四人と一匹はリビングで眠る -後編-

第10期(2013年8月-9月)

四人と一匹はリビングで眠る -前編-

あまりひとに教えたくないくらいに、気持ちのよいクラシックの聴き方を私は知っている。

ピアノ教師をしている母親は、仕事をするとき決してファッションに気を抜かない。PINK HOUSEが大好きで、毎日かわいい服を着てレッスン室へ入って行く。その「きっちり感」が好きで、少し尊敬していた。普通なら、「いい年してまた——」と言いたくなるところだが、似合ってしまうから不思議なのである。

二階にある自分の部屋でひとり宿題をやっていると、一階のレッスン室からは生徒の何度繰り返しても同じところで躓くピアノの音と、ときどきたまに母親の厳しい声が聴こえてくる。 そんな音と声が、勉強中の丁度いいBGMになっていたということ、母親は多分知らないのだろう。これほど心地の良い音漏れは、この家のほかでは聴くことが出来ないのではないかと思うほどだった。

中学に入る辺りから私は空気を読むということを覚えて、レッスン中の母親の声のふんいきで晩ごはんがなんとなくイメージできるようになった。母親は、生徒の出来がよかった、あるいはレッスンが上手くいったときはふんふん鼻歌を歌いながらキッチンに立つ。そのほとんどがクラシックで、母親の好みがよくわかる。どうやら母親はサンサーンスが好きらしい。良い趣味をしているなと思う。もっぱらその逆のときは少し大変なのである。父親も姉も私も、まるで高価な陶器を扱うように神経を研ぎすまし、細心の注意をはらって話しかけることになる。ラブラドールのジャスミンもそれが分かるのか、いつものようにおやつをねだることなくハウスにぴったりと収まるのだ。

反抗期ど真ん中のころ、母親とはよく喧嘩をした。夜中に起こされて説教を受けるのは木村家の定番だった。揉める原因が、お使いを頼まれた私が鳥肉と豚肉を間違えてしまったことだったり、お風呂を洗うのを忘れてしまったことだったり(風呂掃除は私の担当である)、まゆげを剃ってしまったことだったり、読もうとしていたジャンプが揚げ油を吸い取るのに使われていたことだったり、いま考えると笑ってしまうようなことばかりなのだけど。いまでは仲が良くて、揉めることもほとんどなくなった。あえてほとんどと言うのは、つい最近母親がある海外メーカーの化粧品を大量に取り寄せはじめたので、「それねずみ講だよ」と忠告をしたことにより揉めたためである。原因がしょうもないのは相変わらずだった。拗ねる母親はなんだか可愛い。

ときどき深い深い追憶の中で目頭が熱くなる。これを書いている今もまさに。どれだけ苦労かけたか想像すらできないのに、なにをするにも反抗して、本当にバカだったなぁと思う。ただねぇお母さん、説教中にいきなり寝るのはやめてよね。

トイプードルのウェンディが来る前は、ラブラドールのジャスミンを飼っていた。ジャスミンは私の小学校入学と同時に我が家へ来て、高校三年の誕生日に脳の病気で倒れて、高校の卒業式の日に天国に行った。なにをするにも一緒だった。
数か月後、我が家にウェンディが来た。ウェンディは、ジャスミンと違って少し頭が悪い。けど、とびっきりかわいい、愛くるしい、抱きしめたい今すぐに! 帰省して久しぶりの再会をしても、私をみると警戒心からかひたすらに吠えまくる。一日一緒にいてようやく私のことを思い出すようだ。思い出したら最後、とことん甘えてくるのだ。リビングで本を読んでいるとお気に入りのうさぎのぬいぐるみを咥えてこちらを見つめてくる。それでも私が本からから目を離さないことが分かると、ちょこんと肩に乗ってくるのである。こんなことされたら、トイレの場所を間違えてしまったことも許してしまう……。憎い、悔しい。とにもかくにも、私のことを早く覚えてほしいものだ。

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6歳離れた姉は、少し前まで保育士をしていた。というのも、姉は最近結婚して、仕事を一時的に辞めたのだ。今は旦那さんと千葉で暮らしている。
きっとその辺の誰よりも子どもが好きで、誰よりも子どもに愛されているなと思う。姉はよく、食卓で子どもたちの話をしてくれた。その話はどれも微笑ましくて、部屋が優しく明るくなる気がした。
姉はとても強かった。いつも元気で男っぽい性格で、少しだけ声の大きい姉は、臆病で本を読むのが一番の楽しみだった私とは正反対だった。もちろんファッションも好きな音楽も正反対。そのため、二人で車に乗るときはBGMの選曲で小さな戦争が起こる。そして大抵、私が一歩下がることになるのだ。

私がまだ小さいころ。家に帰るとよくグランドピアノの下にもぐって体操座りをした。姉が練習するピアノ、特にラヴェルを聴くのが好きだった。中でも姉の弾く「水の戯れ」はとびっきりよくて、なんども弾いてもらった。じっとしているとラブラドールのジャスミンが寄ってきて、私の隣にいつもより丁寧にお座りをする。一緒にピアノの音を聴くのだ。グランドピアノの下は、普通に聴くよりも少しこもったもわもわとした音がする。まるで水の中にいるような心地がして、とても気持ちがよかった。
同じ曲をなんどもなんども練習するから、知らずのうちにメロディを覚えてついつい鼻歌で歌ってしまう。その度家族に「あんたはよくすぐにおぼえるねぇ~」と言われたことを思い出す。
あったりまえだ。お姉ちゃんが毎日何時間も練習してたのを、私は知っているから。

先日、入籍したての姉夫婦が渋谷にいると聞いて会いにいった。旦那さんに会うのは初めてだったので、「木村です」と自己紹介をした。
そうしたら、「木村です」「木村です」とふたりから返ってきた。
結婚なんてイマイチイメージがわかないけれど、多分きっと、とても幸せなことなのだと思う。

今度の週末に、実家に帰ることにした。もうしばらく姉の弾くピアノは聴くことが出来ないけれど、一刻も早く、レッスン室からの音漏れと、あの今にも壊れそうなCDコンポで、サンサーンスとラヴェルとドビュッシーを聴きたい。