ステージ

第10期(2013年8月-9月)

 

 平日でも祝祭の雰囲気に包まれているような街だけれど、この週末はさらに華やかだ。
 改札口をぬけると、たくさんの風船が目に飛び込んできた。
 風船は駅の入り口で配られていて、受け取った子供たちが何人も賭け出していく。 
 幅広の歩道橋でロータリーをまたいだ先に、ゆるやかな丘が並ぶように作られた低層の商業施設が広がっている。
 階段を上り下りするごとに景色がかわり、あちこちに樹木にかこまれた居心地のいい空間がある。
 そういった空間や遊歩道の脇に、きょうはたくさんの露店が開かれていた。この施設ができて一年が経ち、それを記念する催しらしい。
 食べ物の屋台、Tシャツ店、革製品のワークショップ、量り売りのスパイス、温泉街を思わせる射的や輪投げの店もある。
 遠い土地から運ばれた泥つきの野菜が並んでいた。たくさんの手間をかけた特別な作物であるとの説明に添えて、ふるさとへの誇りと愛着が記されている。
 ケヤキの大木を丸く囲んだベンチに座って、まだらに影の落ちるノートの紙面になにかを書きつけている一団の人びと。腰をおろしたまま、ひとりが自分の書いたものを読み上げると、遠くそばだてるこちらの耳に言葉はぼやけ、定型詩のリズムだけが届く。
 アスファルトの道路が低く張ったロープで仕切られ、そのなかで子供たちが色とりどりのチョークを持って落書きに夢中になっている。

 一角に、すり鉢型にくぼんだ半円形のステージがある。階段状の席にぽつぽつと人が座って、食事したり、昼寝をしたり、ちょっとした休憩の場所に使っていた。
 音楽が、その場を満たすというより、足首をひたす水のように流れている。
 やや奥まったあたりにコンパクトに機材を積みあげたブースがあって、音楽はそこで作られているようだ。
 ステージの中央では、ふたりの女性が音楽にあわせて踊っていた。
 シンプルな服装のせいもあって、一見、リハーサルかと思わせるようなあっさりした空気があるが、眺めるともなしに眺めていると、これが本番であることをはっきりと感じさせるような、作品としてのたたずまいを持っていることがわかってくる。
 気まぐれな視線に拾われ、意識の隅におかれたままであっても、その踊りは見るものの心のなかでしっかりと形をなし、いつのまにかそちらにすべての注意を吸い寄せてしまうような、魔法じみた力を持っていた。
 目の前で、いまこの瞬間にしか存在できないなにかが作られている。ビジョンによってきつく束ねられ、精緻にコントロールされた力で形を整えられながら、現実のなかに押し出され、広がっていく。

 踊っているふたりは、背の高さが頭ひとつ分ほど違う。背の高いほうは髪をてっぺんに近いところで小さくまとめ、もうひとりは、耳の下ほどまでの髪を動きのたびに跳ねあがらせている。
 ふたりの動きは、完全に同じというわけではない。同じ振り付けを踊っていることは確かだけれど、その解釈がすこし違っている、とみえる。タイミングは完璧にそろっているので、その違いが「ずれ」としてではなく、踊り手のはっきりした個性として感じられる。
 背の高いほうの踊り手は、シンプルに、直線的に踊っている印象がある。体の軸がつねに垂直に静まっていて、堂々たる落ち着きに満ちている。まっすぐに伸ばされ、なめらかに旋回する四肢の先端が、動きの終点で裁ちおとすように時間を止める。
 もうひとりのほうには、まったく違う力のみなぎりがある。背骨から強く反らせた指先まで微妙なねじれをはらんでいて、止めるべきと思われるところでわずかにふくらみ、揺らぐ。それがやわらかな躍動を生み、「ひらひら」と形容したいような軽やかさがある。
 高く足を上げたり、大きくターンしたり、アクセントになる動きが周期的に現れて、それがあるリズムを作っているが、音楽のほうのリズムに置かれたアクセントとは意図的にずらされているようで、全体としてはポリリズミックで多声的な印象がある。音楽を踊りがなぞるのではなく、踊りに音楽が追従するのでもなく、それらがひとつの作品に織りあげられている。

