階段室の

第10期(2013年8月-9月)

 

 勤めていたその一時期、階段室が憩いの場だった。
 駅の商業施設と合体したオフィスビルの19階。
 大きいが、余白の少ない建物、という印象だった。
 おそらく、通路の狭さがそう感じさせたのだが、つとめていたオフィス自体も机がひしめくように並び、せせこましく使われていたように思う。
 働いていると、意識に触れるか触れないかというあたりで、潮が満ちて海面があがってくるようにじわじわと圧迫感がつのってくる。ちいさな波が岸壁を叩くように、ある種の息苦しさが心の壁にひたひたと打ち寄せる。
 フリーランスとして数年を営んだあと、社内常駐を前提とした短期案件をうけ、久しぶりに通勤の日々が始まったのだが、会社勤めへの耐性が低下しているのをしみじみと思い知ることになった。
 そもそも、もとからさほど耐性が高かったわけでもない。だからこそフリーランスにもなったのだった。
 どこに属しても、ひとりになれる場所を自然に探してしまうタイプの人間というのがいて、そのひとりであるという自覚がある。仕事がはじまってすぐに、そういう場所を探しはじめていた。
 一般用のエレベーターホールと非常階段の間に、作業用エレベーターのための空間がある。便宜上、これを階段室と呼んでいた。
 ふつうはだれも開けないであろう扉を開けると、そこへ行ける。ひとりになりたい人間にだけ、その場所は開かれる。
 大きな窓があり、眺めがとてもよかった。
 毎日、休憩時間になるたびにそこへいって、景色を眺めるようになった。

 このオフィスビルを含む大きな複合建築は、都心をめぐる環状線の、主要駅のひとつを土台に育っている。
 だから、窓からみえる風景のまんなかで、何条も束ねられた線路がゆるいカーブをえがきながら遠方へ伸び、その先には副都心のビル群がある。斜めから見おろす市街が視界の半分以上を占める風景のなかで、ビルたちは、天にそびえるというよりは、ただ寄り集まって立っていた。
 新旧の電波塔もよく見えた。距離の違いがもたらす錯覚で、ほんとうは倍ほども違うはずのふたつの塔は、おなじ高さのようだった。
 晴れていれば、富士山がちいさく輪郭をあらわす。日没のときにはその向こうに太陽が隠れていくのが見えた。
 そして、十分に大気が澄んでいる日にだけ、秩父の山々が出現した。
 その方角の空は、いつもは白いもやで地平線とつながり、なにもない空間だとしか思えない。それがある日とつぜん、建物のひとつひとつを見分けられないほど遠くぼやけた市街のむこうに、くっきりと高い稜線が、巨大な壁となって現れる。これはかなり衝撃的な光景で、いつまでも見とれてしまった。
 夜景もすばらしかった。
 副都心のビルは、陳腐な表現ではあるけれど、それこそ宝石のように輝き、赤いライトの点滅が心に安らぎをくれる。
 この場所の灯りにはどうやら人の動きを感知する機能があるらしく、窓際でしばらくじっとしていると、無人であるとの判断から自動的に消灯され、ガラスへの室内の写り込みがなくなって、夜景がさらにきれいに見える。それが好きで、残業のある日は、外へ夜食を買いに行くついでに、真っ暗闇のなかで夜景をずっと眺めていた。
 ようするに、かなりの長時間、あの場所に入り浸っていたということなのだった。
 煙草を喫う習慣のある人が、そのために席をはずしている時間の合計はどのくらいだろうか。どうも、それよりも少し多いくらいの時間をあの場所で過ごしていたように思う。報酬は時給換算ではなかったが、思い返せば少々うしろめたい。

 ときどき、その場所に先客がいる。
 いつも、見知った誰かではなく、勤め先のほかの部署か、あるいは同じフロアの他社に勤めている人か。
 はじめのうちは、気にせずにおなじ空間でくつろごうとしてみたが、案の定というべきか、それはとても難しかった。
 この空間に、ひとりでいたい人間をふたり以上収容できるほどの広さがないことは、考えるまでもない。
 どれだけの広さがあったとしても無理だろう。体育館ほどだったとしても、やはり他人の存在は意識の隅でしぶとく主張をつづけ、憩いを得ることはできないように思う。ひどく贅沢な望みを語っているようでもある。
 その後は、扉を開けてだれかがそこにいるのを察したら、たんなる通行人を装ってそのまま奥の扉を開け、非常階段へ出るようにした。
 階段をひとつ上るか、ひとつ下りるかして、ほかの階の同じ場所へいく。
 ほかの階にはほかの会社がある。とはいえ、廊下や階段は公共のスペースであるはずだ。そんな開き直りを盾に、ひとしきりくつろいだのち、自分の階へもどる。
 ときに、べつの階にいることを忘れてそのままオフィスに戻ろうとしてしまうこともある。
 建物のつくりはどの階も一緒なので、よその会社の入り口をくぐりそうになるまで異常に気付かない。その一瞬、並行世界へ迷い込んだかのような衝撃があり、それが決して嫌いではなかった。
 こう書いてみるに、しみじみと、自分という人間の、社会における有用性が低いことを実感する。
 課題の不在、あわいの場所、宙づりの時間といったものを過剰に求めがちな性質を自分がもっていることについては、年々自覚と恥ずかしさが増すばかりだが、非常階段と、そこへ続く大きな窓のある空間は、そういう人間にとってはほんとうに居心地のいい場所だった。

