春の日。

第1期(2012年2月-3月)

5階のエレベーターのドアがゆっくりでもなく、早くもなく、そういうスピードで
閉まるあいだ、ゆうちゃんはずっと僕に向かって頭を下げていた。
身体に気をつけてな、って皺だらけの笑顔を向けた後で。

昨日は半休を取って、ゆうちゃんのお見舞いに行った。
今年はじめて春らしい暖かい日だった。

病室にひょっこり顔を出すと、一回り小さくなった姿でベッドの上に正座した。
もう何年も会ってなかったから何となくバツが悪かったけど、
顔を見る事が出来て本当によかった。懐かしかった。

来てくれてありがとう、ありがとう。
帰るまでに何度言っただろう。

線路の見える窓から、暖かい、春になったばかりの柔らかい日差しが差し込んでいたけど
病室に差し込む日差しは賑やかな音楽室に差し込む日差しや、
ボサノバが流れるカフェのそれとは違うんだよね。
日に焼けて黄色っぽくなったカーテン。

病室の近くの売店には、お菓子やら、洗剤やら、スポーツ新聞やら色々なものが
ところ狭しと並んでいるけど、それすらかえって気分が落ち込むような雰囲気をまとってる。

僕が随分小さな頃、そう、幼稚園か、小学校にあがったばかりの頃だったか、
ゆうちゃんは僕の手をひいて、近くにあるお城に連れて行ってくれた。
何故だか竹細工で出来た筆箱をねだって買ってもらったんだ。
ペンキみたいな絵の具で象が球に乗った絵が描いてあるやつ。
もう、何十年も前の思い出。

ゆうちゃんはちょっと前にリストラにあった。
お土産もの屋の営業みたいな事をやっていたけど、どこの観光地に行っても同じような
お土産ものを売っているありふれた会社だったと思う。

その後、文句ひとつ言わずに旅館の風呂掃除の仕事を何年もしていたっけ。

ゆうちゃんは、昔から変わらず、ずっと貧乏だった。
染み付いた古い畳の臭いと質素な家と質素な生活。

そこにあるのは、スターバックスとか、クイーンズ伊勢丹とか、ブルーレイディスクとか、
ボーイング787とか、そういうものとは一切無関係な人生。

自転車と風呂掃除と冷えてないビール。それがゆうちゃんの人生の半分くらいなんだと思う。

そういう人生だってあるんだ。それでいいじゃんか。

それでも、神さまは、末期ガンってものを最後に渡した。

温泉好きのゆうちゃんは、病院の風呂も何度も入って、さっぱりした顔してたね。
さすがだね。

エレベーターの扉が閉まったあと、花のひとつも持って来なかった自分に気付いた。