 踊り手たちは、ときどき声をあげている。
 音楽がおそらく四小節分ほど進むたびに、ひとつ、みじかい言葉をひとりが口にする。これを交互に繰り返している。
 「ほし」「うみ」「つばめ」「みず」
 ずっと眺めていると、その意味がわかってくる。
 振り付けがいくつかの短いパターンとして用意されていて、つぎに踊るパターンをかわりばんこに指定しあっているのだ。
 たぶん、ひとつのパターンを三分の二ほど踊ったあたりで声をかける決まりになっているのだろう。
 パターンはたくさん用意されているようで、あまり繰り返しの印象がない。
 「ひかり」「あめ」「いし」「ミント」「くも」「さかな」「ナッツ」……
 小さい声ながらはっきりと発声される名前はどれも短く、聞きまちがえを防ぐために区別のつけやすい言葉が選ばれているように思えた。振り付けそのものと関係がありそうな言葉もあれば、まったく関連がわからないものもある。
 ときおり、いま踊ったばかりのパターンを繰り返して、それがちょっと他よりむずかしい振りつけなのか、小さく悲鳴のような笑いを相手がもらす、ということがある。
 連なっていく振り付けの組み立てにコード進行の妙とおなじような味わいがあるのか、このパターンのあとでこのパターン、そしてこのパターン、と続いていくにつれて、ふたりの間に喜びと共感が高まっていくのが見えるようなときがある。つぎの振りつけが提示された瞬間、相手の顔に「そうくると思った」といわんばかりの笑顔がひろがっていく。あるいは、「ここでそれがくるか」というような驚きが浮かんだりもする。
 振り付けにあたえられた名前も、そういう感情のもとになっているのかもしれない。ひとつひとつの振り付けに意味が込められていること、見るこちらには想像できない文脈の奥行きがあることを想像させる。二人の踊り手の間で、観客は知ることの出来ない物語が、作られてはほどかれている。

 音楽は、ほとんどがパーカッションの音色でつくられていた。メロディよりも音の質感によって心地よさをつくりだしている、リズミカルで余白の多い曲調だ。
 機材を並べたブースには三人が立ち、一人はノートPC、ひとりはギター、ひとりはさまざまな打楽器を演奏している。生音を響かせるものと、大きなボタンの並んだものを目の前にいくつも並べている。
 ギターは、みたところちょっと変わった外見だが、エレクトリック・ギターであることは間違いないように見える。だが、それらしい音はきこえない。ハープシコードとウクレレを混ぜたような細い音色のつまびきで、短いフレーズが少しずつ変化しながら繰り返し奏でられているが、どうやらそれを弾いているらしい。エフェクターを通してそういう音にしてあるか、もしくはサンプル音を鳴らすための入力装置として使っているようだ。明るく、軽く、ルーツを感じさせないメロディ。
 なぜそうなったのか、ギターのボディは輪郭をほとんど留めていなかった。解体された家から出てきたもののようにボロボロに削れ、ささくれて、塗装もほとんど剥げ落ちている。ピックアップ類には錆ひとつなく、ネックにも歪みはなさそうだ。アームがあるべきところは木が大きく欠けていて、なにも取り付けられていない。ケーブルも本来の場所にはソケットがなく、ネックのすぐ横から生えている。
 パーカッションを叩いている人物は、小さい帽子のようなものを頭にかぶって、楽器をめまぐるしく持ち変えながら、しょっちゅう笑顔をうかべている。
 ノートPCを前にしたひとりは、小さなミキサーも同時にあやつり、この場の音をまとめているようだ。
 つまみを操作する手首の腱は、踊り手たちの手足の腱とおなじように極限までコントロールされ、緊張と弛緩を繰り返している。
 踊り手と、演奏者と、それぞれの手足の腱が、みなこの一度きりの体験を形づくるために張りつめ、ゆるやかな機械のように、ひとつのうねりのなかで動いている。

 ひらひらと踊っていたほうのひとりが、その動きのなかばに、伸ばした腕の先でひとつ指を鳴らした。思いのほか大きく響いたその音から一拍をおいて、ふたりが同時に、頭上で手を強く打ち鳴らす。あわせて、いくつものパーカッションが一度に鳴る。空間に打たれた大きな句読点。
 次の瞬間、すべてが違うものになった。
 音楽が変わった。丸みをおびた木質の響きが主体だったパーカッションが、空気に針を撒くような鈴の音や、深いエコーをはらんだ金属の打撃音になる。速度を増してあおりたてるリズムにのって、スピーカーがよろけるほどの太さを携えてベースラインが浮上する。隙間なく湧き立つ音塊に、電子音のように変調されたギターが切り込んでくる。
 踊りもまったく別のものになった。さきほどまでのスタイルから経度を180度ほどずらしたような異国の振りつけに変わり、ふたりの間の協調は崩れて、リズムで整えられつつも混沌となる。
 日本語ではないが、どこの言語かはわからない短いフレーズを、踊り手と演奏者が声をそろえて連呼する。つらなった二つの単語を繰り返し叫んでいる。もともとの発音がそうなのか、発声によってそう感じさせるのか、喜びを伝えるほかにはなんの意味も担っていないような、やわらかい張りをふくんで、長く伸びる音。熱帯の密林と街の狂騒がいちどに押し寄せてきたような音楽と、くっきりとしたコントラストをなしていた。
 観客から、大きな拍手と歓声があがる。いつのまにかほとんどの席が埋まっていた。何人もが、演者たちと同じ言葉を声を揃えて叫んでいる。
 踊り手のふたりに鈴が投げられ、あざやかに受けとめたその鈴を振りながら踊りはさらに続く。
 それまでよりも短く区切られたいくつかのパターンを、それぞれが自分のやりかたで組み合わせて踊っているようだ。いくつか象徴的なポーズがあり、めいめいの踊りのなかにそれらが繰り返しあらわれる。
 ギターの弾き手は、いつのまにかニットキャップで顔を覆っていた。ちょうど目のところに穴があいていて、同心円模様の覆面のようになっている。体をやや折るようにして爪先立ちになり、はげしく弦を掻きちらしている。
 パーカッションの人物は、小さな動物の面を顔にかぶせていた。目の前のすべての楽器を叩こうという勢いで、両手が見えないほどの速さで動く。
 ノートPCを前にした一人は、サンバホイッスルを吹き鳴らしていた。
 あちこちで人が踊りだす。歓声、口笛、笑い声。
 客席のなかに踊りが広がり、あの言葉が声を揃えて叫ばれる。

