夢八夜 第五夜 びいいいいいっとした夢

第19期(2015年2月-3月)

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路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧が食付(くっつ)いていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。
       夏目漱石「第三夜」『夢十夜』

「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありました
       夏目漱石『こころ』

生きていても、だんだん死んでゆく。大好きな人が死ぬたびに、次第に死んでゆく。
死んでいても、まだ死なない。大好きな人の記憶の中にあれば、いつまでも死なない。
       川上弘美「ゆるく巻くかたつむりの殻」『どこから行っても遠い町』

  *

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こんな夢だけは死んでも見たくないものですか。

Yさん、これはそんな書き出しで始まる手紙です。

Yさんはたくさんの○のかたちについて教えてくれました。だから私はYさんに私の□についての手紙を書きたいと思います。

こんな夢だけは死んでも見たくないものですかと、Hさんが私に唐突にいいました。きのうのことです。私は棺のなかにいて、ずっとKの名前を繰り返し唱えていたのですが、それもやや飽きそうになっていたときふいにひゅうっと棺のなかに入ってきたHさんがそういったのです。

ひとの名前を繰り返し唱え続けるって、変な感じです。そのひとの過去がいっせいに私の胸や頭や指先や爪先、体の隅々を巡るけれど、でもいつまでもふわふわしていて、そのひとの小指ひとつ、辿りつけない。ずっとふわふわをめぐって、よるべないそのひとの感触を探っているような、そんなきもちで、そんなきもち自体がいきているのか、しんでいるのかもわからない。

Kがかつてこんな言葉を私にいってくれたのを思い出しました。

しんだらみんなどこにゆくのかな。僕はね、自分がしんだら、その場にずっととどまっているようなきがするの。幽霊になってもその場で寝転んでるようなきがする。いきていても恥ずかしかったのに、しんでもこうして心持ちがあることが恥ずかしいって。ねえ。寝転んだ幽霊って想像したことある? どうして幽霊ってみんな立ってるのかな。寝転んでたり、腹ばいになってたらだめなのかな。ねえ。だめなの? 僕は怠けものだから、幽霊になっても、いきている頃と変わらずに、眠っているきがするのよ。幽霊になってもそんな自分でいることに恥ずかしがりながら、こんこんと眠りつづける気がするのよ。だとしたら、いきているものとしんでいるものの境ってなんなのかな? なんなの。ねえ。そんなふわふわでも、そんなよくわからない僕でも、あなたは僕のことを思い出して呉れますか。

私は、その時、なんといったのか、よく思い出せません。うん思い出すよ絶対と慌てて答えたのか、それとも笑ってごまかしたのか。Kのこどものような甘ったるい口調ばかりが頭のなかでぐるぐると渦を巻いてよく思い出せない。でも、私はしんでからの方が、Kのことを思い出すことが多くなったきがするのです。

いきている間は、関係上なんだか自分は自分で、Kのことを思ってはいけないようなきがして、でもなにを読んでもなにを観てもKのことばかり思ってしまうので、すきとかきらいとか、だいすきとかだいきらいのあわいにあるふわふわしたような場所で、ずっとうろうろしていような気がしていたのです。今ふり返ると、そんな状態が幸せだったとも思うし、同時に、幸せでなかったとも思うのです。末永く二人は幸せに暮らしました。ではなく、末永く二人はふわふわに暮らしました。私にとってはなんだか、そうだったのです。もし私のことを昔話に押し込めて貰うならば。

私は、いま、棺のなかにいます。四角く、角張った棺のなかに。

棺のなかにいて、いろんなことを思い出している。棺から出ようとおもえば、実は、でられるのです。ただ私はもうしんでいるわけだし、だからこそ、しんでいる人間が、棺をあけてでていくのは、なんだか恥ずかしいとも思うのです。Kが何につけてもよく恥ずかしい恥ずかしいといって顔を覆い、なにひとつ行動に移せなかったみたいに。

あなたがすきであることさえも僕は恥ずかしい。僕は僕でいることに恥ずかしい。

私はそのときはなんて駄目なひとをすきになってしまったのだろうと思ったのですが、いま考えてみると、Kはいきている間に、しんでいたのかもしれません。Kの浮ついた、よるべない、生気のない口振りを思い出しては、そんなふうにも思うのです。いきているのに、もう自分がしんでしまっていたことの恥ずかしさがあったのかもしれない。そんなふうに今なら考えることが、私にも、できるのです。私ももう、死んじゃってはいるのだけれど。

だから、私も、ときどき、恥ずかしくなる。ここにいるのもなんだか恥ずかしいし、ここからでて、元気にふるまって歩くのも、恥ずかしい。なにしろ、いきている間に、しんだ時に、どんなふうにふるまったらいいか、まったく学んでいないものですから。私はHさんに聞いたこともありました。しんだ人間はどんなふうにいきていったらいいんですか、って。誰も、教えて呉れはしないでしょう。そういうものって。Hさんはいいました。好きにしたらいいんじゃないですか。しんだからって真面目になる必要はないですよ。かわらない部分は、かわらない。あなたは、あなたなんだから。

