結び、つながる

第3期(2012年6月-7月)

 

 

 

 

わたしは胸をはって人になにかを言える人間ではありませんから、今回アパートメントのコラムを書いてみないか、と管理人の方にお声を掛けていただいたときに、大変戸惑ってしまいました。それでも、そのお話をお引き受けしたのは、その頃のわたしは、ふさぎの虫にとり憑かれていて、その殻を内側から破壊したく、なんでもよいから新しい試みをしてみたかったのと、しばらくはなれていたけれど、すこし前から再び向き合ってみようかな、と写真を撮り始めて、それを公開できる機会を持てるという、ひどく個人的な理由によるものでした。
わたしは文章を書きながら考えを整理していく性質の人間なので、毎回一通り文章を書き終えて、ああ、わたしは今、そんなことを胸の奥にしまっていたんだな、と発見もあり、また、そんな内面を人に見せるのはおもはゆく、てれくさいものです。

二ヶ月間、毎週コラムを書いてみて、なんだか支離滅裂で、きまりがわるいのですが、一つ、一貫しているのは、わたしは「人が共感し難いこと」を書き続けてきたつもりです。理解し合えるということは、甘い蜜のように舌に心地好いものですが、わたしはそこにある種の「退屈さ」を感じずにはいられませんでした。それと向き合おうという、一つの決意めいたものを抱えて、この二ヶ月間、わたしは文章を書くことに努めてまいりました。人は、ほんとうの意味で分かり合えず、理解し合うことも出来ず、孤島であり、すべての他者は他人だということ、どうしようもなく埋められない孤独を持っていて、その孤独を認め、愛し、他人と他人のまま繋がることが出来るということ。わたしはそれをとても幸福なことだとおもっています。

(勿論、「わたしたちはお互いを理解している、分かり合っているのよ!」と確信を持っている人たちもいることだろうとおもう。わたしはそれを決して否定しない。ほんとうなんだろうなと憧れたりもする。だけどわたしは一度たりともそんな主観を持ったことは残念なことにありません。どんなに偉い先生が、「人は理解し合うことが可能であり、人は孤島ではない、誰もが本土のひとひらだ。」と言ったところで、「それは素晴らしいですね!わたしには全然分からない!」とひとりごちるしか術がない。それでもわたしは幸福なんですよ。)

幸福を手にするための戦いは美しいものです。チャーリーの言葉です。

管理人の方々、わたしの写真のモデルをこころよく引き受けてくれた人たち、それから、このコラムを読んでくださった沢山の方々、ありがとうございました。

グッド・バイ。