こじはん

いとでんわ 第2期(2011年12月-2012年1月)

ただ肌寒かった日々がいつの間にかもうすっかり冬で年末。朝晩どころか丸一日寒い日々です。

しかしながら、田んぼの真ん中に暮らしていると季節の流れがくっきりと目に見え、それはとても美しく凄烈です。

山の木々はもくもくと重なりブロッコリーのようだし、葉や花や実はさまざまに色をなし、なんだか壮大なサラダのようです。

私の住んでいる場所では、昔から「小事飯(こじはん)」といって、ちょっとしたおにぎりや、あまじょっぱく煮た煮物や暖かいおつゆなどをおやつ代わりに食べる習慣があります。ちなみにおつゆは鍋ごとがばっと持って行きます。

農作業を家業とする地域に昔から多く見られる習慣で、お昼ごはんを食べてからもずっと体を動かすために、小腹どころか本気で空腹になってしまうことから自然にそうなったようです。

ブロッコリーのような木々のなかで小時飯を食べながら昔の人々が見た光はきっと、今私が感じる光と同じ光。そのことを考えると、人は紡がれているなと当たり前のことですが思います。

桶職人だった祖父が片手間で借りていた畑に、小さいころは小事飯を届けによく行き、畑のはじっこに座って祖父と食べました。

私は小さかったから、なにを話したのかはよく憶えていません。憶えているのは、土のにおい、みみずがいて気持ち悪かったこと、祖父の泥だらけの手。くるくると大きいたれ目。

習慣は今も抜けずに近所の人や友達が家に遊びに来ても、「小事飯だから」と言ってなにかしら母は作っています。

母は大きく多く作るから、小事飯というよりもほぼ「まかない飯」のようになり、その量に驚かれることもしばしば。

お昼ごはんと、夜ごはんのあいだに。

今では毎日する習慣ではないけれど。

たまにするそれはなんとなく大雑把で、食べても食べなくてもいい選択肢があり、にこやかで四角にあてはまらない時間です。

大人になった今、日常の時間のあいだに、かたちのない「小事飯タイム」をたまに拾います。

友だちと会ったり、映画を見たり、音楽を聴く。本を読んだり、いたずらを考えたり、散歩する。

知らない土地のこと、かの国の朝日を想像する。

ぎゅっと濃厚でなくてもよくて、かぷりとぱくつくような半分の時間。

あわただしい師走のこの時期で、あたまとこころを満たす小事飯タイムはなかなか拾えなくなるけれど。

時間のあいだに落し物があればいいなと、今日もきょろきょろして過ごしています。

お読みくださって、ありがとうございました。

2ヶ月間、どうぞよろしくお願いします。

PM3:26 いつも行く喫茶店にて、カフェオレ(生クリームつき!)を飲みながら