I See You

第3期(2012年6月-7月)

 

 

久しぶりに会った友人に「やあ、元気にしてた?」と訊かれて、てきとうに「うん、元気だったよ」なんて返事をする。二、三時間会話をして、そうして別れ際に「変わりないようで安心した」なんて言われて、半ば反射的に「まあね、変わらないよ」と口付くのがあたりまえの世界に生きていて、これで健全なんだなとおもう。
友人もわたしも、しばらく会わなかった間に、病気をしたり、悩み事の一つ二つ持ったり、ほんとうは会うのが憂うつだったとか、日々、細胞が代謝を繰り返す如く、思考体系というものも、代謝をしていて、古いものが刷新されて新しい考え方が生まれていたりしていても、「元気だよ、変わらないね」とあたりまえに口をつくのは、そうすればお互いに安心だし気を遣わせずにいられるし便利な挨拶なんだとおもう。

世の中に、「わからない人」が沢山いて、わたしは幸せだ。
子どもの頃から、ポカンとした人間でした。言いたいことなんて無かったし、理解を得たいともおもっていなかったから、おとなしい人よ、何を考えているのか分からないね、とか、きっと、退屈な人だな、とおもわれていたのだろうと想像できる。分かりがよい察しのよい人でも他者をあやまたず一部も削らずに分かるなんてこと出来ないし、半端に解釈されて、あなたのことよく理解しているよ、なんて言われるくらいならいっそのこと、わからない人だな、とおもわれていたほうが具合がいい。

 

 

世界に人間が七十億人もいるというのはほんとうですか。

ほんとうですか七十億人だって。すごいね、

だれからも理解されてないの。

 

「幸せだね!」

 

相手の気持ちになって考えることをよいことだと教えられて生きてきて、

 

わかろうとしたの?

「わかろうとした」

 

分かったつもりで放った言葉が頭を貫いた。

し ぬんですか?    ち がでていますよ。

人殺しをするつもりはなかったんだ。ごめんなさい。

 

 

伝わらないのはよくあることだから、そんなにしょげなくて、いいんだよ、と背中をさすってあげたい。
人間が一つの生命じゃなくてよかった。個別の生き物でよかったね。みんなが違う気持ちを持っていて、理解されず伝わらず、分かり合えない人たちと、わたしは友人になりたいし、家族になりたいとおもいます。