夢八夜 第二夜 みどりのひと

第19期(2015年2月-3月)

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「御爺さんの家は何処かね」と聞いた。爺さんは長い息を途中で切って、
「臍(へそ)の奥だよ」と云った。
       夏目漱石「第四夜」『夢十夜』

あたしと一緒にいるときも、あなたは時々風をみていた。あたしには聞き取ることのできない鳥の声に気づき、水の底の魚の気配を読んでいた。あなたの気持ちは取りとめがなく、笑う顔さえ蝋燭のように儚くて、あたしを不安にする。あなたは、いつもひとでないものに心を奪われていた。
       大田淳子『5 DROPS みどりのひと』

  *

こんな夢を見た、と信じようとしている。わからなかったから。さようなら、と云われて、え、って思う。さようなら、と云われたことがじゃなくて、喋ることができたことに、驚いている。

緑のひとの、緑色の、くち。緑のひとの口は、ここにあったんだってあたしは思う。こんなところに、あった。

さ よう なら

初めて口を開いたときに、さようならなんだって思う。こんにちはでも、あたしの名前でもなく、緑のひとの名前でもなくて。

緑のひとが初めて話してくれた言葉は、さようなら、だった。

口があるんだったらいろんなものを一緒に食べればよかったとも、思う。そうしたらたとえそれが真夜中だって、オムレツでもグラタンでもサンドイッチでもなんだってつくったのに。そう云おうとしたときに、

さ よ なうら

まだ、うまくは云えないさようならを云ったあと、緑のひとは丸い首をかしげる。まるで初めて眼にしたおもちゃを撫でるようにもう一度、

さよ ううな ら
と、云った。

緑の点が、ある。たぶんそれが緑のひとの口なんだと、思う。そこが、時々、動く。また、さようならと云っている。朧気で、微かで、儚げで、森のずっと遠くからきこえてくるような、体の手の届かない場所から震えるような、こえ、で。

名前は、知らない。みどりのひとだから。

あなたって、あたしにだけみえるってことはないよね、とあたしは時々、緑のひとに云っていた。緑のひとには、緑のひとの仲間がたくさんいて、そこには緑の王国があって、緑のひとが、緑のひとびととして集い、愉しそうに暮らしている。そのときあたしはどこにいるんだろう、って思う。

どこ、なんだろう。

あなたのことが急にわかることで、わからなくなるの。たとえば、なんていえばいいかな、物蔭で見つけたマヨネーズの蓋みたいに。わかるってそのひとのことが逆にわからなくなっていくことじゃないかな。わかることで、そのひとのもっと奥にある、わからなさをみつけていくっていうか、わかることでそのひとを見つけた瞬間、見つけられなかった場所もはっきりとする。だから、あなたのずっと奥にある、つまり、ええとね、──。緑のひとに、あたしはあたしに話し掛けるように、云ってみる。ほらこれね、マヨネーズ。ねじまきみたいじゃない? こうやってくるくるすると蓋がとれて、星形のマヨネーズがでてくるの。

緑のひとは、息を詰めて、見ている。

緑のひとは、時々、空を見上げていた。緑のひとの眼もわからないから、あたしも同じ恰好をして、見上げる。そうすると、わかったような気持ちになる。でもそのわかったような気持ちが、あたしをわからなくさせていく。わからなくなっていくことが、あたしを悲しい気持ちにさせていく。あたしが悲しそうにすると、緑のひとは、少し、──

嬉しそうに、する。

ねえ、みどりのひと。と、あたしは呼んでみる。還るとしたら空なんだろうか、あなたは。と、あたしは黙ったまま、口にする。エイリアン、みたいな。エイリアン、だったら。でも、あなたにとってあたしもエイリアンかもしれなくて。それだったらあたしはいずれ──。

さようなら

今度は、すうっと、云った。緑のひとが、さようならに、習熟していく。丸い頭が、丸い手が、丸い足が、嬉しそうに、揺れる。

揺れながら──。

緑のひとは、歩き出してしまう。ちょっと、待ってよ。思わず、緑のひとを掴む。これが多分、緑のひとの手だと、思う。ふやふやしている。そうかと思うと、ぎゅっとなる。凄い力で、ぐうっと体を引っ張られる。丸い緑の手。あたしたちと同じ手の位置にあるから手だと思う。さようなら、と口にされてあたしは初めて緑のひとを、知り始めている。いや、知ろうとしている。

