ラジオ 第二話「この町のこと」

第7期(2013年2月-3月)

 では、参りましょう。

 二人の男は彼の前後から同時に言う。
 彼と二人の燕尾服の男は一列に並んで座っている。それぞれ手に手綱を握り、緋色の布でできた柔らかな鞍に座り、うさぎの背中にまたがっている。うさぎは白い背中に三つの小さなぶちをつけているようだ。
 朽ちかけたアパートメントを後ろに残し、すすけた建物のあいだの狭い通りをうさぎはゆっくりと歩きだす。その背中で彼は思ったより大きく揺すられ、あわてて手綱をつかみなおす。バランスを整え、ガスマスクの中でため息をつく。ラジオで人さらいが横行しているというニュースを聞いたのは一年ほど前だったか。今も変わっていないのだと彼は思う。この町は、きっと、人をさらうにはうってつけなのだ。毒の火山が噴火したために人が寄りつかず、わずかに残った住人がいなくなったとしても避難したか行き倒れしたか、あるいは誘拐されたかはだれにも判別できず、そもそもいなくなったことに気づく人もいるかどうか疑わしい。この一年のあいだ、それはひどくなる一方だった。人さらいにとって問題は獲物の枯渇ぐらいだろう。
 彼は二人の燕尾服の男を人さらいだと信じながら、抵抗はまったくしなかった。巨大なうさぎになにをされるか分かったものではなかったし、それほど町に留まっていたいわけでもなかったし、工場とやらで労働させるからにはただちに命を取るわけでもないだろうと思えた。それに、なにより、ポータブル・ラジオを破壊されたことで彼はめげていた。抵抗どころではなかった。うさぎの背中で揺すられながら、彼は潰されたラジオの姿を思い浮かべる。窓も壊されたことを思い出し、ますますめげる。
 うさぎは大通りに出ると、後ろ足を揃えて跳ねる。跳ねる。だれもいない町を、スピードを上げて跳ねていく。彼はますます大きく揺すられ、弾かれるように体が浮く。乗り心地は最悪だ。うさぎの足の下で地面が震え、低く響く。手綱にしがみつきながら、彼は地震の夢を見た理由を悟る。眠りながらこの振動を感じとり、それであんな夢を見たのだ。
 二年前、地震が起こった。海の近くや平野は津波に飲まれた。この町の近くでは毒の火山が噴火し、そのせいで町から人が減っていった。彼は上下に激しくぶれながら流れ過ぎる町並みを見送り、ただ、だれもいないな、と思う。
 毒の山ができたのは彼が生まれるずっと前だった。当時この町は都会ではないためにどうしようもなくさびれていて、ちょうど今と同じように、消滅する寸前だった。だからやむをえない選択だったらしい。この町の人たちは都会の毒を引き受けることにしたのだった。集められたあらゆる毒を近くの山の地中深くに捨てはじめると、町に働く口ができ、働き手たちが集まってきた。町は賑わいはじめた。町には毒の山で労働する人たち、その人たちに向けた商売をする人たち、そしてそれらの人たちの家族しかいなかった。彼もその中の一人だった。父親は労働側で、母親は商売側だった。ありふれた組み合わせだった。それぞれの人の生活のすべてが、家庭のすべてが、町のすべてが、毒の山を中心に形成されていた。町の人たちは毒の山のことを単に山と呼んだ。そういう場所で彼は生まれ育った。
 今から九年前、彼は都会にある大学へ進んだ。しばらく都会に住んでみると、山の労働も町の商売もつまらない仕事に思えた。彼の友人たちも同じだったらしく、みな町を離れ都会へ移っていった。彼だけがそうしなかった。特に理由があったわけではないが、大学を卒業したあと、町に戻った。といって山の労働をするという気も湧かず、スーパーマーケットでパートタイムの仕事をしはじめた。町に同世代の友人や知人はいなかった。地震の前から、彼にとってはだれもいなかった。
 うさぎは町を飛び出し、草原を駆けていく。ますますスピードを上げていく。彼はうさぎの背中に伏せて手綱にしがみつく。横手に黒々とした毒の火山が見える。灰色の噴煙をたなびかせている。
 地震が起こったのは、彼が町に戻った三年後だった。大きな地震だった。彼はスーパーマーケットにいた。品物の棚が崩れ落ちたが、彼自身は無事だった。ひしゃげた缶詰をいくつか持ち帰った。父親の建てた小さな一軒家もさいわい無事だった。しかし彼の母親は勤め先の商店の倒壊に巻き込まれ、町とこの世から去っていた。ラジオはその直後数日にわたって沈黙したが、息を吹き返した後は盛んにニュースを伝えた。彼は津波のために海沿いや平野の町が破壊されたことを知った。ラジオは被害状況を伝えた。救助活動の様子を伝えた。避難した人たちの様子を伝えた。毒の山が噴火したことを伝えた。彼の父親は最初の噴火に巻き込まれ、山とこの世から去った。ラジオによると、噴火は地震によって地中の状態が変わったために起こったらしかった。町の住人のほとんどは散り散りによその土地へ避難していった。彼は行くあてもないので留まった。一人で暮らすことになった彼は、古いアパートメントに移った。それからラジオの警告に従ってガスマスクを求め、つねにそれを着けて生活するようになった。住人が減りすぎたためにスーパーマーケットは閉店した。彼は残った保存食を買えるだけ買いとった。ラジオはニュースを流しつづけたが、毒の火山による被害は全容がつかめなかった。放送のたびに異なる数値、異なる見解、異なる事実が報じられた。やがて毒の山に関する汚職が、密約が、捏造が、情報操作が、溶岩流のように明るみに出た。地底にため込んだ以上の毒が吹き上がった。ガスマスクをかぶった彼は、耳から侵入する毒も嫌った。彼はニュースを聞かなくなった。ラジオの放送がニュース番組になると反射的に周波数を変える習慣が身についた。ただ害のないポップ・ソングだけを聞いていた。ガスマスクは彼の体を、ラジオは彼の心を防護した。
 うさぎは風を切って草原を駆け、川を飛び越え、雪の積もった白い森に入っていく。森には背の高い木が多い。木の上から雪のかたまりが落ちてきて、彼の頭に当たって卵のように割れる。彼は寒さのためにマスクの中でずっと奥歯を鳴らしている。
 うさぎは森のずっと奥へ入っていき、ふと立ち止まる。ゆっくりと自分の足跡を踏んで後戻りし、そこから大きく横へ跳ね、すばやく駆けだす。その背中で彼は激しく揺さぶられる。うさぎの背中の毛のあいだに顔を埋め、ただ手綱から手を離さず、うさぎの一部になる。
 やがて、聞いたことのない声が聞こえる。お疲れさまでした。
 続いて別の聞いたことのない声が聞こえる。到着しました。
 いずれもはっきり響く声だ。どうやらうさぎは動きを止めているらしいが、彼の頭の中はまだ揺れている。彼は手綱から離した手を頭に当て、ようやく顔を上げる。ずれたガスマスクを直し、前後に順番に向ける。燕尾服の男たちは二人とも横向きに座り、ガスマスクはもう着けていない。二人ともまったく異なる顔をしている。きつねと、たぬき。一人は面長で、もう一人は丸顔だ。二人は同時に彼に言う。

 ここが工場です。

(第三話へ続く)