あの日からの、カルチュラル・スタディーズ (8)

第13期(2014年2月-3月)

カルチュラル・スタディーズ (cultural studies) 。20世紀に始まった学問分野の一つで、政治経済学・社会学・社会理論・文学理論・メディア論・映画理論・文化人類学・哲学・芸術史・芸術理論などの知見を領域横断的に応用しながら、文化に関わる状況を分析しようとするもの。とwikipediaにはある。平たく言えば文化研究といったところだろうか。study を少し調べてみると、調査・検討・勉学・修業・学習・考察・習作・書房・書斎など、かなり広い範囲の意味を持っている。ラテン語であるstudium (熱心さ、勤勉さ)、また古くはインド・ヨーロッパ語の起源を遡ると、(s)teul (押す、突き刺す、ぶつかる、打つこと)などの意味がある語に辿り着くらしい。さらにこの語に起源を持つものは他には、stock、stupid などとある。stupid と study が同じ語源というのが良い。今度はculture を調べてみる。畜養・教養・栽培・養殖・飼育・文化などとある。またインド・ヨーロッパ語の起源を遡ると、kewl (回転させる、ぐるぐる動かす、滞在する、住む)という意味を持つ語に辿り着く。同じ語源を持つ語としてはcycleが挙げられている。cultural studies とはぐるぐる動かして突き刺していく事か、と一人納得する。

僕が、このカルチュラル・スタディーズというものに興味を持ち出したのは、スーザン・ソンタグ (Susan Sontag) の「良心の領界」という一冊の本を読んでからだ。スーザン・ソンタグ。彼女は批評家・作家として知られた人で、文学や映画、アートを中心に多くのエッセイを残し、いくつかの小説も書いている。さらにベトナム戦時下のハノイに赴いたり、内戦中のサラエボで戯曲「ゴドーを待ちながら」の演出をしたり、未見だが映画監督として数本の映画も残していて、実に多才な人物だ。生き方そのものがカルチュラル・スタディーズの実践だったと言えるような人だ。

「良心の領界」の冒頭に、若い読者へのアドバイスとして記されている一文がある。

「人の生き方は、その人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。~中略~
 この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずからが欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。~中略~
 傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負けみずからの生を狭めてはなりません。
 傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
 良心の領界を守ってください。」

また別の著作の冒頭ではこんな言葉も記してある。

「語る声は、行動を訴えかける方向へと、引きずられがちだ。作家は活動家であってはならない。解決を追求すること、そのため必然的にものごとを単純化することは、活動家の仕事だ。つねに複合的で曖昧な現実をまっとうに扱うのが作家、それもすぐれた作家の仕事である。常套的な言辞や単純化と闘うのが作家の仕事だ。」

この中の作家という語を芸術家と読み換えることも出来るかもしれない。世界は複雑に入り組んでいて、矛盾に満ちている。その世界の複雑性を単純化する事なく、矛盾を含み複雑なまま、それでいて多くの人に知覚出来るように取り出してやる。それは、正にすぐれた芸術家達の仕事だ。そんな事をギャラリーを運営していた頃から、常に頭の片隅に置いている。

シモーヌ・ヴェイユ、ボルヘス、ファン・ルルホ、ダニーロ・キシュ、アルトー、彼女の著作を通して知った作家も沢山いる。

もう亡くなって大分経つが、間違いなく彼女は僕の偉大なカルチュラル・スタディーズの師だ。僕は彼女に幾度となく励まされ、勇気付けられてきた。これまでに何度も彼女の言葉を反芻し、そしてきっとこれからも、何度も彼女の本を開くと思う。彼女は僕に一つの基準を与えてくれたのだ。何かに迷った時や、立ち止まった時、彼女の言葉に立ち返れば、自然とその先の進むべき道が見えてくる。

そして、ここには「あの日からの」と記している。あの日とは、連載を始めた当初は原発が爆発した日の事を指していた。でも、人の生き方が、その人の心の傾注がいかに形成され歪められてきたかの軌跡だとするならば、中学生の時に、ジミヘンのギターサウンドに脳天をぶち抜かれた時があの日だとも言えるし、その時大好きだった女の子に、シンディ・ローパーのトゥルーカラーという曲を教えてもらった時があの日だとも言えるし、2011年9月11日、アメリカの地で夢が粉々になって崩れ去ったのがあの日だったと言えるかもしれない。

結局のところ、僕はずっと音楽を通して文学に触れ、アートに触れ、哲学に触れ、世界を眺めてきたのかもしれない。そうやって体験した事、学んだ事を丁寧に言葉に置き換えていく作業はなかなか大変ではあるけれど、とても意味のある事だと思う。

この連載を読んでくれた人、この貴重な機会を与えてくれた、アパートメントの朝弘さんありがとうございました。ここでの連載は今回で終わりだけど、個人的にカルチュラル・スタディーズを続けようと思っている。興味のある人は是非月夜と少年の活動もチェックしてみて欲しい。そして、何よりこのカルチュラル・スタディーズを自分自身でもやってみて欲しい。それを始めるのに知識なんて必要なくて、好奇心があればそれだけで良い。

それでは、またどこかでお会いしましょう。

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cultural studies (wikipedia)
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study
良心の領界
この時代に想うテロへの眼差し

月夜と少年