「あたたかさ」のベクトル -後編-

第10期(2013年8月-9月)

「あたたかさ」のベクトル -前編-

夜はあまり寝付けなかった。

簡単な朝食を食べて、家を出る。父親に運転を頼んで、富岡へ向かった。

スピーカからは平賀さち枝の「ギターもマイクもない場所へ 私をさらってゆけば良い 遠い田舎のまちが良い」と小さく優しい歌声が聞こえてくる。今の気分にぴったりだな、と思った。いままで私の聴く音楽にはあまり賛同しない父親であったが、珍しく「良い歌だな」と言った。「でしょ。ライブはもっと良いんだよ。毎回曲のスピードもメロディのアレンジも違って新鮮だし、何より切なげに歌う姿がとびっきりクールなの。そんでMCがすごく愛らしくて——」ついつい私は熱くなる。
途中、フロントガラスの遥か向こうに二つの山が小さく見えた。「いわきの山登りたちはみんなあそこからスタートするんだよ」と父親は言う。私もあの山を登れば、悩みの一つや二つどうでもよく感じられるだろうか。登山のことは全く分からないけれど、きっと山頂で食べるおにぎりはさぞかし美味しいのだろう。

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相変わらず草野心平記念館の屋上からの眺めは最高に良かった。
めいいっぱいに深呼吸をする。しかし今となっては「空気が美味しい」などという表現が憎い。そうそう、甲子園で優勝した前橋育英の校歌を作詞したのは、草野心平だ。

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ぐねぐねとした一本道をひたすらと行く。小さなナビを指差して「最近手に入れたんだ」と話す父親はとても嬉しそうだった。私がまだ小さい頃、ナビ無しで目的地にちゃんとたどり着ける父親が、私の目にはとてもかっこ良く写っていたことを思い出す。とうの私は、車にあまり興味がない。

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夜ノ森の桜並木を通った。その通り沿いに、たまごの直売所があった。まさかと思って車を降り近づくと、「うみたて」のたまごは無惨にも破裂していて、異臭を放っていた。このあたりから先は2年前から時間が止まっている。

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3月の2週目は冬だろうか。それとも春だろうか。
きっと大感謝しきれぬまま、まるまる2年が経ったのだろう。

車の中ではテニスに関する思い出話をたくさんした。中学と高校の6年間、練習やら強化合宿やら試合やらで、富岡や大熊のテニスコートにはほとんど毎週のように通った。ひとがそのまま入っちゃうくらいに大きいテニスバッグに、ジャグと呼ばれる大きな水筒、そしてアイシング用の氷と絞ったタオルが入ったクーラーボックス。これらを抱えて歩いた富岡駅からコートまでの道は、今でも鮮明に思い出すことができる。

そうこうしているうちに、富岡駅に着いた。駐車場にはたくさんの車が停まっていて、そのほとんどが県外のナンバーだった。そして、みんなそろって崩れたところをスマートフォンでバシャバシャ撮っていた。この光景が良いとも悪いとも言わないけれど、普通じゃあないな、と思った。

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私はこの一枚を撮影して、カメラをしまった。
線路は雑草で埋め尽くされていて、どう考えても不自然すぎる場所につぶれた車が置き去りになっていた。
ホームに腰掛けて、いろいろなことを考える。ここをまた電車が通れるようになるのは、どれくらい先のことだろうか。まだiPhoneの無駄に大きいシャッター音は鳴り止まない。

テニスコートへ向かった。

丁寧に並んだ6面のコート——まっすぐに並んだ無人のテニスコートが好きで好きでたまらない——に、強化合宿で泣きながら声を出した2面のドームコート。私はこのドームコートが好きだった。打球音がよく響いて、上手くなった気分になるからだ。そして、はしゃいでお弁当をひっくり返したクラブハウス。ドーム入り口のひび割れを除いては、3年前と変わらずだった。
私のテニス人生はこのコートと共にあった。東北・全国大会を決める大事な試合は、いつもここだった。ライン際はひどく劣化していて、そこにボールが落ちるたびにバウンドが変わった。当時はそれらにイライラしていたものだが、今ではこんなにも愛おしい。
それらがそこに存在していることに、私は安心した。

しかし、テニスコートの隣にある、試合前後に外周を走った野球場は、変わり果てた姿をしていた。

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こういうものを観ると、自分の目視単位を疑う。

なぜだろう。自分が育ったところで起きた出来事なのに、なんだか別の場所にいるような、まだ夢の中にいるような、そんな感覚が抜けない。それが震災直後に上京したからなのか、単純に心のどこかで現実を避けているのか。なぜなのかはよくわからない。ちゃんと向き合うべきであることは分かっているが、思い出すだけで心臓の奥が痛くなるし(たぶんこれはみんな一緒だと思う)、いざ書こうと思っても思うように指が走らない。そしてなにより、知識が乏しすぎる。だから私は、震災当時のことや原発のこと、3.11のことを直接的に語ることはできない。いまはこれが精一杯だ。

話を変えよう。いわきの小名浜——海が近い、シンプルで美しいまちだと思う——というところに、「UDOK.」というオルタナティブスペースがある。今回は予定が合わず行くことができなかったのだが、私はここがとびっきり好きだ。何より名前が最高にクールだと思う。「晴耕雨読」の雨読からその名前をとったもので、「晴耕=昼間の本業」と「雨読=本業以外の活動」を相互に補い合いながらよりクリエイティブで豊かなライフスタイルをつくろう、というコンセプトらしい。まだ一度しか行ったことがないし、「UDOK.」が何をする場所なのか正直よくわかっていない。だけど、いわきにああいう場所ができたというのは大問題(もちろん良い意味で)だと思っている。なにかが始まる予感がして、興奮が収まらないのだ。

6月に、そのUDOK.主催の小名浜工場夜景撮影バスツアーに参加した。レポーターの小松さんの案内のもと、ちょこちょこバスを走らせながら、小名浜を練り歩く。小松さんはいろいろなことを話してくれた。そこで私は痛感する。
「私、いわきのこと何も知らない」
なんだか悔しかった。それと同時に、小名浜のことをこれでもかと愛でている小松さんはとてもカッコいいなと思った。

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小名浜港を一望できる展望台からの眺め。

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小名浜の工場夜景はとんでもなく美しかった。新宿などで見ることのできる残業の象徴——タイピングして気づいたがひどい表現だ——だけが夜景だと思っていた私は、ひどく感動した。

「いわきのこと、もっと知りたい」
帰省をするたびにそう思い、東京行きのバスに乗り込むのだった。
ここで。上京当時は「東京に戻る」というふうに、東京へバスを走らせる際には意地でも「帰る」という単語を使わなかった。けれどいまは、ごく普通に「東京へ帰る」と言う。というよりも言いたいんだと思う。いわきの家も杉並区の家もどっちも自分の家だ。こう文字にしちゃえばつまらなくなってしまうのだけど、いまはどちらも均等に愛せている気がする。東京に2年と少し住んで、なにか気の持ちようが変わった気がする。それは日本語では上手く表現することのできない部類なんだと思う。
その感覚について、いまはじっと考えている。

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(前述したように、「UDOK.」に通い詰めている訳でもなければスタッフの方と特別親好が深い訳でもない。とにかく行ってほしいのだ。これはただのおせっかいである。)