選んだことなら、納得できるけれど、選べなかったら、簡単には納得できない。
納得したい。何をおいても。
私は、自分が
「選べなかったことに、納得を見つけようとする人の輝き」
に惹かれるのかもしれない、と思い始めていました。

ここにはとても書ききれませんが、神原さんと同じくらい、「あの人に会えるのが楽しみで仕方ない」という出会いをいくつも集めて、2月の番組は実現しました。
そのなかで、皆さんがつかみとってきたいくつもの言葉を、分けてもらうことができました。

「病気は個性、というより、たくさんある私の個性のうちのひとつでしかない」。

「私は、変えられないものをコンプレックスとは思わない。コンプレックスというのは、努力で変えられるけれど、納得いくまでやり尽くしていないことを指す」。

「自分の本当の問題は、病気よりも、人を信じていないことだった。それに気づいて、人を疑いすぎないようにしたら、それまでコンプレックスだったことがどうでもよくなってしまった」。

「諦める、というとネガティブなようだけど、選べなかったことを諦めると、選べるものが見えてくる」。

「病気は病気だな、としか思わない。でも、それをコンプレックスに思っていること自体を受け止めてくれる人がいて、ほっとする瞬間があればいい」。

ひとりひとり異なる、納得の仕方。
こんなにたくさんの道すじがあるんだ、あっていいんだ―その道すじの豊かさ自体が、私に勇気をくれました。

もっと知りたい。
みんながどうやって、納得を見つけようとしているのか。
そう思ったとき、すぐに、めまぐるしい日々が訪れました。

神原さん、そして、ここまでに登場したすべての人たち、それから、お読みくださった皆様に感謝します。
ありがとうございました。

これが、第1回に書いた「この数ヶ月」の始まりです。
しかし、第2回で予告したように、なぜ私がそもそも「面白さ」にこれほどまでに執着するようになったのか、気づいたことまでは、今回、書ききれませんでした。
申し訳ございません。
今しばらく、お付き合いくだされば幸いです。