読むものを忘れ

第10期(2013年8月-9月)

 

 電車のなかで、読むものを忘れてきたことに気づく。
 本を読む習慣がふかく身につきすぎていて、忘れると時間をもてあましてしまう。
 見まわすと、ほとんどの乗客がスマートフォンを覗きこんでいる。紙の本を読んでいる人は見当たらない。
 ただ、ひとりだけ、一枚の印刷物をずっと眺めている人物がいた。
 こちらの席の斜め向かい、陽のあたる側の座席にいて、手に持ったA4サイズの紙に印刷された大きな「あ」のひと文字が、くっきりと裏返しに透けてみえる。
 書体の見本なのか、雑誌のページデザインなのか、紙にはその文字のほかには何もないようだった。
 眺める顔は、面白い小説のいちばん印象的な場面を読んでいるような、しずかな喜びと興奮を浮かべている。
 ずっと凝視してしまっていたことに気付いて、こちらは目をそらし、窓の外を流れる景色を視界の中心に据える。
 視界の隅にぼやけて見えているものに、視線を向けないままで意識を集中すると、はっきりしない姿を脳が勝手に解釈することで、いろいろと奇妙な形に歪められて見えるようになる。
 それと同じ効果があらわれて、視野の端におかれた「あ」の字は次第によじれて動き出し、紙から漂い出して人の顔に貼りつき、あるいはそれ自身が人の顔のようになり、複雑な漢字に化けたりもした。
 ひとしきりそうしたあと、ふたたびそちらに焦点をあわせて、そこではじめて、印刷された文字が「あ」ではなく「お」だったことに気がついた。
 衝撃をうけ、裏返しのひらがなをじっと見つめる。
 つぎの瞬間、それがやはり「あ」であったことがわかり、さらに大きな衝撃をおぼえた。
 打ち返す波のように認識の混乱が襲い、それが本当に文字であるかどうかさえわからなくなってきた。
 紙の持ち主はまだ字を眺めていて、そこから無限の愉しみを引きだしているように見える。
 目的の駅に着き、混乱をひきずったまま電車から降りる。
 そのとき、まだ座ったままのその人が、高く澄んだ声で「あ」とつぶやいた。
 感嘆詞ではなく、それが文字であることを確かめなおすための読み上げだった。

 

 電車のなかで、読むものを忘れてきたことに気づく。
 読みかけの本を、出かけるときにかばんに入れ忘れてしまった。続きが気になってしかたがない。
 自分が座っている席のちょうど向かい側の座席に、一冊の本が置かれている。
 開かれて、ページを下に伏せてある。
 それが自分の読みかけの本なのではないかという気がしてきた。
 そんなはずはないのだが、自分の持ち物が公共の空間に無防備に放り出されている、という気がしてしょうがない。確信が心のなかにどんどん育っていく。どうしても今あの続きを読みたい。
 手にとって確かめようと決心したところで、向かいの席ですこし離れたところに座っていた乗客が、立って近づき、本を手に取った。
 開かれていたページをじっとながめている。表情はこちらからではわからない。と、おもむろに、本をさらに大きく開き、ページをていねいに破り取った。一枚の紙切れになったページをまたじっと見つめたあと、ふたつに折り、ポケットに入れる。本は網棚にのせ、ちょうど止まった駅に降りていった。
 電車が走りだしてから網棚に近づき、本を手にとって開いてみる。ところが、ページはどこも破られていなかった。
 ぱらぱらとめくった本文のなかでは、主人公が雪だるまをいくつも作りながらたくさんの野生動物に襲われている。
 さっきの客とおなじようにページに手をかけ、破りとってみようとしたが、とつぜん深い恐れを感じ、そのまま本を網棚に投げ戻してしまった。
 以来、あの本の主人公がどんな結末を迎えたのかがずっと気になっている。なんという本だったのか、いまだにわからない。

 

