Convergence〜 邂逅

第15期(2014年6月-7月)

Heart

2003年の10月のある日、ぼくは会社の同僚と仕事帰りに東京駅近くの丸の内ビルヂングの中にある焼き鳥屋で、灰色のスーツと白のワイシャツを着た無個性な会社員達がとりとめもなく酒を飲み干しながら上司への愚痴や小言を繰り返しぼやいたり、というシチュエーションで飲みニケーション中だった。その当時のぼくはアメリカのボストンにある大学院でMBA(専門は国際銀行論)を取得して帰国後、再び何事もなかったように以前と変わらぬ日本人サラリーマンとしてみんなの中に埋没して事なかれ主義第一で家と会社の往復だけで一日を終える様な、そんな日々を送っていた。

金曜日の夜のお祭り気分に少しだけ浮かれる様な陽気さも手伝ってか、同僚の一人が隣のテーブルで同じくはしゃいで飲んでいるアメリカ人ビジネスマングループに酔いの勢いを借りて何やら絡み始めていた。丁度その時、ちょっと遅れて店に入って来たアメリカ人の一人に目をやると、雨に濡れたグレーの前髪がクルクルッとカールした、形のいいあごに少し髭の剃り残しもある湿ったトレンチコートをいそいそと脱ぐ男の姿が目を入った。これがまさか、運命の出会いになろうとは全くその時は知る由もなく。

彼はたどたどしい日本語で僕に自己紹介をして、社交儀礼の如く意味もなく名刺の交換などもしつつ、ぼくはその場を後にした。でも何故か彼の優しい目の中に射る様なintensive さと疲れた表情の中にも時折垣間みられる無垢な表情とあどけない笑顔が脳裏に残ったけど、その時はそのまま別れた。

その後、ぼくの会社員生活はモウレツな忙しさを極め、私生活の空虚さを仕事の忙しさの中に埋没させて忘れるが如くの日々が続いて、彼の事などすっかり忘れ、貰った名刺もその他多数のビジネス関係の名刺の中の一枚として完全に埋もれていた。

いつもの通り残業中のある晩、空調のとっくに切れたむっとする様なオフィスの中で、携帯に短いメールで「この前焼き鳥屋で会った者ですが、もし時間が合えばお酒を一杯どうですか?」という文章が送られて来た。初めは心あたりなく、返事も書かずに保留していたのだけど、帰りの大手町から東京駅に向かって横須賀線のホームにたどり着くまでの間に彼の湿り気を帯びてカールを巻いた前髪と顔を伏せた時の彼の横顔の輪郭が脳裏に鮮明に浮かび上がってきた。満員電車の車内は疲れはてた人達を包み込むむせる様に重く湿った空気が、長い一日を終えて各自のワイシャツにしみ込んだ体臭とも相まって辺りを立ちこめていたのにも関わらず、はっと冷たい水飛沫を顔に浴びた時の様な、そんな目が覚める様な高揚感がぼくの胸の中を駆け抜けた。

年末近い当時の大手町は、今と違って華やぐ様子もほとんどなく、僕の勤めていた商社と同じ様に、街自体が日本の会社文化を象徴する様に灰色なモノトーンのイメージだった。彼との待ち合わせの場所へたどり着くと、そこにはまだ彼の姿はなかったけれども、暫くすると彼が雨に濡れた傘と初めて会った時に着ていたトレンチコートを湿らせながら、前屈みになって急ぐ姿が目に入った。これから先も、何か彼との待ち合わせには雨ばかりが降っていた様な印象がある。そして、この時もそうであった様に、これから先も辛抱強く待つ、という状況が続くことになるのだけれども、当時のぼくは何を自分が求め、または求められているのかも皆目見当つかず、微かな恋愛の始まりの予感、期待、羨望を胸の片隅に抱きつつ、永い永い間凍結させていた魂の一部が自分も知らぬ間に解けだしていたとはこの時は全く気付かなかった。

