夢八夜 第三夜 本屋で鮫じゃんか

第19期(2015年2月-3月)

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お前は侍である。侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚が云った。そう何日(いつ)までも悟れぬ所をも以(もっ)て見ると、御前は侍ではあるまいと言った。人間の屑(くず)じゃと言った。
       夏目漱石「第二夜」『夢十夜』

「君はひょっとして、ここに本を読みにきたのかい?」
「そうです」とぼくは答えた。
「《ほんとうに》ここに、本を読みにきたくてきたんだね?」
羊男の言い方はどことなく妙だった。ぼくは口ごもった。
       村上春樹『ふしぎな図書館』

  *

そんなわけで、ぼくは、もういちど、ぼく自身に対して、こんな夢を見たい、と強く望んだのだ。
これがこのお話のいちばん最後の行になる。

『こんな夢を見たいあなたへ』という自己啓発本を読んだあとに、『へその奥へ』という本を、ぼくは、立ち読みしている。
トマト東郷という売れない作家が書いたものだ。2015年の春に、曖昧書房から出版されている。帯にはこんなふうに書かれている。「こんなにまでしてひとは奥に行かなければならないのか!?」

ジョゼフ・コンラッドは『闇の奥』という小説をものした。マルセル・プルーストは、『失われた時を求めて』という書物を著した。
ぼくは、トマト東郷の『へその奥へ』という本を立ち読みしている。

第一章のタイトルは、こうだ。「へその奥へ」。

ぼくは、すこし、おののく。本のタイトルと章のタイトルが同じだなんて、ちょっと、へその奥にゆきすぎてるんじゃないかな、とおもう。
主人公もそうおもってるらしく、すこし弱気な主人公である。
胸ポケットをやたらとさわる描写がでてくる。なんだかぼくみたいだっておもう。ぼくもやたらさわるくせがあるのだ。そこがへその奥みたいに。

たとえば、ぼくは、告白するときに、ずっと胸ポケットをさわっていた。
あなたのことがすきです、だいすきなんです、あなただけがいいんです、あなたのそのままのそれだけがほしいのです、といいながら、胸ポケットをさわっていたのである。
そのとき、ぼくはぼくの人生の切ない真理にきがついていた。ぼくにとって人生において大事なものは〈このひと〉じゃない。〈この〉胸ポケットなんだ、と。

立ち読みではあるが、第二章まできている。
第二章のタイトルは、「へそのすこし手前へ」。
やはりちょっと奥にゆきすぎたのが、気になったのだろう。物語の語り手も、主人公も、すこし手前へもどろうとしている。ただたんに手前にもどるだけではなかった。ややダイナミックに、もどりはじめている。滝なんかも、こえている。荒行、である。あらぶってさえ、やや手前に、もどろうとする。ひとはそこまでして手前にもどらないといけないのか。

第三章のタイトルは、「立ち読みの背中を過ぎる昼の鮫についての考察」と書いてある。
ここでは立ち読みをしているにんげんの背後にあらわれる鮫についての考察が書かれている。
へその奥から手前にもどった主人公は、だんだんと落ち着き始め、健康的な理性をとりもどし(つまり、くずを脱し、いきいきしたたくましいにんげんになりはじめ)、ははははははははは、と太陽さんさん照るように豪快にわらうようになり、あるひとつの大胆な考察をはじめてしまう。
それは立ち読みをしている人間が、ときどき街から消失しているのは、ふいに背後に現れた鮫が原因ではないかという話である(実際そのころひとが本屋で消える事件がよく話題になっていたのだ。本屋さんで消えてしまうひとたち。ぼくの叔父もそうしたひとびとのひとりだ)。
でも、ぼくはまだどこかで本屋でひとがきえるなんて、しんじていないのだ。そんなことあるもんか、とぼくは立ち読みしながら、おもう。

そのしゅんかん、
そんなことあるだろ、
と背後から声がして、おののきながら、うしろをふりむくと、
鮫が真顔でたっている。

あるだろ。

ぼくは、おののいて、胸ポケットをさわる。
マヨネーズのふたも、非常口のみどりのひとも、でてくるんだから、立ち読みの背後にあらわれる鮫だってでてくるだろ、と鮫はいう。
さめ、だ。
と、ぼくは、おもう。なんだか、まぬけな言い方だけれども。
鮫、だ。

