いつしか押し花になる記憶。

それをエンジェルと呼んだ、彼女たち。

2年間、小学校へ通わなかった頃のことを話すのは、これで最後にしようと思っている。

最後、というのはこの話が人を悲しませるからじゃない。これからお話しすることはきっと、思いがけず枠からはみ出てしまった人や好きなもの以上に「嫌いなもの」がはっきりしている人をすこしだけ安心させられると思う。誰かを励ますこともきっとできるし、役に立てるかもしれない。だけど何しろ過去のお話だから、旅先で出会ったひとからの打ち明け話だと思って聞いてもらえたら嬉しい。

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かなり幼い頃から、行かなければいけない場所としての学校があまり好きじゃなかった。好きな友だちもいたけど、好きじゃない子もたくさんいた。割と正直だったせいか、空気を読まずに振舞ったことでいじめに遭い、学校に行かないことに決めたのが小学5年生のとき。行かない、と決めるまでの数週間は保健室の白色ばかりが記憶に残っている。

でも行かないと決めたら内心、けっこう気が楽になって考えた。さぁ、代わりに何しよう?
その頃といったら金八先生もブームで、「ひきこもり」が世間を賑わしていた。いろんなひきこもりがいて当然なのに、一般のイメージは「暗い・不気味・不細工」と散々だったこともあって、「そういうひきこもりにはならない」と心に決めたことを思い出す度、落ち込んでいた割に元気だったなと妙な気持ちになる。

「そうだ。絵本の読み聞かせなら、ずっとやってみたかった」。そう思いついて近所の市立図書館に行き、司書さんに「ここで読み聞かせをさせてください」と頼んでみたけれど、こどもは読み聞かせできない、と優しく断られた。今では名前も思い出せないこの司書さんはでも、代わりに読み聞かせをさせてくれる場所を探して紹介してくれた。そこは家からそんなに遠くない、お寺が運営している私立保育園だった。

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副園長先生は初めて会ったとき、「好きなだけ居ていいよ」とだけ言ってくれた。居させてもらったのは保育支援のために開かれたスペースで、そこに小学生がいるのはどう考えても不自然なのだけど、先生たちも訪れるお母さんたちも受け入れてくれた。

結局読み聞かせは数えるほどしかせず、赤ちゃんと遊ばせてもらったり、先生たちとお話したり、園のイベントを見せてもらったりして過ごした。身近な大人が「学校の先生たち」ばかりだった頃よりも、もっといろんな表情や考え方をする大人たちと未知なる赤ちゃんに囲まれて過ごした保育園での時間はとっても充実していたと思う。ここにいてもいいのかな、と不安になる気持ちは日に日に小さくなっていった。

世の中には本当にいろんな人がいる、ということを知るのは素晴らしいことなのに、時に苦痛を伴う。受ける傷もあれば、癒してくれる出会いもある。そのスケールを学校だけで知るのは難しい。いろんな人がいることを知れないまま、救われない気持ちの人もいるかもしれない。でもそういう淋しい思いをしている人がいるなら、自分が好きだと思うことをひとつ、思い浮かべてそれを出発点に歩きだせたらいいなと思う。そうして私が失ったことがあるとすれば、すっぽり抜け落ちてしまった三角錐以降の算数のセンスくらいなのだから。

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図書館の司書さんと副園長先生が贈ってくれたようなプレゼントを差し出せる大人でありたい、と思いながらきたのに、実はまだできていない。もう大人になって久しいのになぜできないんだろうと思って、善き友達であるインド人のソナルに打ち明けたとき、彼女はひとこと「It’s time to let them go.」と言葉をくれた。

どんなに自分を勇気づけてくれた過去にも、ある節目にはさよならが必要なのかもしれない。うちでメダカと一緒に飼っているエビも脱皮して成長する。脱皮したあとの殻は透明で、亡骸みたい。それさえも食べてしまうエビたち。大事にしつづけてきたこの思い出もすっかり脱ぎ捨てて、あとは野となれ山となれ、さようなら。

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大人になれば素敵な人たちと生きていくことも選んでいける、とひりひり願った小学生は、あの頃と変わらず「いろんな人」を知るたびに一喜一憂している。

だけど、なにが人にとっての特別なギフトになるかなんて見当がつかないものだと知っている今、片手差しだしてなにか温かい言葉をひとこと、迷いなく贈る心づもりはできている。