 そして、突然すべてが元にもどった。
 客席からはふたたび、歓声と長くつづく大きな拍手、そして口笛。
 はればれと浮かべた笑みをすこしずつ澄まし顔に仕舞いながら、また以前とおなじルーチンをはじめる踊り手たち。
 ニットキャップを頭に戻し、目を細めたニヤニヤ顔で弾きつづけるギタリスト。
 PC奏者とパーカッション奏者は、満面の笑みでなにか言葉をかわし、さらに大きな笑顔になった。
 ベンチの脇のひらけたところで、民族衣装の人々が踊っている。中央アジアのどこかだろうか。おなじ衣装をつけた、たぶん日本人であろう女性が、振りつけを教えてもらいながら一緒に踊っていた。
 ビールの売り子がまわってきたのでひとつ買い、となりに座った一団と乾杯する。
 建物の影は長く伸び、空にはうろこ雲が一面に広がっていた。
 カードを入れ替えるようにさりげなく、踊り手のひとりが新しくやってきたひとりと交替する。
 退場するひとりは、去り際にパーカッション奏者と高く片手を打ち合わせた。
 何度か交替があり、いつのまにか踊り手は三人になっている。おなじように名前が呼びかわされ、笑顔がうまれ、ときおり笑い声があがる。

 日が暮れはじめたころに、もういちどクライマックスがやってきた。
 踊り手たちが全員、ここではじめてわかったが、ぜんぶで七人、ステージに上がり、めまぐるしく位置をかえながら踊る。
 数を増して酔いもまわった観客たちの狂騒もピークに達する。
 やがて、皆どんどんステージに上がり、一緒に踊りはじめた。
 本来の踊り手たちの姿は、たちまちまぎれて見えなくなってしまう。ふとひとりの姿が目に入ると、踊る人々のなかでゆっくり回りながら、小さな、タンバリンに似た太鼓を頭上で打ち鳴らしていた。
 パーカッション奏者が現れた。胴の長い太鼓を肩からストラップでぶらさげて、それを玉のついたバチで叩き、リズムに骨を与えている。そのまわりに、ブースに並べられていた打楽器をそれぞれ持った人々がにぎやかな演奏を加えている。
 ノートPCの持ち主は、ひらいたままのそれを脇にかかえ、踊りながら、空いているほうの手を周囲のだれかれとなく打ちあわせる。
 ギタリストは、あのギターは背中にしょったままアコースティックに持ち替えて、弾きながらなにかを歌っている。
 鳴り続けるスピーカーが、いつのまにかカートに乗せられて、ごろごろと席のあいだのスロープを上りはじめている。
 楽隊と踊り手と群衆は、ひとつのゆるいまとまりになって、ステージから流れ出していた。
 遊歩道にあふれ、階段をのぼり、しだいにいくつもの方向に分かれて、ちりぢりに広がっていく。
 踊りながら、歩きながら、談笑しながら、まだ賑わいに満ちた商業施設のあちこちへ、さらにその外の町へと、とけ込んでいく。
 にぎやかさと高揚はそのままに、音楽がしだいにばらけていって、ただ祭りの気分だけが、夜の都市にうすく広く散らばっていく。
 もうどこにも、あのステージにいた人びとの姿はない。
 そして、いたるところに音楽の残響と踊る体のリズムがあった。
 目の前を跳ねるように賭け抜けていく子供たちが、手に持った鈴を振っている。
 酔いに浮きたち、自分の体のなかにも祭りの一片が残っているような気持ちで、駅に向かった。
 改札口のまえで振り返ると、建物のすぐ向こうに黄色く丸い月がのぼっていた。