あなたってすごくまぬけなしゃべりかたするのよね。なんていうのかしら、なんだかへんないいかたするけれどね、あのね、あるすごくよく晴れた休日の朝に、飼っていた羊すべてから、ことごとく逃げられてしまって、ぽかんとしてるような、そんなしゃべりかただよね。あなたって。
そんなふうに、ぼくはかつて、女の子から言われたことがあった。
そのときぼくは(胸ポケットはさわっていなかったけれど)背すじをのばし、窓のそとをゆっくりみながら、たしかこんなふうに、女の子に、こたえたんだと、おもう。
わからない。それ、わかんないよ、と。ええと、よく晴れた休日の朝って、たとえば、日曜日とか、祝日とか、いろいろあるだろ、たまたま休みだったのかもしれないし、じぶんでかってにやすんじゃったのかも。
ほら、また、羊、いま逃げていってるでしょ?
女の子が、いう。
そうかな、とぼくはいう。
あれ、羊のおしりよ。
ぼくには、わからない。
わたしには、わからないよ。おかあさん。
そう、トマト東郷も書いていた。
ぼくは……

おい。

と、鮫がいう。
回想ながいよ、と。

そうして、
立ち読みばかりしていないで、すこしおもてにでないか、といった。

ぼくは、うなずく。うなずきかたがよわかったとおもって、二度、うなずく。強引さに、よわいのである。すぐに、ふらりといってしまう。
さめ、でもだ。そしてそんなぼくのよわさが、自分のいままでの人生をめちゃくちゃにしてきたのだ。はちゃめちゃに。たとえば、ぼくはこんなふうにかつていわれたことが

回想に入るのは、やめようぜ。

鮫が、いった。
ぼくは、うなずいた。

ぼくは手にした本を、書棚に返した。つまり、『へその奥へ』を。
本を返すときに第四章のタイトルだけちらりとみたが「本屋で鮫じゃんか」と書いてあった。
ぼくは、なんだかそのフレーズが、ぼくのはじめからおわりまでの枠組みを決定づけているようなきがして、こころのなかで、ゆっくりと復唱した。

本屋で鮫じゃんか。

もういちど。

本屋で鮫じゃんか。

おい。本屋でるまでが、ながすぎるよ。
と、鮫が、言った。
もうそろそろ、ラストに向かわなくちゃならないんだよ。俺たちは。わかるだろ? ラストがきて、引用がきて、写真がはいって、またおあいしましょうとかなんとかフレーズがはいって俺たちの物語は、終わるんだ。ここは、そういう場所なんだよ。でも、そういう場所だからって、生きることをなげやりにはできない。そうだろ?

ぼくには、その意味が、わからなかった。
トマト東郷も書いていたはずだ。この世界はわからないことばかりじゃないか。こんちくしょう。おかあさん、と。

鮫は、ぼくの顔をみていった。
わからなくても、いいんだ。わからなくても、やりつづけてみることだ。やりつづけることで、つながってゆく出来事だって、ある。要は、ばかだって、くずだって、かまわないんだ。つづけることだ。変化のこつは、つづけることだ。

鮫はまるでトマト東郷みたいだとおもった。ぼくは、うなずいた。

よくわからないままうなずいてるよなおまえ、と鮫はいった。でもさ、おろかでも、いいじゃないか。トルストイも、そういってたぜ。ま、てきとうだけどな。
ぼくがついわらうと鮫もなんだかわらって、ふたりして、わらった。

それからぼくたちは、あるいた。
ぼくは、胸ポケットの話ばかりしていたように、おもう。紫色の胸ポケットがすきだったこと、でも紫色の胸ポケットがある服なんてなかなかないこと。それを話したときに鮫が、おまえは精神分析的に変態だなあ、といいながら、肩をこづいてきたこと。それをきっかけにおたがい草原をふいにころげるようにわらいあったこと。やがてぼくたちは街の奥を抜けて土手へ出たこと。土手をあるきながら、たんぽぽを名指ししたこと。その名指しのなかでぼくと鮫のあるやさしさにきがついたこと。そんなこんなで隣町まであるいてしまっていたこと。でもそれがまんざらでもなかったこと。そしてまたそのことでわらいあったこと。しあわせだったこと。

鮫とのわかれぎわ、改札口で、ぼくは、いつかこんな夢をまた見たいもんです、といった。こころおきなく、ぽっと、いった。それしかいうべきことばをもたないように、でもぼくのたいせつな非常口にふたをするように。もうここからさきはぼくは逃げっこないんだぞとぼくがぼくじしんに宣言でもするかのように。でもそれがなにかのはじまりのように。だれかひとりでもいいからそのことがいつか伝わるように。たとえそれがトマト東郷であったとしてもトルストイであったとしても、だ。

そうだろ、と鮫がいった。ひとが消えるってのはいなくなるばかりじゃない。じぶんをとりもどすことで消えることもあるんだ。このものがたりを書いてるやつだって、きっと、そういいたいんじゃないかな。トマト東郷だって、トルストイだって、そうさ。いや、書いてるやつのことなんかどうだっていい。これは、俺たちの話なんだからな。メタ・フィクションなんかくそくらえだよな。

