ラジオ 第四話「灯台守」

第7期(2013年2月-3月)

 彼は食事を済ませたあと、食堂で見つけたうさぎのラジオを部屋に持ち帰る。
 作業机には彼の作った六台のラジオが一列に並んでいる。その手前に、彼は持ち帰ったものをそっと置く。七台とも同じもののように見える。彼は椅子に座り、ガスマスクの下で腕を組む。七台のラジオをじっと見つめたまま考える。あの女も、自分と同じように、どこかから連れてこられたのだろうか。ほかにも連れてこられた人はいるのか、それとも彼女だけだろうか。いつまで着けているの、か。
 いつまでだろう、と彼は口の中でつぶやく。そしてそれを払うように、女の残していったラジオのスイッチを入れる。遠くからひそやかに波の音が聞こえ、それから女の声が聞こえてくる。声の主は、まさか食堂にいたあの女だろうか。彼は明らかにばかげた考えだと思いながら、それでもそれを確かめようと、ラジオに耳を近づけ目を閉じる。声は彼のそばで静かに語りはじめる。

 目が覚めたか、よかった。

 その人は海のお顔でわたしの顔をのぞき込みながら、静かな声で、そうおっしゃいました。わたしは目を開けるずっと前から、おかしいな、と考えていたのでしたが、目を開けてみて、その理由が分かりました。その人のお顔は輪郭のうちが海を望む窓のようになっていて、そこでは、岬の断崖に波が当たって割れる姿がうかがえます。荒々しい水の音が遠くから響いてきます。その音を聞いて、ずっと、おかしいと考えていたのでした。波の音が聞こえるなんておかしいでしょう。なぜなら、わたしは砂漠のまっただ中にいたのですから。
 砂漠。ああ、思い出してきました。わたしはオアシスの町から逃げ出したのでした。結婚がいやで逃げ出したのです。どうか、そんな下らないことで、なんておっしゃらないでください。そうおっしゃるかたは、だれでも、お父さまと同じです。お兄さまと同じです。
 わたしは砂漠を歩いていたのでした。赤い夕焼けに染まる町を抜け出して、粒子の細かな砂の上を歩いて、長く伸びる影を踏んでひたすら歩いて、灰のように崩れる砂の丘を登って、いくつも登って、いくつも下りて、震える膝を手で押さえながらまた登って、振り返るとオアシスは見えなくて、すぐ後ろの丘も夕闇にまぎれていて、次の丘に向かおうとして転げ落ちて、死んだラクダのように重い足を引きずって、できるだけ遠くで死んでしまいたくて、歩いて、歩いて、いつの間にか遠くの赤い光を見つめていて、空に星がいくつも出ていて、空いっぱいに笑うようにきらめいていて、それに気づかずにいたことがどうしようもなくおかしくて、なのにお腹に力が入らず、からっぽの水袋がしぼむような声しか出なくて、それから、それからどうしたのでしたか。途中の記憶が抜けている気もしますが、砂丘の上に座ったのだと思います。砂も、風も、とても冷たかった覚えがあります。わたしは膝を抱え、顔を伏せ、目を閉じたのでした。少しだけ眠ろう、起きたらまた歩こう、そう思ったのでした。
 ですから、わたしは砂丘の上で眠っていたはずなのです。でも、ここはまったく様子が異なっています。海のお顔をしたその人がわたしをここに連れてきてくださったことは、すぐに分かりました。わたしはその人になにかを尋ねようとしましたが、適当な言葉が思い浮かばず、また声もうまく出せず、あなたは、と絞り出した声はまるで自分のものでなく、見ず知らずのお婆さまの声のように思われるのでした。そうして喉が剥がれそうになって悔しくせき込むわたしに、その人は、物静かな声で灯台守と答えたのです。
 わたしは体を起こそうとしましたが、自分で自分の体を支えられず、その人が手を貸してくれて、それでようやく毛布の上に座りました。海のお顔がとても近くにありました。岬が遠ざかって見えなくなり、夕日に赤く染まる砂浜が近づいてきました。やしの木も立っています。柔らかに泡立つ波の音が漂ってきます。
 その変化が、わたしにはなんだか恐ろしく思えました。正直に言いますと、気色悪くも思えたのです。わたしは自分の体がこわばっていることに気づき、それを隠そうとして身を引いてしまいました。とっさにその人を拒むような言葉を口にしたかもしれません。
 その人はわたしの肩を離し、かげろうのように立ち上がり、ゆっくりとわたしから離れていきました。部屋の中央ではかがり火が焚かれていて、壁や天井を照らし、温めています。その人はかがり火の向こう側に立って、困惑しているようでした。炎が小さく揺らめくと、影は大きく揺らめき、まるで空へ向かって力いっぱいに嘆いているようでした。
 なんということをしてしまったのだろう、わたしはそう思いました。求められてもいないものを拒むなんて、みっともないことです。そうやって人を傷つけておいて、それで人の気持ちをはかるなんて、あさましいことです。わたしはみっともなく、あさましいのです。その点、その人は清らかで、高潔です。その人がわたしを救った恩を笠に着ていないことは、はじめから分かっていたのです。なのに、わたしはずるい気持ちを持って、ことさらにふらつきながら立ち上がり、その人のもとにすり寄りました。足がもつれたふりをして、その人の胸にしなだれかかりさえしました。そんな手管をどこで覚えたのかだなんて、そんなことは、お答えできません。まるで手足が勝手に動くようでした。

 ずっと、一緒にいてほしい。

 その人はわたしの肩をつかみ、手に力を込めながらおっしゃったのです。その言葉を聞きながらわたしはうなだれ、額をその人の胸元に預けました。このやましい企てがうまく運んでいることが恐ろしく、震えをこらえることしかできません。
 その人は続けておっしゃいます。きみは遠くへ行きたいのだろう、戻りたくないのだろう。
 わたしはその人の胸へ、そのまま額を押し当てます。
 連れていってあげよう。その人の声は潮騒に溶けそうなほど優しく静かです。
 わたしは顔を上げ、その人を見上げました。穏やかな岬の海のお顔を見て、おっしゃる意味を理解しました。わたしはその人のお顔に自分の顔を寄せ、目を閉じ、その人の輪郭をくぐりました。
 そうしてわたしはふたたび目を覚まし、毛布の上に体を起こしました。先ほどよりもうまくできました。今や波の音は大きく、はっきりと聞こえます。しぶきの混ざる風の音も、砂漠の風とはまったく異なって聞こえます。かがり火は消えて、白い煙が細く立ち昇るばかりです。ちょうど灯台守のその人が消したところでした。その人はかがり火の台座の横にかがんでいて、すぐにわたしに気がつきました。

 やあ。

 声を響かせほほえむそのお顔は、もう海ではなく、砂漠でもなく、その両方を乗り越えてはるばるやってきた優しげな表情をしていました。
 わたしは立ち上がり、窓のそばに歩み寄りました。窓から見えるものは、すっかり夜の明けた空と、見渡す限りの海だけです。海は砂漠のように静かです。もう戻ることはないのだと思うと、涙が止まらなくなって、わたしは少し困りました。

(第五話へ続く)