あの日からの、カルチュラル・スタディーズ (4)

第13期(2014年2月-3月)

何度も書くが、僕は本当に何も知らない。絵画も、文学も、映画も、哲学も。唯一の例外は音楽で、それについては少しだけ知っている(つもりになっている。)、と言えるかもしれない。だから、こんな所で僕如きがそれらを批評するなんてのは、はなはだ恥ずかしい話なわけで。だからもう、僕がここで書いているような事など、アートファンや、文学愛好家や哲学を志す人たちにとったら、お前、今頃そんな事言ってるのかよと、そんなもの十代のうちに読んでおくべきものだよと、言われそうな話ばかりだ。

思春期のエネルギーというのは後の人生を一変させてしまうほどに、変化自在で強大だ。だからこそ、その頃に出来るだけ多くの素晴らしい作品に触れておくべきだという事に、疑いの余地はない。十代の頃に比べれば、記憶力だって落ちるし、柔らかい思考は出来ないかもしれない。でも、何かを学んだり、知る事の喜びに年齢制限は無いのも確かだろう。だからここで僕が書いているのは、学びながら自分自身の思考の道筋を記録しているという程度のものとして読んで欲しいし、時には何かつっ込みというか、「それは違うんじゃないか?」というような、レスポンスがあれば、更に嬉しいのだけど。

さて、本題。先週書いた、映画「ハンナ・アーレント」を観てから、彼女の著作「暗い時代の人々」を読んでいる。ここに出てくるのは、ローザ・ルクセンブルク、アイザック・ディネセン、ベンヤミン、ブレヒトなどなど。20世紀初頭、自由が著しく損なわれた時代に、自らの意志で行動し、生きた10人の肖像が、丁寧に書かれている。国民国家から生まれたナショナリズムの中で、詩人が、哲学者が自らの言葉に生命を託し、いかに一人の人間として生き抜こうとしたのか。これからの僕達の生き方にも、大いに勇気を与えてくれるのではないか。

ローザ・ルクセンブルク
”彼女は終始無条件的に、戦争がいかなる偶然の結果を伴うとしてもそこに最も恐るべき災厄以外のものをみることを拒んだからである。人間の生命を、とくにプロレタリアの生命を代償とすることは、どうあっても高価にすぎたのである。”

カール・ヤスパース
”ヤスパースがかれの生涯において孤立することはあっても、孤独のなかに追いやられることがなかったのも、この同じ幸運によるものでした。こうした幸運は青年期以来かたわらに立ち表れた女性との結婚によるものです。もし二人の人間が、かれらを結ぶ絆がかれらを一つにするという幻想に負けなければ、かれらの間に新たな世界を創り出すことが出来ます。~中略~そしてかれらは、この小さな世界から、それらをひとつのモデルとして、人間的な諸問題のあらゆる領域にとって本質的なものを学びとりました。この小さな世界のなかで、かれは、かれの比類のない対話能力、話を聞く際の素晴らしい正確さ、自分自身を率直に表明するための不断の準備、討議中の問題に固執する忍耐力、さらにとりわけ沈黙のなかに引き渡されている問題を対話の領域に呼び戻し、それを語るに値するものに変える能力といったものを展開し、かつ訓練したのでした。こうして、話しかつ聞くことにおいて、かれは変革し、拡大し、鋭くなることーあるいは、かれ自身の見事な表現を用いるならば、明るく照らすことに成功したのです。”

ヴァルター・ベンヤミン
”ただまれに、ベンヤミンが今自分は何をしているかをはっきりさせたいと望んだとき、自分自身を文芸評論家として考えていたし、また仮にかれがこの世である地位を得ることにあこがれていたといいうるなら、「ドイツ文学の唯一の真実な批評家」となることであったろう。その場合でも、それがために社会の有用な一員になるという観念は、かれを不快にしたであろうと思われる。かれがボードレールの「有用な人間とは私には常に非常にみにくいことに思われる」という言葉に賛同していたことに疑問の余地はない。”

ベルトルト・ブレヒト
”こうしてかれは、問題の核心にいたる、透徹した、非論理的で非黙考的な知性に恵まれ、自分を現わすことには寡黙でそうしたがらず、現世から離れていておそらくは内気でもあり、ともかく自分のことにはあまり関心をもたないが信じられないほど好奇心が強く、そして何よりも詩人である。-すなわち、言えないことを言わねばならず、みんなが黙っている場合に沈黙していてはならず、それゆえみんなが口にすることについてはいっそう慎重でなければならないーという人間であった。”

ベンヤミンについて引用した文にも出てくるが、散文詩「悪の華」で有名なボードレール。彼の著作も初めて手に取った。晩年の作品がまとめられた「巴里の憂鬱」その中の「異人さん」という詩で、彼は父母兄弟をいないとし、友人という言葉の意味を分からないとし、祖国がどこにあるかは知らないと言い、金が大嫌いだと言い、では一体何が好きなのかと問われて、雲が好きだと答えている。

そう言えば、広い海を目の前にした時、闇に浮かぶ三日月に目を奪われた時、完璧な音楽に突如として包まれた時、何と言うか、自分という意識が普段より遠のく事を感じる。いや、この言い方は正確ではないな。その一瞬後に我に返って、あの時自分が現世から遠のいていた事を知るのだ。真剣に孤独で在り続ける事は、ひょっとすると、何か自分以外の物と揺ぎ無い繋がりを持つ事の必須条件なのかもしれない。

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暗い時代の人々/ ハンナ・アーレント
巴里の憂鬱/ ボードレール
ベンヤミンの仕事2/ ヴァルター・ベンヤミン