ラジオ 最終話「ラジオ」

第7期(2013年2月-3月)

 ここはラジオの中だ。彼女のストーリーに従っているかぎり、どこからも遠く隔たったラジオの中の世界にいられるのだ。ここには澄んだ空気があって、穏やかで、語られるのは彼女の物語だけだ。それは愉快なものばかりでもないけれど、以前いた場所で雑多に語られていたものよりはずっとましだ。心をわずらわせるものはなにもない。作りものでも構いはしない。どうせ外でも、だれかの都合で作られた話ばかりだったのだ。ここに来る前は、耳をふさいでいた。目をふさぎ、口をふさいでいた。そうして望んだものがこれだったのだ。
 彼は息をつき、それからオセロ盤に白いこまを置いた。そして黒のこまをひっくり返しはじめた。

 私の負けね。

 ラジオから彼女の声が聞こえる。
 ねえ、と彼女は言った。もう一回しましょう。
 彼はうさぎのラジオを見つめながら、その時のことを思い出した。彼はここのところの癖で彼女のストーリーを見極めるために彼女の仕草に気を払いながら、いや、と答えたのだった。もう、やめにしよう。違う。本当は、ここはどこだと言ったのだった。
 ねえ。彼女はまた言った。行ってしまうの。声が震えていた。
 行かないよ。彼は答えた。これも違う。本当は、なぜぼくだったんだ、だった。
 うそはつかないで。
 どこにも行かないよ、ずっとここにいる。きみはだれだ、きみは本当はだれなんだ。
 彼女は顔を伏せて泣いた。
 彼はラジオを切って、うさぎのまっ黒な瞳を見つめた。彼女は目の前に座っていたけれど、しかしとても遠くにいた。まるでラジオから声だけが聞こえるようだった。
 それから彼は一晩中ラジオを作りつづけた。彼自身のラジオを作りつづけた。
 彼女のラジオで彼女の話に合わせるのも悪くはないのだ。本当の彼女だなんて、本当の自分などというものと同じで、意味のない虚構だ。本当の彼女を演じている彼女と、彼女のストーリーの登場人物を演じている彼女と、どこが違うというのだ。それらを分けるのは、話を合わせやすいか、言葉が通じた気になるか、心が通い合った気になれるか、便利か不便かといった程度の、こちら側の都合でしかない。それだけならば、今の状態で構わないはずだ。
 考えすぎだろうか、と彼は考えた。なぜ彼女はわざわざ一度、なにも演じていない彼女を演じたのだろう。巨大うさぎが非常食だという仮説を伝えるため、まさかそれだけではないだろう。両方を示しておきたかったというのは考えすぎだろうか。
 つまり彼女は選択するよう言ったのだ。ラジオの向こうに来るか、留まるか。しかし選択肢の不均衡がすでに答を示しているではないか。なぜありのままを装ったのが一度きりだったのか。ここが自分の工場で、自分がそれを望んでいなかったからだ。あなたの工場はあなたの望むままというわけだ。耳と目と口をふさいで、まっ暗な砂漠にうずくまって、明かりを消した灯台に閉じこもっているうちに、脳みそが退屈しのぎにつぎはぎだらけのテープを回した。この場所も、彼女も、そうやって現れたにすぎないのだ。その彼女が、しかし自分の意に沿わない選択肢を忍ばせたのは、それを捨てきれないと知っていたからなのだろう。彼女が知っていたということは、つまり自分が知っていたということにほかならない。
 彼はずっと前から知っていた気がした。まちがった望みをいたずらに膨らませていたことを。
 窓の外はすっかり明るくなっていた。彼は最後の一台を作り上げた。スイッチを入れると、少し間を置いて彼女の声が聞こえた。