鮫が、言う。なにかが落ちようとしている。夕焼け、である。夕焼けだな、とおもった。トマト東郷風の比喩の使い方をするならば、マヨネーズのふたみたいに真っ赤な夕陽が、フィクションみたいに、鮫のうしろを、おちてゆく。

そういえば、トマト東郷は、少し文体を整えたあとに、ふいに新しい入り口をみつけたように、こんなふうにも、書いていた。
もうわたしにとっての非常口は、ないのだ。しかし、それがなんだろう。わたしがいて、きみがいるのだ。きみたちがいて、わたしはきみたちといっしょにわたしたちに、なるのだ。わたしはなんども生き直し、やりなおすだろう。もう、おそれはしない。わたしには、わたしを取り巻くすべてのぐるりが、重要だ。決定的なまでに、それが大事なのだ。胸ポケットも、卒業する。あれは、もう、わたしにはいらない。きみにも、だ。もちろんだね。行こうか。

ぼくらは、あくしゅをして、わかれた。鮫は、こんな手だけれどさ、手というか、まあ、ひれなんだけどさ、スティーブン・スピルバーグもきっと、こんなかんじもゆるしてくれるんじゃないかな。こういう『ジョーズ』もありだって、俺はおもうよ。
そういって、ぼくの手をにぎった。

帰路をゆっくりあるきながら、ぼくは、鮫のことばを一言一句おもいだそうとしていた。
そのしゅんかん、あなたってなんでもかんでもへたくそだけれど、ことにおもいだすことがいちばんへたくそなのよね、といった女の子のことを、おもいだした。
そっか、とぼくはいった。
女の子は、たしか、はだかのまま、本をよみながら、ぼくの顔もみずに、そういったとおもう。
そのぼくだけしかみていない風景をぼくはともかくなんだかわすれないでいようとおもった。きっとここ一番というときにぼくはふっといまみているこの光景をおもいだすことになるんだろう。でももしたとえそうなったとしてもかつてのぼくがそのようなぼくであったこととしてひきうけようと。

やめないこつは、つづけることだ、とトマト東郷は記している。
ただたんに、つづけることだ。それがいちばんのやめないこつだ。生の持続は、過剰なまでのシンプルさよりほかに手に入れるすべはないのだ。諸君。いこう。奥へ!

鮫の握手。女の子の顔。羊のおしり。立ち読みしていた『へその奥へ』。トマト東郷の数々のことば。紫色の胸ポケット。フィクションみたいな真っ赤な夕陽。めいめいが抱えもつ奥。マヨネーズにしずむひと。みどりのまっただなかにきえたふたり。メタ・フィクション。ぼくのせいかつ。あなたのせいかつ。いまこれを読んでいるあなたの人生。すべてがけむりみたいで、再現はできないし、おもいだすこともできない。けれど、ともかく、わすれはしないんだ、とぼくはおもった。そうつよくおもいつづけることが、だいじなことだって。鮫がいいたかったことは、きっとそういうことなのだ。たとえすべてが消えたとしても、いまここにいるぼく自身の持続をわすれないようにすることだって。それは、消えはしないのだから。

ぼくはまた鮫がだれかの背後にすっと立つことを期待する。
期待しながら、もうふをかぶる。もうふをかぶり、こんどは立ち読みなんかじゃなく、腹這いになったまま、『へその奥へ』を読む。

「奥で、また、逢おう。わたしは、トマト東郷は、どこへも、消えはしないのだから」

そのまま、ぼくはねむってしまうだろう。夢の奥へと、むかうだろう。
すべての未来の記憶がねむる場所へと。なんどでもやり直すために。
そんなわけで、ぼくは、もういちど、ぼく自身に対して、こんな夢を見たい、と強く望んだのだ。

  *

はっと思った。右の手をすぐ短刀に掛けた。時計が二つ目をチーンと打った。
       夏目漱石「第二夜」『夢十夜』

目を開けたとき、となりに羊男の姿はなかった。ぼくは立ちあがって、あたりを見わたしてみた。大声で羊男の名前を呼んでみた。でも返事はない。朝の太陽が最初の光を、木々の葉に投げかけていた。羊男はなにも言わずに、どこかに消えてしまったのだ。まるで朝露(あさつゆ)がじょうはつしたみたいに。
       村上春樹『ふしぎな図書館』

  ※

【文中に引用させていただいた俳句、或いは立ち読み中ふいに鮫とであう夢をみるための句】

立ち読みの背中を過ぎる昼の鮫  西原天気
  (「だまし絵」『けむり』西田書店、2011年)

冒頭と末尾の村上春樹の引用は、村上春樹・佐々木マキ『ふしぎな図書館』(講談社、2005年)に拠った。

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それでは次回「第四夜 こんなゆめをみたこんなゆめをみたえれくとりかるぱぱぱぱれーど」する夢でお逢いしましょう!