Pay it someone

いとでんわ 第2期(2011年12月-2012年1月)

履歴書の欄にむかし「尊敬する人」という項目があって(今もあるのかな)、私は悩まずに、つまらないかもしれないけれど「両親」と記入する。

その動機は簡単かつ不純で、父と母は結婚前から今の今まで恋愛をずっとしていて、それが素敵だなと思うから。

父と母が出会ったのは、父が19歳で母が17歳だった頃。
今で言う合コンで出会った。
グループ交際(ああ、もじもじする響き!)を経て「お付き合い」をするようになる。

当時、母の家には電話がなくて、父が連絡を取りたいときは母の隣の家に電話をかけ「おかだと言いますが、隣のさっちゃん(だか幸子さん)をお願いします」と言って繋いでもらっていた。

9年後、父と母は結婚した。
新婚旅行先の北海道で撮られたふたりの写真を見ると、ベリーショートの母がそれはそれは嬉しそうに笑っていて、父はシャイなキメ顔をして写っている。

姉と私が産まれても、父と母は相変わらず恋愛をしていて、と言うか母がもう父のことを大好きでしかたがなくて、小さい頃から「お父さんはかっこいいのよおう♡」という母の惚気を聞いて育った。

仕事に行くときはいってらっしゃいのちゅうをして、ふたりで信号を渡るときには手を繋ぐ。
書いていて恥ずかしい。さすがの私も引くくらいに仲がいい。
そんなふたりに育てられたから、案の定、姉も私も「おとうさんだいすきー」なファザコン姉妹になってしまった。

しかし、確かに父はかっこいいのだ。

寡黙なふりをして茶目っ気たっぷりにイタズラを仕掛け、人をかまうことが大好き。
面倒見のいい人で、困っている人がいると手がかりを少しだけわける。
他人を受け入れる器が大きく、私や姉の連れるちょっと変な友人たちもドーンと受け入れてくれる。
感受性が豊かで、本当はナイーブ。でも頑固。

母はわりと激しい気性をもっており、それを父がうまくほぐし、柔らかくしてくれる。

いつかの夜に、ものすごいケンカをふたりがしたことがあった。
こたつを挟んで立ってケンカをするふたり。怒声に罵声、売り言葉に買い言葉。

珍しいなあと思いながら私はそれをつまみに赤ワインを飲んでいて、それを見た母がダブルで切れてしまい、母は家出した。

電車が来る時間はとうに過ぎていたし、彼女は車の免許を持っていないから、20キロくらい先の友だちの家に徒歩で行こうとしていたようだった。
巻き込まれたがなんとなく申し訳ない気持ちの私と、「ほっとけ」とケンカまっ最中の父。
しかたがないので、これまた徒歩で母を追いかけ説得するも、母はどんどん歩いて行ってしまう。
面倒くさいなあと思いつつ、出かけていた姉に電話をかけ、父を説得させて、最終的に父がしぶしぶ車で迎えに行って事無きを得たのだけれど、あの後も家の中はしばらく不協和音だった。

でもなんとなく気がつくといつも通りの家族になっている。

どこにでもいる、普通の家族。

そんな父が死んでから今年で8年になる。
大人になると「思うところ」というのは多くあり、迷うこともあり、父と腹を割って話をしたいなあと今さら思う。

くだらないことも、ヘラヘラと笑いながら。

父のことを大好きな母は、彼が死んでからすぐ、思い出の写真をすべて捨てた。
彼女は、そうすることで自分のゆきどころのない気持ちや、自分の心をもすべて捨ててしまいたかったのだろう。

今。
写真を捨てなければよかったね、とぽつり言い、母は後悔している。
私たち姉妹がコッソリ抜き取って、額に入れた新婚旅行のふたりの写真を見つめながら。

私も、父にしてあげられたのに、しなかったことを思い、後悔している。これからも悔やみ続けると思う。
家族や恋人、友人に対する後悔というものは、きっと誰しもが持っていて、そのことは心をきゅうと苦しくさせるだろう。

だから、できるだけ後悔をしないように、思いやりながら、空気を読みながら、いっぱい触れ合っていいと思う。

きっと必ず、どうしたって後悔はつきまとうから。
冬は寒いです。

そばにいる人を、どうぞ暖かくしてあげてください。
思いやりや息遣いが必要な、いま、現代だと思うから。

最後までお読みくださって、ありがとうございました。