 電車のなかで、読むものを忘れてきたことに気づく。
 新聞を持ってくるつもりだったのだ。朝のラッシュからはずれたこの時間帯なら、まわりを気にせずに開くことができる。
 手持ちぶさたになって車内をみまわすと、ふつうは広告があるはずの場所すべてに、新聞紙が差し込まれていることに気がついた。網棚のうえの湾曲したケースにも、ドアの上の横に長いスペースにも灰色の新聞があり、これからペンキの塗り替えが始まるかのようだ。
 ドアや戸袋のガラスに貼られた小さな広告さえ、新聞の切り抜きに置きかえられていた。どうやら、たまに見かける、広告スペースを買い占めての大々的なキャンペーンらしい。
 ちかくで見ると、どの新聞も日付は翌日になっている。
 未来の出来事を知ることができるだろうかと、期待とともに読んでみる。すると、どの面のどの記事も、要約すれば、どこかでなにかの花が咲いたという内容だった。どんな種類の花が、どこの駅前の花壇に、あるいは何ヘクタールのどこの畑に、いつごろから咲いているか。それがどれほど綺麗な眺めであるか。
 添えられた写真も、花や花畑をとらえたものばかり。広告も花にまつわるものしかない。天気予報のあるべきところには、日本列島に花のマークをちりばめた図が置かれている。カラー印刷の花びらが、灰色の紙のうえでややくすみを帯びていながらも、華やかだった。
 天井から吊られ、エアコンの風にはためく紙面のひとつに、四コマ漫画をみつけた。
 登場人物はみな顔のかわりに花があり、かれらだけが花に関係のないことを、明日ほんとうに起こることを、話していた。
 一日のうちにどれほど沢山の出来事があるか、そして、それらがいかに簡潔に要約できてしまうかということに、驚きを覚える。
 読んで満足し、電車を降りると、すべて忘れてしまった。

 

 電車のなかで、読むものを忘れてきたことに気づく。
 なにかを読まずに電車には乗っていられない性質で、体の具合すら悪くなってしまう。血中の活字濃度がどんどん下がっている。
 汗を流し、かろうじて届く吊革にぶらさがりながら、ふと下に目をやると、足の間に、たくさんの本が開いたページを伏せて投げ置かれているのが見えた。ほとんどがカバーのかかった文庫本で、いくつか、新書サイズのものも混ざっている。
 屈みこんで拾うような余地はまったくない。揺れるたび、バランスをとろうとした誰かの足に蹴られて、いくつもの本があちこちへすべっていく。踏まれてしまう本もある。
 読むものへの渇望よりも、難に遭っている本たちを助け出さねばという使命感にせまられて、首をしきりにうごかし、本の行方を追う。一冊だけでも拾い上げることはできないものか。
 だれかの鞄から、ばさりと一冊が落ち、床の仲間に加わった。ひらいたページから飛び出した栞は、次のひと揺れで誰かの靴の下に消える。また一冊、どこかで落ちる音がする。この世の終わりのように、つぎつぎと本の落ちる音をきく。
 そのとき、揺れのなかをゆっくりと、砕氷船がすすむように人垣をかきわけて、ベビーカーがやってきた。フードのなかから身を乗り出した幼児が、小さな手をのばし、本をひろいあげていく。
 通り過ぎて行ったあとに、一冊だけ取り残された本があった。
 大きめの乗換駅でほとんどの乗客が降りる、その隙に急いで拾い上げた。
 手に取った瞬間に、すでに違和感があった。ひっくりかえしてみると、耳だけが残された食パンのように、どのページも本文のところがちぎりとられ、本のなかに空洞がつくられている。
 この空洞のなかでなにかを育てなければいけないのだと、気がついた。

 

 電車のなかで読むものを忘れ、窓のむこうに読めるものを探す。かならず、心の外にあるものを読まなければいけない。けれど、異国の列車に乗っているかのように、外の景色に母国語がみつからない。ようやく目の前に現れたのは、「森」という大きな一文字だった。心のなかで、舞台が森に定まる。主人公が歩き出し、日暮れのまえに村へたどり着こうと足を速める。

 

 電車のなかで読むものを忘れ、曇った窓ガラスに文字を書く。いちばん好きな小説の一節だ。ほかの乗客も同じことを始め、車両は名文だけを集めた一冊の本になる。それを読みあげる車掌の声がスピーカーから響き、見れば、客と一緒に車内に立って、マイクを握っている。すべてが読み上げられるまでこの電車は止まらないだろうということを、全員がぼんやりと自覚する。

 

 電車のなかで読むものを忘れ、書籍販売のワゴンが自由席の通路へやってくるのをまつ。売られているのは大衆小説の薄い文庫で、値段も割高だが、それを買う。読み始めるとすぐに眠くなり、結末は夢に訪れる。目的駅の手前で目覚め、本当の結末は確かめずに、本を網棚に残していく。回収され、キノコの苗床として再利用されるという。

