あの日からの、カルチュラル・スタディーズ (7)

第13期(2014年2月-3月)

前回のこのコラムを書いた後、この一週間、あまり文化的な物事に触れなかったようだ。書くべき事がない。読んだ本、観た映画、聴いた音楽、そこから考えた事をここに書いてきた。だから、まずそのインプットがないと、必然的にアウトプットに困る事になる。

一週間を思い返してみる。本は読んだだろうか。いや一冊を通して読んだものはない。確か妻と話をしていて、僕は詩というものがよく分からない、という話になった折、室生犀星の詩集を開いた。以前、妻に勧められて読んだ時よりも、体にすっと入ってくる詩が多くあった。こんな詩があった。

「本」
本をよむならいまだ
新しい頁をきりはなつとき
紙の花粉は匂ひよく立つ
そとの賑やかな新緑まで
ペエジにとぢこめられてゐるやうだ
本は美しい信愛をもつて私を囲んでゐる

他にはポール・オースターが特集のCoyoteという雑誌を風呂に浸かりながら読んだぐらいか。New York で暮らしていた時の事を少し思い出した。マンハッタンから電車で20分程の所にある、森も丘もないForest Hills という名前の街。そう言えばバルトークもかつて同じ街に住んでいたという事を知って、少し興奮したのだった。

それ以外は、ほとんど何も読まなかった。

今、月夜と少年のウェブサイトをリニューアルしていて、その作業にほとんどかかりっきりになっている。3、4年に一度リニューアルをしていて、その度に自分のするべき事、してきた事、普段は自分の中で混沌としていて、上手く説明出来なかったり、それよりも言葉にするのが面倒で、適当に脇においたままになっていた事を、整理していく事が出来る。ウェブサイトのデザインが整って、コンテンツが整理されてくると、自分自身の事までも整理されていく気分で心地が良い。ごく小さなサークルで良い。僕は自分の周りで起こっている事を伝えていくメディアを持ちたいと思っているらしい。企画、デザイン、研究、その3つの領域を上手く車輪が回転するように巡りながら仕事をしていきたい。

2年前の冬から、味噌作りをしている。味噌作りは思っていたよりもはるかに簡単で、出来上がった味噌は思っていたよりもはるかに美味しかった。今年もこの前の日曜日に友人数人を招いて味噌を仕込んだ。本当なら自給自足が一番なんだろうけど、今の生活は遠くそれに及ばない。心許せる友人の作った大豆で、心許せる友人と味噌を作る。それぐらいの事なら、今の僕にでも出来るし、それぐらいの事はしなくちゃならないだろう。

昨日は、滋賀県の大津へ。かれこれ10年以上の付き合いになる、大切な友人がこの春結婚する。パーティーを手伝う事になっていて会場の下見へ行った。琵琶湖がすぐ側にあって、琵琶湖のほとりを歩いて駅まで戻った。琵琶湖はいつ見ても少し不思議な気分になる。海のように広い。でも直感的に海ではないと感じる。それはもう、そもそも海でない事を知ってしまっているからか。大きな水溜りのようだ。水面は穏やかで、パラパラと降る雨が小さな淡い紋を描いている。彼女がこの土地でしっかりと地に足をつけて、生きて行くのだろうという事を、凄くすんなりと想像する事が出来た。今、津田直という写真家の「漕 kogi」という琵琶湖を写した写真集を見ている。太古から現代まで漁業を生業として生きる人々が多くいる。かつて17世紀には1348隻もの丸子船がこの湖を往来していたという。日々の生活の場から、そんな物語の中へと移ってしまった、琵琶湖が美しく写されている。

ここには、日記は書くまいと思いながら、日記のようなものを書いてしまった。今、読み返してみたけれど、やはりサラリとしすぎている。日々の学びの無いところに、良い仕事は出来ぬという事らしい。

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Coyote No.21 特集:柴田元幸が歩く、オースターの街