 非常階段は、いつも満員電車のように人の匂いで満たされていた。
 空調がないせいだろう。夏の最中で、屋外ほどではないながら、熱気がこもっている。
 長時間露光で撮影された、ぼやけた雑踏の写真のように、よどんだ空気に、行き来する人間の体臭が繰り返し上書きされている。
 たくさんの人間がここをのぼりおりしていることを意識させられる。心の中で、ひとりひとりの人間の残した動線が、不規則に波打つ光の線が束になったものとして、らせん状に階段の上から下までを通り抜ける。そこから分かれた何本もの線が、各階の非常扉を突き抜けて消える。
 つかのまの孤独を楽しむあいだ、意識の隅を、不在の人間がひっきりなしに往来するようになった。
 そして、ときおり、そのなかの誰かが現実の人間として目の前に現れる。
 自分とおなじように、ほんのひととき、一人でくつろぎたい誰か。
 こちらは、丁寧にその人物を避ける。
 静かに、足早に、こちらに気付いていないかのように窓のほうを向いたその人物の背後を通りすぎ、ほかの階への扉をひらく。
 こちらがくつろいでいる時に、見えないところで扉の開く音がしたら、ときによってはこちらがそのまま外へ出る。すでに戻るべき時間になっているというようなときだ。
 それとは反対に、こちらが階段からの扉を開いたときに、去っていく足音と扉の音を聞くこともある。
 こちらが景色をながめているとき、背後をとおりすぎて階段へ去る足音もある。
 こちらが扉をひらく瞬間に、あちらの扉が音を重ねることもある。
 次第に、ひとりになりたい人々の、少しばかりこみいった動線のネットワークが、時間のうえに編まれているのが見えてきた。
 自分自身が、糸のひとつとしてその中に編み込まれつつある、いや、すでにしっかりと編み込まれている、ということに気付いた。
 けっして窮屈ではないが、小さくない驚きがあった。
 人間関係から逃れる、と言ってしまうと実感からは遠いが、仕事のうえで毎日やりとりをする人々とともに編み込まれている大きな網からいっとき離れるためにこの場所を使っていたはずが、そこにはまた別の、顔の見えない人々の織りなす網があり、こちらはそこへ踏み込んだ瞬間にからめとられていたのだ。
 どこにいようとも、自分が見えない網をなす糸のひとつであることに変わりはない。
 あたりまえのことにいまさら気付き、自分自身の子供じみた願望にあらためて直面することになった。
 なにかが引っ掛かってセーターからとびだしてしまった糸のように、この編み物からすこしほつれて、ゆるい輪として暮らしていたい、という願望。
 きつく結ばれた玉になってしまったときのしんどさから逃れていたい、という虫のいい欲求が、われながら恥ずかしかった。
 たとえが、現実と離れたところで独り歩きをはじめる。
 ゆるんだ輪でいるほうが、よじれて玉に結ばれてしまう危険が大きかったりはしないだろうか?
 どこからか、おおきな鋏があらわれて、ちょきんと切られてしまうことはないだろうか?
 心の中で、編み物はからまった毛糸の塊になり、ひっぱるほどに硬く結ばれていった。

 九月になると、嵐がやってきた。
 例年のものより大きいと気象庁が警告した通り、それは未曽有の大嵐だった。もうすぐ終業時間というころには、あらゆる交通機関が運転を見合わせる事態になった。
 これは残業していくしかないとあきらめて、夜食を買いに行く。駅ビルと隣接していることの大きな恩恵は、地上に出ずに買い物にいけることだ。
 フロアに戻り、オフィスへ戻るまえに、いつもの場所に寄る。
 窓からみるそれは雨ではなかった。
 大粒の水滴が、みわたすかぎりの大気中にぎっしりと充填されて、風景を白くけぶらせ、粗密の層がはっきりと肉眼でわかる立体の波となって、ビルの間をほぼ水平に吹きぬけていく。
 それほどの大騒乱でありながら、厚いガラスをへだてた風の音はおどろくほど小さい。
 この場所にあって、自分が完全に傍観者であることの優越感と、いささかの恥ずかしさをおぼえつつ、光景に魅入られていた。
 デタッチメントの安らぎを自分はいつも求めているのだと思った。
 ながめているうちに、灯りが消えた。
 副都心のぼやけた灯りがとても綺麗だった。
 しばらく、そのまま眺めていた。
 鉄道が運行を再開するまでもう一仕事、と、心を追い立てて身を動かすと、感知した灯りがまた点る。
 灯りに照らされて、その空間は人で埋め尽くされていた。
 鏡になった窓ガラスに、満員電車のように、ぴったりと接する密度で大勢の人が立っているのが写ってみえる。自分のうしろに沢山の人間が立ち、ひとりのこらず、こちらに背を向けている。
 だれひとり動かず、いっさい音を発しない。
 こちらはただガラスを凝視し、振り返ることができず、うしろにいるだれ一人としてこちらを向く気配がない。
 灯りが消える。

 その会社には年の終わりごろまで勤め、それからはまたずっとフリーランスでいる。