区切り、所作と意識。

いとでんわ 第2期(2011年12月-2012年1月)

「。。。。。。。」

朝、携帯のアラームで意識が持ち上がっても、まだ何も考えていない状態。
無言で、無心で。とりあえず体を起して、シャワーを浴びにいく。

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朝のスタートは大抵こんなものです。
自分は寝起きは良い方で、起きたらすぐに体を動かすことも
割と平気ではありますが、頭は全然動いてません。
とりあえず機械的にやることやる、みたいな感じです。

でもシャワーを浴びている時に頭を起しつつ考えごとをしていると、
問題解決の糸口が見つかったり悩んでいたことをどうするか
決められたりすることが多いよなぁということに最近気付きました。

なんでだろう。。。と考えていたのですが、これはひょっとすると
シャワーを浴びるという行為の進捗にあわせて思考も整理・展開
していくのではないかという仮説に辿りつきました。

今更シャワーを浴びている最中にやることなんて決まっているし、
考えなくても自然に体が動くものです。
だから意識が別のことに集中する。逆にそれ以外やることありませんし。

シャワーの終わりが思考の終わり。
そこまでに結論出そう、と無意識に決めているのかもしれません。
(私はこれを勝手に「シャワー効果」と呼んでいます。心の中で。)

一つの行為の中に始まりと終わりがあって、その流れに沿って
身体を動かしながら考えていると自ずと悩みも余計な部分が
そぎ落とされて解決する。
最近そんなスムーズな身体の動きと意識のつながりを感じます。

このつながりは今自分がいる「カフェ」という場所でも強く感じていて。

以前どこかで

「お茶というのはそもそも、戦地に赴く方の気持ちやふるまいを
整えるものから始まった」

という話を聞いて、あぁ確かに!と思った記憶があります。
お茶を点てる時の所作やそこから生まれるピンと張りつめた空気というのは、
一つ一つに意味があってその全てを目の前の一杯に込めることに
向けられたものなんだと思います。

これはコーヒーにも通じる話です。
一つ一つの作業をシンプルにスムーズに、美味しくなるよう意識を集中する。
その流れがしっかり繋がって初めて美味しいコーヒーを淹れることができる。
バタバタしてしまうと意識がそこに入らず、美味しいと思える一杯になりません。
これは比喩ではなく、日々実際に感じることです。本当に味に出ます。

一つ一つの所作を大事にして気持ちを込める、ということを忘れずに
毎日一杯ずつ大切に向き合いたいと思っています。

ということを書こう、と。

シャワーを浴びている最中に思いついて、部屋に戻ってきた時の外の柔らかい光や
空気の気持ち良さに後押しされたのがほんの数日前。

東京は今が紅葉の季節です。