夢八夜 第一夜 マヨネーズの床

第19期(2015年2月-3月)

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こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向(あおむき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。到底死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。自分も確(たしか)にこれは死ぬなと思った。 
       夏目漱石「第一夜」『夢十夜』

「ああ動く。世の中が動く」と傍(はた)の人に聞えるように云った。彼の頭は電車の速力をもって回転し出した。回転するにしたがって火のように焙(ほて)って来た。
赤い色がたちまち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。
       夏目漱石『それから』

  *

こんな夢を見た。
とおもってもまだ、
夢だとも、おもわずに、いる。だから、
あれなにかな、とわたしは、いう。

赤いドットが、ある。あれは。

あれはなんでしょう、
とわたしは、となりでいっしょに
あるいているひとに、たずねる。
名前は、しらない。
でも、なんだか、親しい。
よりそいたいかんじも、している。

なんでしょう。

あいては、無言で、あるいてる。
赤い点が、ある。ありますね。
と、わたしは、たしかめるように、おしあてるように、いう。
わたしにだけみえるってことはないよね。
それともわたしはもうゆくべきところまできちゃってんのかな、と。

あなた、どうおもいますか。
あなた、と呼びかけてみる。
すこしだけ、その呼びかけに、賭けようとも、している。
あなた、というそのことばに。

あなたは、やはり無言で、あるく。
ずんずん、あるく。
しぶきをあげるように、影が波だつ。
影から、ぽんぽん、あわだっている。
ねばりつく、沼のような深い影から
微少な影が
ぽぽぽぽぽぽぽとわきたっては
きえて、ゆく。

あたりは、だんだん、くらくなる。
それなのに、この場所ぜんたいに、
寄りかかりたいようなかんじも、ある。

それでも、あるき、つづける。

ふたりして、ずんずん、あるく。
百年くらいあるいたろうか。
いろんなことをおもいだしている。

わたしは、おもいだす。
おもいだすことを、
走馬燈のようにくるくるうつりかわる、
過去の、未来の、記憶の幻灯を、
はじめてしまう。
かってに廻りはじめた走馬燈である。
次回予告も、ない。とめられも、しない。けれど、
走馬燈を、すこしだけ、とめる。
とめて、みる。
すきなひと、だったのである。
すきなひとが、みえた。
走馬燈のなかですきなひとのせなかを、はじめて、みる。

みて、いる。

わたしはすきなひとのせなかなんてみたことが、なかった。
いつも正面からみるしかなかった。真正面しかみたことがなかったのに、
いま、せなかを、みている。

これ、だれの走馬燈なんだ、とおもう。わたしのじゃ、ない。
あなたの? と、わたしは、たずねる。
あなたは、なにも、いわない。
あなたが登場人物だとしたら話は変わってくるのだけれども、
とわたしはおびえながら、あなたにいう。そういっているやさきから、
赤いドットが、ちかづいて、くる。

あれは。

ちかづいて、くる。
くるくると。あかい。
くらい。くるくるの。
わたしが、かれが、かのじょが、
かれらが、あのひとが、あなたが、
くるくるしてきたし、くるくるしてゆくもの。
わたしが、あなたが、
過去になんども眼にしたことのある、
未来にもきっとかぞえきれないくらいに
眼にしていくであろうもの。
こんなにまっくらいのに、
こんなにすべてがみえて。ああ。
わたしは、くちにする。これは。
片蔭のこれはマヨネーズの蓋か

いまここにある、まよねーずの、ふた。
あかいくるくる。

片蔭ってなあに、とあなたがいう。
はじめてあなたの声をきいたような感触を、
ゆっくりにぎるようにして、わたしは、こたえる。
まっくら、ってことじゃないかな。まっくらい。
よくは、わからない。
たぶん、くろくぬりつぶされた場所じゃないかな。
そこでは、せなかも、みえない。走馬燈も、ない。
なにも、ない。

まっくらいんだ。どこにも、いけない。

わたしは、どんどんのめってゆく。
マヨネーズの床をあるいているみたいに。
のめっていくんだけど、とわたしはいう。
これ、のめってます。

ふた、が、ないから。たぶん。きっと、そう。のめるね。
あなたは、うれしそうに、いう。

はじめてあなたのうれしいかおをみたようなかんしょくを、
やっぱりにぎるようにして、わたしは、いう。
マヨネーズにどっぷりつかりながら、いう。
これ、しずんじゃってます。

さっきみつけたでしょう、とあなたがいう。
ふた、とか。
あるいは、ふた、とか。
まだこれからもみつけるよね、ふた。
たくさんの。くるくるの。

ああ。まよねーずのふた。赤い回転するドットのこと。

あふれたくてみつけたんでしょう。
まっくらいばしょで。
ふた。

あなたは饒舌になって
なんどもふたふたとくりかえしてる。
ふた
かきわけてもかきわけても
ふたふた
マヨネーズのおおうなばらで、
ふたふたふた
ゆっくりと、着実に、
ふたふたふたふた
手や足をとられてゆきながら、
ふたふたふたふたふた
わたしもその意味をかんがえている。

ほんとうは真正面なんかに立てなかったんでしょう
といって、あなたが、わらう。
せなかからしか、
うしろからしかみられなかったんでしょう。
だから、

ふたは、ずっと、あなたがもっていたの。

でも──
その意味が
わたしにはわからない。
わたしにはなにもわからないから、
わたしにはこれまで
いちどだってなにかを
わかったことなんてなかったから、だから

とぷん、
と音がして
わたしには、これがわたしにとっての
はじめてのマヨネーズなんだということが、
わかる。

  *

自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁(あかつき)の星がたった一つ瞬(またた)いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気が付いた。
       夏目漱石「第一夜」『夢十夜』

仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄(ほのお)の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行(ゆ)こうと決心した。
       夏目漱石『それから』

  ※

【文中に引用させていただいた俳句、或いはふたのないあふれにあふれるマヨネーズの夢をみるための句】

片蔭のこれはマヨネーズの蓋か  荻原裕幸
  (「世ハ事モ無シ」『週刊俳句 第369号』2014年5月)

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それでは次回「第二夜 みどりのひと」の夢でお逢いしましょう!