魔女の特性 その一

第13期(2014年2月-3月)

 去年、You Tube で偶然見つけた、坂本美雨さんと矢野顕子さんの親子対談。美雨さんは、去年の秋に出た矢野さんのCDを紹介したくなって、パーソナリティをしているラジオ番組に呼んだそうです。その中で、矢野さんは、キャラが厳しいお父さん風になって、美雨さんは、偉大な音楽の先輩を前にドキマギしている様子でした。先般、亡くなった忌野清志郎さんの曲を読み直すというか、その良さを矢野さんによって再発見しようという趣旨の企画CDです。

 さて、わたしは、矢野顕子さんも一人のおかあさんであることにあまり注意を払っていないのですが、美雨さんが、「おかあさんもほめられたいの」という歌を聴くとキュッとする話をされていて、なぜかそれがとても残りました。彼女は、「わたし(矢野さんを)そんなに誉めてないかな」と思うんだそうです。話は、母としての矢野さんが、子どもの頃の美雨さんをあまり誉めてくれなかったという応酬に続きました。すると、そんな娘さんに対して、矢野さんが子どもっぽいおじさんのような返答をして誤魔化す方向へ。自分で自分を誉めて上げたら良いじゃんと言っていたのですが、わたしは、何となく美雨さん側の気持ちになって、そうじゃないんだよ~ちがうよ~と思ってしまいました。

 音楽を介しては、厳しい父のような矢野さんが全面に出て、それが外れると「えへへ」って感じで適当になります。こと音楽になればとことん厳しい姿勢で戦い、それはそれで素晴らしいけれど、戦いがないと少し困っているあたりがおじさんのよう。この「おじさん」は、仕事をする人の意味で使っていますので、くれぐれも誤解のないように。

 「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」は、美雨さんによれば、まるで植物園に迷い込んだようだと表現していました(500マイルと多摩蘭坂)。テルミンやオンド・マルトノなどの楽器が加わることで、矢野さんの声の角を取っていて、ライブには、それが若干窮屈に感じられたのですが、録音では程よく感じられました。このCDを聴くと、矢野さんは、つよい個性という土台に甘んじることなく、音楽という対話を試みるための研鑽を惜しまないことが伝わってきます。
 矢野さんは父のように、美雨さんに向かって、楽曲の歌詞はその人間の生き様なのだと語っていました。

 女の子(息子だけでなく)にとっても、本当はおかあさんという共同幻想によって守られたいのだけど、おかあさんも人間なのでなかなか一人ではがんばり切れません。この頃気がついたこととして、おかあさんはパーソナルな所属として扱われがちけど、おかあさん(役)だって見守りがあってこそ何とかかんとか乗り切れるものです。そして、誉めるということは、子どもが親から誉められて嬉しいのも、相手が見守ってくれていたことへの嬉しさなんですよ。たぶん。
 
洋なしと詩人ワニ
*画像は、洋ナシと魔女です。