一冊の鳩が

第10期(2013年8月-9月)

 
 
一冊の鳩が、栞をくわえて飛んでゆく。
 
空には他に飛ぶものはなく、
地上にそれを見るものはない。
雲も風もない空で、鳩はちいさな点になる。
 
鳩は読まれるために飛ぶ。
どこに読み手が待っているかを
鳩は知らずに飛んでいる。
読まれることへの渇望を抱え、
砂漠で水を探すように飛ぶ。

鳩は読まれぬように飛ぶ。
読まれる間は飛ぶことができない。
栞をくわえているのがわかれば、
読めるものだと知られてしまう。
たどり着くまで、高く遠く飛ぶ。
 
 
 
一冊の鳩が、栞をくわえて飛んでゆく。
 
読みさしで空へ放った誰かは、
足音だけになり、道をくだる。
読み終える前に手放すことで
いくつかの自由が手にのこる。
 
果物を割いて分け合うように
ひとつの書物がいくつもの
頭に分かれて残ることを、
なにかの約束とみなしてもいる。
 
ひとつの書物を分けあったものが
ひとつの場所に集まったとき、
そこではじめて語られるものを
育てていると信じている。
 
 
 
一冊の鳩が、栞をくわえて飛んでゆく。

栞をさす場所によって
進む先の決まるような物語がある。
栞の厚みがひらく隙間に
語られざるエピソードが忍びこむ。

ページよりも多い栞をかかえ、
読み通せぬほどにふくらむと、
結末のほうからすこしずつ
ページは離れ、飛びたっていく。
 
とつぜん鳩は向きを変え、
さらに高度をあげて飛ぶ。
それは迷いとも決意とも読める。
ふたたび、鳩はまっすぐに飛ぶ。
 
 
 
一冊の鳩が、栞をくわえて飛んでゆく。
 
ほんとうは、栞がなくとも
どこまで読んだかを忘れることはない。
栞がないとき、それが書物であることが
わからなくなることだけはある。
 
だから、読んでほしいと決めたものに
わたしたちは栞をさしておく。
栞をさして棚のうえに置き、
栞をさして戸の向こうに待つ。
 
読まれることは多くない。
読まれることを求めていると
知られてもなお読まれない。
 
 
 
一冊の鳩が、栞をくわえて飛んでゆく。
 
結末の書きつけられた栞がある。
さしこめばそこでおしまいになる。
みんな幸せになりました、とある。
 
ほんとうの主人公は宇宙でした、と
むすばれている栞もある。
雪がすべてを隠しました、と
しめくくっているものもある。
大雨が降り、みんな大笑いしました、と
書かれたものをみな探している。
 
鳩のくわえる栞にも、なにかが書きこまれている。
それは言葉ではなく、一本の線だ。
 
 
 
一冊の鳩が、栞をくわえて飛んでゆく。
 
すべての書物が手紙になれる。
すべての手紙が雲になる。
宛名をもたずに手紙になると、
届かなくても読まれてしまう。
 
いくつかの文に傍線をおき、
それが挨拶になることを見込む。
いくつかの文に傍線をおき、
それを質問とするものもいる。
 
いくつかの文を切り抜いて、
そこから覗く文字で伝える。
雨のなかを鳥が飛んでいる。
 
 
 
一冊の鳩が、栞をくわえて飛んでゆく。
 
読みあげる声がどこかから響く。
声にだして読まないかぎりは
忘却されない、と声は読む。
 
読まれたところは消えていく。
ページから言葉を拾いあげ
空に投げている、と声は読む。
 
投げられた言葉は高く集まり、
句読点だけの雨を降らせる。
いくつかの言葉が消えずに残る。
 
 
 
一冊の鳩が、栞をくわえて飛んでゆく。
 
書かれるべきしめくくりには、
陽に照らされた窓辺がある。
手が、くちばしから栞をうけとる。
数えなくていい時間のあとで、
眠っている鳩の翼に、そっと栞がさしこまれる。