Kが一度だけ私に生クリームのたっぷり入ったオムレツをつくってくれたことがあります。部屋中に香りが抜けるようなふわふわのオムレツをつくったあとで、Kはしょげたようにいいました。ふわふわって、さびしいよね。さびしいってこわいよね、と。そして続けていいました。僕は卵がこわい。生命が充実しているのってなんだかこわいのよ、と。そうしてふいに、あなたのこわがる顔もこわいしすきだ、といって部屋を出ていってしまいました。使い古されたたましいのようにひょろひょろとして。

そんなことを思い出していたときに、Hさんが私の棺のなかに、また、ひゅうっと入ってきました。そうして昨日そういったように、また、こんな夢だけは死んでも見たくないものですか、と私にいいました。

私が言葉に詰まると、ああいい容顔(かおつき)になってきているじゃないですか、とHさんは私をみていいました。かえっていきいきしていい顔です、と。

Hさんは気さくな感じで、たくさんのことを私に話してくれます。しんだ今でも、思い出す本があること。それはいきている間はまったく気にもとめなかった本であること。さらりと読んだだけだったのになぜか今になってまざまざとその本の記憶が蘇ってきていること。ひとの記憶のありかたなんて、誰にもわからないんだということ。忘れる、ということは、どういうことなのか、本当は誰もしらないんじゃないかということ。

ところでね、とHさんがいいました。

しんだらみんなどこにいくと思いますか?

私は少し考えて、そうですね、たとえば好きなひとの家じゃないですか、思い出の場所とか、よく通ったスーパーマーケットとか、公園とか、と口にしました。あ、惜しいですね、といってHさんは、笑いました。

図書館です。図書館なんですよ。みんなひまで、図書館の全集コーナーにいる。でも全集も読破してしまって。それで。それでね。

ええ。

しんだらね。

ええ。

しんだら、みんな、読書家になるんです。

Hさんが、ほほえんで、言いました。いきている間にもぼくはあんなに本を読んだのに、またしんでからも本を読み続けるんだなあと思ってね。だとしたら、読書ってなんだろう、って思ったんですよ。でも、だんだんいろんなことが変わってくる。いろんなことが、わかってくる。いろんなことに、きがついてくる。頁の紙質のきめ細かさや、書体のごつごつした感じや、どんなふうに一行一行が組んであるとか、ね。そういったどうでもよかったことが、いきいきしてくるんです。どうでもよかった記憶が、どうでもよかった風景が、どうでもよかった出来事が、どうでもよかったひとたちがいきいきといきづいてくるんです。ふしぎですよね。だって、

しんでも、いそがしいんだ。

Hさんは私をみてわらいながら、そういいました。

私はそのHさんの言葉で、ふいにKがもじもじしながらいっていた言葉を思い出しました。

いそがしいのよ。

恋をしていると、いそがしいのよ。いろんなことを考えなくちゃならないし。あなたのことを考えたあとできょうたべるものを考えてそのあとですぐあなたのことを考える。いそがしくなっちゃうのよ。ひとをすきになっちゃうと青空なんかもせわしなくなる。オムレツもすぐつくっちゃうから、ふわふわになる。自分が自分でもきがつかないでかわっていってしまう。

そう、変わってゆくんですよ、どんどんね。そうHさんはいって、ばらばらと、棺のなかに、なにかをまきました。棺のなかが、ふわっと、明るくなりました。

なんですか、と私はいいました。どうしてなの、とKの言葉もふいに明かりを割るようにきこえました。すきになるってどうしてなの。Kの記憶がぐじゃぐじゃと溶け込んで、あたりいっぱい、カラフルなひかりに、包まれてゆきます。

くれよん、です。クレヨンってしっているでしょう。

ああ、くれよん。とたんにクレヨンの油っぽい記憶の香りが、私の鼻をすうっとぬけていきました。記憶って、いきいきしているんですね、私がしんでも、と私はふっとHさんにいいました。

そうなのよ、と記憶のままの、ぐじゃぐじゃのままのKがいいました。卵みたいなのよ、記憶って。だから、こわいし、たのしいのよ。

そうですよねえ、とHさんがいいました。思い切りいきるのも思い切りしぬのも大事(おおごと)でしょ。

大事(だいじ)なのよ、とHさんのことばを継いでまたKがいいました。ひょろひょろした青いいっぽんのひかりが、ゆるく、ゆっくりと、わたしの鼻先をなでるように、通りました。

Hさんが青いクレヨンをいっぽん手にとると、私のてのひらにのせました。これで絵でも描いてみてくださいよ。ひつぎに。意外と好評なんです。おもしろいんだから。だってたとえばいきていたときに三十六色のクレヨンで描く棺の中なんて想像したことありましたか?