 

 電車の中で読むものを忘れ、車内に書くものの姿をさがす。「書くもの」はドアのひとつに寄りかかり、リング綴じのノートに書き続けていた。煙草に火を借りるように、一枚を所望する。どこからでも読めるものが書かれていて、どこで読み終わってもいい。ただ、受け取った枚数が百に達したとき、自分も「書くもの」に変わってしまう。いま何枚目なのか、数えていないのでわからない。

 

 電車のなかで、読むものを忘れてきたことに気づく。
 なにも読めないということが、なぜ、こんなにも人の精神を危機に陥れるのだろうか。
 車内の温度とは無関係に、冷たい汗が噴き出してくる。薬物中毒者が禁断症状に襲われたときに出すのと同じ種類のものだ。
 見回せば、誰もがなにかを読んでいる。
 ちぎりとったように不揃いな輪郭の紙切れに、なにかが走り書きされたものを読んでいる。
 みな真剣な表情で、読みながら小さく口を動かしている。
 小さな声が聞こえてくる。おそらく、実際には喫茶店で話すときと同じくらいの声量だが、それが電車の騒音に隠されて、耳をすませるとかろうじて聞くことができる。大勢の声が重なって、読んでいる内容はつかめない。
 読み上げの声はいつまでも続く。それぞれが、手にもった小さな紙片の短い文章を、なんども繰り返し読んでいる。
 反対方向の列車が通り過ぎ、窓ガラスが一斉にバンと鳴った。その瞬間、ひとりが手に持っていた紙を口に入れる。とくに苦労する様子もなく、短い咀嚼のあと、飲み込んでしまう。それが合図であったかのように、みなおなじように紙を食べてしまった。
 そのあとは、なにも起らない。
 誰も目にとまるような行動はせず、電車が駅に止まるたびに、数人ずつ降りていく。あたらしく入ってくる乗客にまぎれ、だれが読み手であったかもわからなくなる。
 終点まで乗り続けたが、やはりなにも起らず、なにもわからぬまま、乗客はすべて降りてしまう。
 改札口へ向かう途中、切符を取り出そうとポケットに入れた指先が、大きめの紙きれに触れた。
 そこに印された筆記体の文は、どこの国の言葉であるかさえ見当がつかなかった。

 

 電車のなかで、読むものを忘れてきたことに気づく。
 木曜日は、書物への渇望がいちばん強くなる。
 なにも文字を読まずに、地下鉄の席に数十分のあいだ座り続けることが、太陽の照りつける砂漠に立った一本の杭に縛り付けられるのと同じようになる。
 心のなかに静かな恐慌が広がっていくのを感じながら、バッグをあさり、読めそうな印刷物をさがしてみる。駅前で受け取ったティッシュの広告、本を買ったときに渡されたチラシ、ライブ会場のフライヤー。
 茶色くなった文庫本のページが出てきた。
 枯れ葉のように、古くなった本から自然に離れて落ちたものとわかる。酸化した紙のざらざらした質感があり、綴じられていたほうの辺にはわずかに糊が残されている。活字は黒々と太く、ふちの崩れた紙にぎっしりと詰まっている。
 小口のほうが、一か所、小さく「M」の字の形に切り取られている。むかしの改札で使われていた、切符に入れる鋏の跡だと気がついた。
 ページ番号からすると、物語は始まったばかりのようで、主人公は丁寧に一日を始めようとするところだった。朝日の差し込む木造家屋のなか、ホーロー引きの洗面台で顔を洗い、一枚刃の剃刀で髭を剃り、靴下をえらび、朝食の席につく。
 バッグをさぐると、また一枚、同じようなページがでてきた。みると、ページ数も、書かれている内容もまったく同じで、鋏の位置と形だけが違う。こちらの鋏は「凸」の字の形をしている。
 さらに何枚も、同じページがバッグの中からあらわれる。
 おなじ一日を何度もくりかえすように、一枚ずつ、おなじことの書かれたページを読んでいく。くりかえし顔を洗い、くりかえし髭を剃り、そうしているうちに目的の駅に着いた。
 待ち合わせ先で、久しぶりに会った友人に見せようとするが、バッグに戻したはずのページはみつからず、かわりに出てきたのは、何枚もの大きな黄色い枯れ葉だった。
 どの葉にも、改札の鋏が刻まれていた。