ぼーっとしている。

第9期(2013年6月-7月)

1

2

ぼくらの生きるこの世界は

捉え方で、見え方で、伝わり方で

どうにでもなるし

どうにでもなってしまう。

結局ぼくらは、自分が可愛くて仕方がない。

現代をある程度不便なく生きれている人は、

そんな思考が、どこか頭の片隅にあるはずだ。

もしくは、片隅にも置けないほど忙しくしているか。

世間体、立場、環境、在り方、居場所、偏見、生き方、存在することについて。

あらゆるテーマが転がるさなか、

ぼくらは、いつの日か産まれてきた。

ぼくらはそのとき、当たり前のように産まれてきた。

自分に似合ったことを言って

自分に似合った居場所を探して

なんだかわからないうちに、自分に似合った生活を送る。

we

すごく大きな夢を抱くひともいるし、

ただ坦々と過ごしたいひともいる。

自分のエゴを他人のエゴと言うひともいるし、

見当たらないくらい無垢なひともいる。

「良くあること」とか「ありきたりなこと」とか

「普通」とか。

世の中の大半はそんなメディア語録で

「良くあることで、ありきたりなことで、普通なこと」になってるけど。

本当はみんな一緒で、同じで、なんら変わりない。

同一で、単一で、並列な輪っかなんだ。

予想を遥かに超える出来事は簡単に起きるし

予感に携わる出来事はいずれ向こうからやってくる。

ぼくらはここにいる以上、

ここにいることしか出来ないんだから。

3

唯一ぼくが、大切に感じる時間帯がいくつかあって

それは人それぞれ見事に違うと思うから、具体的には言えないけれど

「時間の流れがほんの少し、滑らかになるとき。」

そんな描写を僕は、大切に噛み締めたいと思ってるし、

そうしてる。

5

だけど、その一方で

時々、ぼーっとしてる時にふと思うことがあって。

ぼくらはずっと、ぼーっとしているんじゃないかって。

その「ぼーっとしているフィルター」みたいなものが

自分のどこかに挟まって、

そんなぼーっとした世界を見ているんじゃないかって。

そんなことを思うんです。

ぼーっとしている、そんなときに。