はじまりの理由。

第2期(2012年4月-5月)

 
「写真のお仕事されているんですか?」
よくそう聞かれる。
「いえ、介護の仕事で認知症専門の施設に勤めています。」
ぼくはそう答える。
大抵ふたつの反応にわかれる。
「あぁ、、そうなんですかぁ↓」と「わぁ!そうなんですか↑」
そのとき垣間見える人間性を静かに観察するのが好きだ。

次いで「どうして介護の仕事をしようと思ったんですか?」と聞かれるとき、ぼくは決まって祖母が認知症になったことがきっかけであると話す。
でも、本当の理由は違う。

ある日ぼくは人生を体験した。

詳細は書かない。
ぼくの人生だけではなく、大切な人たちの人生をも変えたとても大きな出来事だったからだ。

人は体験したことでしか本当の意味で「感じる」ことはできないのかもしれない。
知識はいくら頑張っても知識を超えることはなく、空想はいくら頑張っても想像以上の苦痛や幸せを与えはしない。
全て許容範囲内で起こること。

完全なるお手上げ状態に直面し、夢中で撮ってきた写真が一体なんなのかをぼくは自分自身に何度も問いかけた。
目の前で苦しむ人にとって、ぼくの写真はあまりにも無意味で、無価値で、わずかな慰めにもならず、恥かしいほどに無力だった。
必要なのは現実的な支援だ。
写真云々の前にするべきことがあった。
ぼくは写真をやめた。
大切な人を救えない写真なんかどうでもいいと思えた。

光を感じる

やがて状況が落ち着き
ぼくはある条件のもとに写真を再開することにした。

終焉の地で、記憶や身体機能を失いながらも命を刻み続ける人たち
現実と虚構、記憶と記録、自己と他人、日常と混沌、現在と過去、生と死
そこには人生があった。
ぼくは、そんな認知症ケアに情熱を注ぐことで、何者かに写真することを許されているような、そんな気がしている。

介護と写真の道を選んだ、ぼくだけの理由。