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2F/当番ノート

ベランダ

当番ノート 第10期

はじめて自分の部屋を持ったのは、小学校五年生の時だった。
それまで住んでいた富山から引っ越してきた、神奈川の一軒家。二階には家族の人数と同じ、五つの部屋があって、まず一番広い部屋が父の、二番目に広くて、鍵のついた部屋が上の姉のものになった。
残ったのは和室と、東向きの部屋と、ベランダのある南向きの部屋。和室は他の二部屋に比べて少しだけ狭い。この三つの部屋を母、もうひとりの姉、僕で分け合うことになる。
母は狭くてもいいと和室を選び、姉はどちらでもいい、という感じだったので、僕はベランダのある南向きの部屋を選んだ。

僕は最初からベランダのある部屋を狙っていた。まさに望み通りになったわけだ。
理由は確か、星が見たかったとかそんなものだったと思う。今も星を見るのは好きだし、小学生らしいじゃん、イイね昔の俺!と思うけれど、現実はそうロマンチックでもない。
まず、うちのベランダは狭い。ベランダ自体が狭いというより、そこから見える空が狭い。色々なものに四方を遮られて圧迫感さえ感じるほどだ。住宅街だから目と鼻の先にお隣さんの家があるし、備え付けの物干し台やエアコンの室外機も邪魔だった。
次に、神奈川の外れの方とは言えほとんど星が見えない。富山の市街地からのほうがよっぽど沢山の星が見えたのだ。
そして、ベランダには母が毎日洗濯物を干しに来た。家族五人で暮らしていれば洗濯をしない日の方が珍しい。一般家庭のベランダは星を見るためにあるのではなく、毎日の洗濯物のためにあるのだった。
もちろん、夜に干すわけではないから星を見るのには関係ないのだけど、ベランダに行くためには僕の部屋を通らなくてはいけないから、日中、自分だけの、確実に干渉されない時間が保証されない。
小学生の時点で自分の部屋を持っていない人もいるのだし、ある種贅沢な悩みなのかもしれないけど、選択を誤ったなあ、という気持ちは絶えずどこかでくすぶっていた気がする。
その気持ちは年を重ねるごとに大きくなっていった。まあそれは心の成長のせいというより体の成長、気兼ねなくエロ本読ませろ!という欲望に反抗期が絡まったやつのせいだから、大した話じゃないんだけど。

中学生になったある日の明け方、僕は階下から響く怒声で目を覚ます。
物音をたてないようにベッドから抜け出て、姉の部屋へ向かう。そこには不安と、またか、という気持ちが入り混じった表情を浮かべたふたりの姉がいる。僕も多分同じ表情をしていたと思う。
家族みんなが寝静まったあと、こっそり飲みに出かけた父が、理性が飛ぶほど飲んで帰ってくるのだった。(今はもう全くないけれど)僕が中学生くらいの頃まではこういうことが頻繁にあって、週末の夜は寝るのがとても怖かった。
父の乱暴にはだいたいの流れがある。まず、日ごろの鬱憤を派手に撒き散らす第一ステップ、引くに引けなくなっている数時間の第二ステップ。第三ステップでやっと父は疲れて眠り、起きてきた時には父はどこか居心地の悪そうな顔で、子供たちは腫れ物に触るような態度で、なんとなく外食などをして、なんとなく忘れようとする。バリエーションはいくつかあるもののそれがいつもの流れだった。
今回もいつもの形式を辿るのだと思っていた。でも、その日は違っていた。疲れ切った母は、もう家族のかたちには戻れないと思ったようだった。

これまでも離婚を示唆する場面に立ち会うことはあった。でも、それは喧嘩の最中の話だ。なんとなくの外食を終えても母の気持ちが戻ってこないのは、その時がはじめてだった。
お母さんとお父さんのどっちと暮らすのかと聞かれた。養育費がどうとか、そんな話も耳にした。でも、その段階まで行ったけれど、結局僕たち一家は離散しなかった。
各々に思うことがあり、心の中で静かに距離をとった者もいた。でも外観として、僕たちは家族のかたちを保った。

なにが家族を繋ぎとめたのだろう。父が母を必死に説得したとか、子供たちの涙がとか、そういうものではなかったはずだ。そうじゃなくて、もっと収束しようとするもの、日曜日が月曜日になるようなもの、岸辺へ戻ろうと泳ぐ持久力に、潮の流れがたまたま味方した、それだけのことだったのだと思う。

この出来事のあと、父は飲みに出ることをぱったりとやめ……たわけではなかった。それからも、真っ赤な顔の父に叩き起こされたこともあったし、誕生日を地獄絵図にされたこともあった。
でも、そもそも父が飲みに行くのを責められるほど子供たち(いや子供“たち”というか、僕だけか)もまっすぐ育ってはいないし。心配も迷惑もたくさんかけてるし。小さい頃は酒を飲んで暴れる父は絶対的な恐怖でしかなかったけれど、大人になるにつれてその捉え方は徐々に変わっていった。それは、家族というものの有機性を理解するのと同時だったように思う。父の乱暴は生来の酒癖の悪さのせいだけではなく、家族のなかにも引き金はあった。その引き金は、誰々が悪いなどと言いきれる問題では決してない。でも、父は酔うとそれらを踏み潰すことを考えた。だから僕たちは、時には過剰なほどに守り、大事なものは隠した。そうしているうちに、明け渡す、ということについて、うまく協力できない関係が築かれてしまったのだと思う。

あの日、父は僕たちに「みんなの部屋を取替えよう」と提案した。
そんな行動的なこと、いつもの父なら絶対に言わない。その明るさがひどく虚しく響いた提案だったけれど、子供たちはそれに従った。
動かしやすいようにベッドを解体したり、本棚を空にしたり、いらないものを捨てたり。その様子は、家を出ていく準備にとてもよく似ていたと思う。でも、僕たちが移住する先は同じ家の中だった。

「理ももう、ほら、エロ本とか読む年頃だろうから…」
普段絶対に下ネタを言わない父が、テレビでそういうシーンがあると母親とは笑って観られるのに、父親とだと気まずくなるくらい普段絶対に下ネタを言わない父がそう言って、僕を上の姉の部屋へ移るよう勧めた。

こうして僕の部屋にはベランダがなくなり、かわりに鍵がついて、少し広くなった。
あの移住から10年近くが経ち、上の姉は家を出て、今はひとり暮らし。もうひとりの姉は子どもを産んだ。僕は未だに同じ部屋で暮らしている。でも多分、そう遠くないうちに出ていくだろう。

もしかして、父と酒を飲む日が来るかもしれないと思う。まだ想像もつかないけれど、そうなればいいと、思うには思う。

星が見えないベランダで、家族の洗濯物が揺れる。そのうちに。

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はじめまして。
小沼 理と申します。
挨拶代りに軽いものを、と思っていたのに、長々と書いてしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。
これから二ヶ月間、お世話になります。どうぞお付き合いください。

小沼 理

小沼 理

1992年富山県出身、東京都在住。編集者/ライター。

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