あの日からの、カルチュラル・スタディーズ (3)

第13期(2014年2月-3月)

「サウンド・オブ・ミュージック」「シンドラーのリスト」「戦場のピアニスト」「善き人のためのソナタ」。ナチズムを主題にした映画を一つ一つ数え上げれば、それは長大なリストになるだろう。先に挙げたのは、僕のあまりに貧弱な映画体験の中にある、ごく限られたリストに過ぎない。今日は、このリストに新たに二本の映画を付け加える事にする。

最低でも月に一本は映画を観る。という実に下らない目標を、今年の始めに立ててみた。これまで、僕は本当に映画を観て来なかった。時間があったはずの学生時代は、生活のほとんど全てを音楽に費やしていた。学校で音楽の授業を受け、家に帰って作曲をし、時間とお金に余裕があれば、レコードを買いコンサートに足を運んだ。考えれば音楽をやり始めた13歳から大学を卒業するまで10年近く、ほとんどの時間を音楽に費やしていた。別にそんなに大げさな事でもなくて、映画の優先順位をほんの少し上げようというだけの事だ。最近はCDも全く買わなくなった。月一本の映画を観に行く事ぐらいは出来るだろう。

2014年、最初に観た映画は「ハンナ・アーレント」という作品。タイトル通り、女性哲学者のハンナ・アーレントが主人公だ。話は、ナチス・ドイツ親衛隊最高幹部の一人であった、アドルフ・アイヒマンの裁判を軸に進む。ハンナは、ユダヤ系ドイツ人で一時はナチスに捕らえられ収容所にも収監されている。その後はフランスを経てアメリカへと亡命している。アメリカでは大学の教壇に立ちながら幾つもの著作を発表した。そんな中1960年になってアルゼンチンに逃亡していた、アドルフ・アイヒマンが捕まり、彼女はイスラエルでのアイヒマン裁判を傍聴する事になる。その詳細なレポートをニューヨーク・タイムズ紙に発表し、その中で彼女は「悪の凡庸さ」について語っている。何百万人ものユダヤ人を強制収容所へ送ったのは、ただ命令に従っただけだ、と言うアイヒマンの証言から、この言葉が出てくる。巨大な悪とは、誰か一人の凶悪な人物によって生み出されるのではなくて、大勢の思考する事をやめた、ごく普通の人々によって生み出されるのだという。このレポートが発表された当時は、ナチズムの擁護だと、バッシングの嵐で一大センセーションを巻き起こしたらしい。

この映画を観ていて、彼女の頭脳の明晰さと、強い精神力には嫉妬を覚える程だった。そして意外にも、愛に溢れる、とてもチャーミングな女性として描かれていた。あのハイデッガーとも一時は恋仲にあった人だ。とても魅力的な女性だったのだろう。これまでに、彼女の著作で「革命について」を読んでいたのだけれど、何度読み直してみても、全く歯が立たなかった。そう、これも映画を観ていて思った事で、哲学というと難しそうだし、実際日本語訳で書かれた哲学関連の本は、難解なものが多い。でも、本来は議論や思考を楽しむ、言葉を使ったゲームに近いものなんだろうと思った。映画の中で友人達と自宅でワインを飲みながら討論をしているシーンがあったのだけれど、日本語の字幕では意味を追うのがとても大変なのに、英語のセリフではとてもシンプルに語られているという事があった。西洋哲学とか西洋思想、それらに鍛えられてきた議論による民主主義、これは完全にヨーロッパの言語で成り立っているのだと痛感した。きっと日本語には、日本語に合ったやり方があるのだろうとは思うのだけれど。

もう一つ、今月観た映画の話。まず、邦題が全くセンスがないのだけれど、「さよなら、アドルフ」もともとは「LORE」というタイトルが付いている。1945年、ドイツの敗戦。ナチス高官の父とその家族。14歳の長女ローレと四人の兄弟が、シュヴァルツヴァルトから、遠く離れたハンブルグの祖母の家まで避難する旅路が描かれている。これまで、ナチス側からの視点で描かれた映画を観た記憶は無い。途中のキャンプ地でナチスがユダヤ人に対して行っていた残虐な行為の真実を知る。そしてユダヤ人の青年と出会い彼と旅を共にする。彼女が戦争の中、大人たちによって教えられ、大切にしてきた価値観が、急速に崩壊していく。コントラストの強い、深い青みがかった緑色の色調で映される森林と田園風景の対比で、少女の果てしない苦痛がより一層救いの無いものに感じられた。青年がローレに言った、「この時代、誰でも簡単に悪人になる事が出来る。」という言葉。ハンナ・アーレントの悪の凡庸さを思い出さずにはいられない。

二作品とも、ハッピーエンドで観終えて爽快、と言ったものからは程遠い。どちらも観終えて数日、主人公の後の物語を想像し、切ないような、少し痛みを伴う苦しい思いが余韻のように残った。小説なら本というフォーマット、映画ならスクリーンというフォーマット、それらの外側にどれだけ物語を広げる事が出来るか。今自分が生きている世界と地続きで、物語の世界を感じる事が出来たなら、それは良い作品だったと言えるのではないか。

さて、今自分の周囲の様子をどう考えるか。今年に入って観た二本の映画の中の世界と、今の日本とを重ねて考えずにはいられない。美しい文化とはDNAのように、親の世代から与えられ自然と引き継がれるものでなく、その世代ごとに、自らが戦い必死に構築するものだ、と言っていたのは誰だったか。コピーはやがて劣化し、ぐずぐずになって腐敗する。それを後になって、「あの時はそうするより他になかった。」とは言いたくない。

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– ハンナ・アーレント
– さよなら、アドルフ

– ドストエフスキーと愛に生きる
長年ドストエフスキーの著作を翻訳してきた一人の女性のドキュメンタリー。次はこれを観に行きたい。

– イェルサレムのアイヒマン
– 暗い時代の人々
– 革命について
ハンナの著作をいくつか。「イェルサレムのアイヒマン」は正に映画「ハンナ・アーレント」で取り上げられたアイヒマン裁判について書かれている。「暗い時代の人々」今ちょうど読んでいる所で、ローザ・ルクセンブルクやベンヤミン、ブレヒト等、自由が著しく損なわれた時代に、荒廃する世界に抗い、自らの意思で生きた10人を、ハンナが共感と敬意を込めて描いている。先に読んでいた「革命について」より随分と読みやすい。