彼がぽつり、ぽつり、と自分の事を話し始め、ニューヨークのマンハッタンにある大きな病院でパーキンソン病やアルツハイマー病を中心とした脳神経内科医をしていたということ、奥さんは10歳以上年上の日本人女性で、彼女の上流階級に対する取り憑かれた様な願望と彼への支配力の強さに、自分の精神が、心が枯れて全てが麻痺して行く様に感じてる、と初対面のぼくに話し始め、ぼくはというと、あまりにプライベートな彼の話す内容に驚きつつ、話しを聞きながら心の中では「どうしてこの人はぼくにこんな私的な事を話すのだろう。」といろいろ考えていた。その最中にもひっきりなしに奥さんから居場所を確認するための電話がかかってきて、「これは大変だな。もう完全に彼女に仕切られてる」と感じた。と同時に不思議に何か、まるで道ばたで子犬を見かけてそのまま通り過ぎようとしたのに、その子犬が寂しげな瞳でこちらを見上げ助けを、一抹の優しさを乞う様な目線を彼に感じた。そしてぼくは、その子犬をいつも優しく撫でてしまう。

その日からぼく達は度々、仕事帰りに落ち合って食事をしたり、駅から彼のマンションまでの道のりを遠回りしながら話しをしたりするようになって、何か特別の絆を感じるようになっていた。その時、ぼくは彼に既に恋愛に近い感情を抱いていたのだけれども、それまで思春期からずっと実際に恋愛も自分に禁じていたぼくにはこれから先、自分が文字通り身も心も焦がす様な、全身全霊をかけて恋の炎の中に身を投じる様になるとは思ってもいなかった。

ぼくはそれまで自分のゲイである、という混乱の中に他人を巻き込みたくなかったし、女性と偽りの見せかけだけの関係を結ぶ事も、恋愛が絡む人間関係もずっと避けてまるである意味修行僧の様な律した生活をしていて、今思うと本当に若い頃の自分は枯れていた、と思う。今、若い頃の自分の写真を見ると、本当に全身から生気を発散させていて眩しいほどの生命力が目元から、口元から満ち溢れさせていたのに、心の中は殺伐としていて本当に無味乾燥だったと思う。あの頃のぼくに今、出会えたなら自分に教えてあげたい。「これから先、頑張って生きていれば、心の隅まで震える様な喜び、人としてあることの核である人を愛するという事の大切さが分かる時が必ずくるよ。だからあともう一息だよ」、と教えてあげたい。その当時の自分は愛がなんなのか、どうして人は愛だの恋だの、と大騒ぎするのかさっぱり分からなかった。本当にぼくは不完全な人間だったのだと思う。

その年のクリスマス前のある日曜日の午後、彼は携帯に、「家でターキーを焼いたからこれから届ける」というメールを送ってよこした。駅で待ち合わせをしてタッパーにいっぱいに詰められた彼特製のレシピで作られたターキーと真っ赤なクランベリーソースを受け取った時、彼から「ぼくはこれから彼女とマンハッタンへクリスマス休暇の間、行かなければならないけれども、僕の事を覚えていて。いつでも君の事を考えているから。クリスマスに一緒にいられなくってごめん。」と言われた。その瞬間は彼の真意が掴めず、「アメリカ人はこういう事を年末の挨拶代わりで言うのかな」と目の前にあるターキーにばかり気を取られていると、彼はこちらが何かを言いだすのを、ぼくの反応をひたすら待っている。じっとこちらを不安そうに見ている彼を見て、「これは告白なのだ」と一歩遅れて気付いた。

「ぼくも待っているね。」と短い言葉に思いを込めて返す。

暮れの雑踏する街角、顔を上に向け、目を閉じて深く深く静かに息を吸い込み深呼吸する彼。その顔には、ゆっくりとにじむ様に広がる喜びが口元と軽く閉じた目元に現れていた。この目を閉じてゆっくりと深呼吸をしながらまるで至福の瞬間に全霊を沈めるような仕草はこれから先も時折、見る事になるのだけれども、その時は彼がそれほど牢獄の中でがんじがらめにされて自由を奪われた捕虜の様に身動きが取れず精神的に追いつめられた状況にいるとは知る由もなかった。この彼の時折見せる仕草は徐々に人間性を回復して、新鮮な酸素を身体の中に思いっきり取り込んで細胞の一つ一つに染み渡るのを感じて、その事への安堵感と胸の中に広がる開放感、感謝の気持ちを味わっていた現れだったのだと今思う。

翌朝はマンハッタンに奥さんと渡米する彼の背中を年末の駅の慌ただしい群衆の中に見送り、彼が何度も何度もこちらを振り返るのを笑いながら手を振り、ぼくは一人夜の家路についた。彼が僕を必要とし、僕は彼を支え愛して行こう、と互いに確認し合った2003年の末。今から十年以上も前の話しだけど、その日から確実にぼく達の人生は変わった。周囲の人達を巻き込んで、濁流の中へ。〜