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2F/当番ノート

有意義な夏休みの過ごし方

当番ノート 第4期

 
 
世間では、夏は終わったとされている。

私は今年の夏がいつから始まって、いつ終わりを告げたのか全く検討もつかない。

私は、私以外の誰もが好意を持っていないであろう 真っ赤な口紅を塗りたくる。

旦那の顔も

息子達の顔も

近隣の住人達の顔も

別にどうだっていい。気にしていない。

私は若い頃、この真っ赤な口紅がとても似合うと褒められていた。

年老いた今、自分自身で不似合いを認めるわけにはいかないのだ。

しかしきっと、勤め先の高校生の連中はこぞって私の身なりを笑っているに違いなかった。
 
 
一ヶ月と少し前。夏休み前の朝礼。

私はいつものように朝礼台の上に居て、

ああだこうだと前の日に考えていたことを全校生徒に聞かせている。

私はこの時がくると、毎日緊張しているし、

できることならこんなに長々と喋りたくはない。

それなのにちくしょう。

眠そうな顔しやがって。

生徒達は皆ぼんやりとこの時間をやり過ごしている。

なかには前後の生徒とお喋りをしている者もいた。
 
 
そんな時、女子生徒がなにやら急に叫んだ。

もちろん生徒達の注目は彼女に集まり、

水を得た魚のように、好奇心丸出しの目で彼女を追っていた。

昨晩必死になって考えて来た「有意義な夏休みの過ごし方」は、中断せざるをえなかった。

そうやって好き勝手していればいい。

怒りにまかせて ぐっと唇を噛むと、不味い化粧品の味がした。
 
 
でも「有意義な夏休みの過ごし方」を最後まで話さなくて良かったと、今になって思う。

私自身、そんな夏休みの過ごし方など知らないことに今さら気付いたからだ。

何年も海に行っていない。

朝は、旦那の弁当をつくりゴミ出しをして

昼はワイドショウを観ながら洗濯物をして

たまに安いファミリーレストランで昼食をとって

夕方になると夕食の準備を始める。

本当にどこにでもある主婦の一日を

知らず知らず積み重ねていくだけだったじゃないか。

こんなに平凡な毎日なのに、

頭はいつも少しだけ遠くにいて、現実感がない。

夏の終わりをテレビの天気予報で知ったのだから もうどうしようもない。

あ。これはまずい。

このままこんなふうにしていれば涙が滲んでしまいそうだった。
 
 
今日も夕食を作り始める時間が近づいている。

ソファから立ち上がろうとした時、

遠くに打ち上げ花火の音がした。

ひゅー の音は聴こえず、

どん、どんと打ち上がった花火の結果の音だけが聴こえる。

私はとてもやりきれなくなって、

衝動的にタンスをひっくり返した。
浴衣はすぐに見付かった。
どうでもいい部屋着を脱ぐのに時間はかからなかった。
着付けの仕方は忘れていなかった。
浴衣姿で玄関を飛び出した。
こじんまりした門も蹴飛ばすようにして道路に出た。
走る。
こんなに急いだのは何年ぶりだろう。
息継ぎも忘れていたようで、すぐに立ち止まってしまった。
花火が終わらないうちに会場につかなくてはいけない。
私はまた小股で走り出す胸が高鳴っていた。
不味い口紅の味も気にはならなかった。

花火の音が聴こえる方向の電車に乗った。
しばらくすると窓の外に花火がみえた。
すこしずつ近づいて、ここだと思う駅で降りた。
もう肌寒い夜の花火大会だからだろう。浴衣姿の人はいなかった。
花火の見える方へまた走り出した。
走り出してから間もなく、どどどどどどという連続して花火のあがる音がした。
私のいるところも、その時はとても明るく光っていた。
音が消えるのとともにあたりは夜の暗闇に包まれた。
目の錯覚だろうか。ほんとうに真っ暗になってしまった。
きっと今のがフィナーレだろう。
それでも私は走るのを止めなかった。
やめたくはなかった。
 
 
会場までの道のりで、
たくさんの人とすれ違った。
すれ違っていく人は一様に私を見て不思議がった。
笑っている人もいた。
いまの私には気にならなかった。
 
 
しばらくして会場に着いた。

もうヘトヘトだし、汗が吹き出ていた。

私は河川敷のサイクリングロードの上で、

一人息を切らしていた。

とても達成感があった。

汗と一緒に、

腕で口紅をぬぐった。

浴衣の袖が赤く汚れた。
 
 
嬉しいような、泣き出したいような叫びたいような妙な気分だ。

すれ違った客と一緒に、

花火もとっくに帰ってしまった夜空を見上げた。

星が綺麗だった。

夏の方が冬よりたくさん星見えるんじゃないかなって、思った。

 
 
 

 
 
 
 
 
あとがき

みなさんはじめまして、つかにしゆうたと申します。
毎週金曜日に短いおはなしを書かせてもらうのも今日で最後です。ぼくの夏も今日でおしまい。8月一週から今日まで楽しい夏でした。
僕は、四季の中で夏が一番好きです。でも今年の夏はお金がなくてやりたいことぜんぜんできないなあと思っていました。もともと貧乏だけど、こんなにお金ないことも初めてで変に気分が落ち込んでしまって、特になにも書かず、ただなんとなくアルバイトして毎日を過ごしていました。ああだらしない。
そんなとき「アパートメントに記事を書いてみないか」というお話をいただきました。お話をいただいた時、すごく嬉しくて。書かせてもらえると決まった日から、なんとなく頭の中がキラキラしてました。休みの日はお金もないしどこへも出かけられないけど、おはなしを書いている時間が本当に楽しかった。アパートメントがあって助かった。もしなかったら、お金がおしくて家にこもって菓子パンかじってすごす夏になっていたとこだった。ありがとう森山くん。
せっかくこの時期に書かせてもらえることになったので、「夏」のおはなしを書いてみました。全部「女の子」のおはなしにしようっていうのも初めに決めていて、そこだけ決めてあとはその時に書きたいと思ったはなしを好き勝手に書かせてもらいました。9回通して読んでくれた人がそんなに多いとは思えないけれど、今日書いた最後のお話はスピンオフみたいな気分で書いたおはなしです。もし時間があるのなら、ちょっと大変だけど最初の『趣味の悪い青』から読み返してみるのも楽しいかと思います。いや、それは大変だなやめた方がいい。
そしてここに書かせてもらうのが終わる少し前に、また新しい出会いがありました。
こんどのは活字で終わりのものじゃなくて、役者さんや色々なスタッフさんが関わるものになりそうです。夏は終わりだけど、またおはなしが書けることが嬉しいです。実際にはそんな呑気なこと言ってる時間もなくて、せっせと書き初めています。
ばいばいアパートメント。
でもアパートメントはこれからも続きます。この部屋はちょっと鼻につくけど、中に住んでる人たちはみんなディズニーランドに遊びに来てる人みたいに生き生きしてると思います。みなさんもふとした時に覗いてみて、その「生き生き」を少しもらっちゃえればいいのかなとか思っています。ちょっと鼻につくけど。ぼくもたまに覗きにきたいと思っています。少しの間住んでいたわけだし、勝手に先輩みたいな雰囲気で。
 
 
おしまい

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