緑のひとが、駆け出してしまう。緑のひとの背中をはっきりとみる。前も後ろもよくわからずにいたから。去られる、っていうことは、そのひとの背中がわかることになるんだ。あたしにとって、緑のひとは──。

さような らな

へたくそに、云った。緑のひとの、さようなら。緑の、オリーブの、萌葱の、鶸色の、ビリジアンの、様々なニュアンスの、さようなら。緑のひとは、愉しそうだ。緑のひとが、歩く。あたしの手をひいて。歩きながら、
も り 、と緑のひとが云う。もり。さようなら、みたいに。初めて、さようなら以外の言葉を、口にする。そうして、あたしにも、ふっと、わかる。

あたしは、いま、非常口の緑の人と森へゆくんだ──。

ひ じょ  おうぐち、と緑のひとが、云った。非常灯のようなかすかなグリーンが、時々、緑のひとから仄かに明るんでいる。本当に非常口みたいだねとあたしは思う。思いながら、どんどん連れ込まれてゆく。緑のひとが速過ぎるから。緑のひとはどんどんエスカレートして、走る。嬉しそうに、笑う。揺れる。無邪気に、エネルギッシュに、笑う。さようならさようなら、と繰り返している。もうわかったでしょう、なんて緑のひとは云わない。その意味があたしにはなんとなくわかっていたから、あたしにはなんだかすこしわかりかけていたから、あたしは黙って非常口を通り抜け、た。きっと世界には幾つもの非常口があって、その時々で、ここではないどこかへとそれは通じていて、そんなことを考えている合間にも──

走り抜けて、いる。

森が、緑が、非常口が、何度も何度も通り過ぎるのを、あたしは、眼にする。いや、それは、森でも、緑でも、非常口でも、ない。無数の緑のひとと共に、あたしたちは、走っている。おびただしい緑のひとびとが、あとからあとから、ついてくる。もうここは森だから。さようならさようなら、とこだまする。走っても走っても、走ることが意味がなくなってゆくようなその場所で、あたしはあたしの緑のひとの手を握ったまま、走り続ける。このひとだけが、あたしの緑のひとだとも、思う。森の非常口さえもくぐり抜けて、あたしたちはどこでもない場所へと走り抜けて、ゆく。凄い速さで駆け抜けてゆく、そのさなかに、

み ど り

と、緑のひとが、あたしの名前を呼んだ。みどり。非常口にずっと佇んでいたのは緑のひとじゃない。呻いて、悲しんで、突っ伏して、ずっと非常口の下に立ち尽くしていたのは、あたし、だったんだ。非常口のみどりは、あたしのことだ。そして、あたしの、みどりの、緑のひとが、あたしの手を、今、引いて、いる。だから──

「さようならしよう、みどり」

緑のひとがあたしと同じにんげんの声で話した瞬間、あたしはこれでやっと訊くことができると思って、緑のひとに、ほんとうの質問をした。あたしたち二人は、これからどこにゆくの、と。緑のひとは、きちんとした発音で、臍の奥へ、と、云った。そして、
辺り一面、緑(みどり)になった。

  *

 「深くなる、夜になる、
  真直になる、」
と唄いながら、どこまでも真直に歩いて行った。そうして髯も顔も頭も頭巾もまるで見えなくなってしまった。
       夏目漱石「第四夜」『夢十夜』

森の中で見失っては終わりだと思っている。あなたはみどりのひとだから。
       大田淳子『5 DROPS みどりのひと』

  ※

【文中に引用させていただいた川柳、或いは緑のひとと手をとりあって森にかえる夢をみるための句】

非常口の緑の人と森へゆく  なかはられいこ
  (「黄身つぶす派」『川柳ねじまき 第1号』ねじまき句会、2014年)

冒頭と末尾の大田淳子の引用は『NHK-FM 青春アドベンチャー 5 DROPS(ファイブ・ドロップス)』2001年2月の音源に拠った。

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それでは次回「第三夜 本屋で鮫じゃんか」の夢でお逢いしましょう!