 ひどい。

 彼女は言う。ここはどこだとか、お前はだれだとか、記憶喪失みたいなことを言って、わたしの言うことをあまり聞いていなかったでしょう。本当は全部聞こえていたんだから。
 彼は黙って聞いた。
 でも、これがあなたのラジオなら、仕方ないね。彼女は続けた。結局戻って来ちゃったけど、それでいいのね。
 きみに会いに行くよ。彼はうさぎのラジオに向かって、はっきりとつぶやいた。
 そこでなにか言っても、こっちには聞こえないよ。彼女はいたずらっぽく笑いながら言った。さようなら、ニュースの時間です。
 ラジオからなんだか難しい女の声が聞こえてきた。彼女の声ではない。彼はとにかく不快だと思った。いらだたしいほど現実的だった。頭の中でテープリールの回転が止まる音がした。
 会いに行くよ。
 彼はラジオを手に持ったまま部屋の外に出た。ドアのすぐ外で立ち止まって、あたりを見回した。廃坑のような廊下が続いている。細長く切り取られた空はどぶのように黒くよどんでいる。空の下には森の木々はなく、隣の建物の煤けた壁や割れた窓があるだけだ。見慣れた眺めだが、ガスマスクのレンズで隔てずにじかに見たのはまるで生まれてはじめてのように感じられた。歩きだそうとして、そこでなにかを踏んだことに気がついた。卵の殻だと思った。とても大きな生き物の卵の殻だ。たとえばあの巨大うさぎのような。しかしうさぎの卵なんて聞いたことがない。足もとに目をやると、そこには砕けたポータブル・ラジオの残骸があった。残骸はにじんで、水に沈んでいった。毒の火山からの灰とガスのせいで目と鼻がひりついて、ざらついた涙があふれ、止まらないのだ。部屋に戻ってガスマスクを着けなければ。着けて、それから、着けなくてもいい場所へ行かなくては。彼女がいる場所では、きっと必要ないだろう。彼女はきっと素顔のままマイクに向かっているだろう。
 彼はうさぎのラジオを握りしめた。ラジオは互いに脈絡のないいくつかのできごとを無理につなげて、こちらに押し出している。


(はじめましての雑文を)

 二か月のあいだ拙作にお付きあいいただき、ありがとうございました。
 また、こんなすてきなサイトのすてきなページで好きに書く機会をくださったアパートメントの管理人さん、紹介をしてくださったFさんには、いくら感謝してもしつくせません。ありがとうございました。

 いまさらですが、当番ノート第七期の金曜日を担当させていただきました野村と申します。
 今回のお話は学生時代に制作したものを下敷きに、といっても題名と「隔離された場所でラジオをこしらえる」という点を除いてまったく新しく作り直したものですが、少しばかり当時を思い出してみても、十年以上前から物事のあいだの距離、隔たりを問題にしていたのだな、と、なんとなく可笑しく思う次第です。今回については主たる問題ではないけれど、とあえて申しあげますが。
 それにしても隔たりというのはおかしなもので、たとえば、あなたはこれからごはんを食べるとしましょう。右手と左手が離れていてその距離を1とすると、それを0にしていただきますと両手を合わせるためには、その前に0.5にしなくてはなりませんね。でも0.5にする前には0.75にしなくてはなりません。0.75にする前には0.875に、その前には0.9375に……と、おかしいな。有限の速度で無限の点の一々を経過しようとしていては、いつまで経ってもいただきますができませんね。おあずけです。でもそんなことをしていたのではお腹が空くから、とにかくむりやりにでも手を合わせていただきますを言って、僕らはごはんを食べるのです。恐るべし空腹。
 もっとも、プランク長というのかは浅学にて存じませんが、ちょうど今あなたがご覧のモニタのように世界がいくつかの(といってもコズミックに膨大な)ドットで構成されているとするなら、空腹に頼らなくても解決なんですけどね。また、時間についても距離と同じことが当てはまるのですが、この場合はドットを刹那と言い換えると便利かと。
 隔たりというのは人と人のあいだにもあって、詰めすぎてお辞儀するときにおでこをぶつけてしまうと間抜けと呼ばれる、あれですね。もちろん文と文、語と語のあいだにもあって、ときどきしょっちゅう崩壊しては僕を悩ませてくれます。
 と、まあ、与太話ばかりですね。らちがあかないな。なにか確定的な警句めいたことを言えないから問題にしつづけているのですが、いつまで経っても消化できないのですよこれがまた。

 けど、そろそろ別の問題も考えないとね。
 というところで、そろそろおいとましたいと思います。
 またどこかでお目にかかれることをお祈りします(呪いのように一方的に!)。ごきげんよう。
 祈り/呪い/嘆き/笑いの四象限に稚児が落書きをしたあまねく人生に、スリー・チアーズをかましつつ。