Hさんがいいました。もちろん、ありませんでした。いきていた頃は、いろんな境界線がはっきりしていた。だから、いろんなことが想像できなかった。想像してはいけないとも思っていました。いろんな関係があったし、そうあるべきでない関係もあった。あるべき生き方と、あるべきでない生き方にわけられていた。そうなのよ。線がたくさん引いてあった、とKの声がしました。でも、しんでから、いきていた頃とはまた違ったかたちの想像が違ったふうにできるようになりました。しんでから、いろいろ、また、かわった。かわったね、とKがいいます。かわったよ。あなたも僕も。

人間って、おもしろいですよ。どうなろうとも、まだ、可能性が、ある。どんどん可能性がわいてくる。わるいひとにもなれるし、いいひとにもなれる。なんにでも、なれる。何でも、できる。陳腐なことばだけれども僕はそう思う。こんな棺の中でさえ、いろんな可能性があとからあとからやってくる。それは、凄いことですよ。棺のなかにクレヨンで絵を描いたりもしてね。そういって、Hさんが、わらいました。

記憶は、なんどでもやってくるんです。過去からだけじゃない。現在にも記憶はある。それに未来からだって記憶はやってくるんだ。そうなんですか、と私はいいました。ええそうですよ、とHさんは平然としていいました。僕らはその記憶に向かって生きたりしんだりしていくときだってあるんです。

私はそのとき、会ったこともなかったようなひととさえ、手をつないでいるような気がしました。会ったこともなかった私とも。であわなかったひとびとと、私のしらないすべての人々と手をつないでいたようにも、思いました。そうね、いろいろつながってゆくのよね、とKがいいました。僕はそんなきがするのよ。だから少し恥ずかしいのよ。未来ってあふれすぎてるから、恥ずかしいのよ。いきていても。しんでいても。僕を超えてやってくるから。

あの、と私は思いがけずHさんに聞きました。これって夢ではないんですよね。

ええ、夢ではないですよ、とHさんはいいました。あなたがみている夢でも、誰かがみている夢でもないですよ。観てご覧なさい。Hさんはそういうと、クレヨンで、棺の中に、ゆっくりと線を、引いていきました。

どんなに線を引いても引いても、その線をこえて未来が、過去が、いまが、やってくる。可能性は、無限大だ。いきていようが、しんでいようが、僕らは、残る。たくさんの線のなかで、線がつなぎあわせる絵のなかで、そのときどきのやりかたで残ってゆく。

引かれた線に呼応するかのように、クレヨンのひとつひとつが棺の闇のなかで強いひかりを放ち始めました。あふれる三十六色のひかりのなかで、きれいなのよ未来って、だから恥ずかしいのよ、というKの声が、棺の中に鮮やかに響きました。私はまだ、この棺の中で、KやHさんといるかもしれない。ごたまぜの回想と未来の記憶のなかで何万色もの光を浴びながら、しんだ私がまだ依然としていきた私を続けるかもしれない。そんなふうに、思ったのです。

Yさん、これが私のいまある□です。でもそれは線の引きようによっては○になるかもしれない。そういう□です。絵は○でも□でもない。いちように片づけられないからこそ、それはなんまんもの線になって、何度も絵としてたちあがってくる。そういう□としての棺のなかで、私は今もいきいきとしんでいるのです。しんでからも生き続けているのです。

こんな夢だからこそ死んでもまだ見たいんだって、そう思えてきたでしょう、そうじゃないですか、と、Hさんがいいました。こわいことってわからないから恥ずかしいことでもあるし、恥ずかしいからたのしいことでもあるのよ、と、Kがいいました。私は、ふたりの言葉のまんなかで、真っ青なクレヨンを手に取ると、すべての私に答えるように、棺の全面にびいいいいいっと線を引きました。

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  *

彼等は冷やかなる壁の上に只一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る横縦の疵はこの生を欲する執着の魂魄である。
       夏目漱石『倫敦塔』

平蔵さんが死んでも、源二さんが死んでも、あたしのかけらは、ずっと生きる。そういうかけらが、いくつもいくつも、百万も千万もかさなって、あたしたちは、ある。
いつか人間がこの世から絶えてしまうまで、あたしも、平蔵さんも、源二さんも、生きている。この町の、今ここにいる人たちにつらなる、だれかの記憶の奥底で。そのだれかにつらなる、まただれかの記憶の奥底で。
       川上弘美「ゆるく巻くかたつむりの殻」『どこから行っても遠い町』

  ※

【文中に引用させていただいた川柳、或いはたとえそこがどんな場所であれたくさんのカラフルな夢をみるための句】

三十六色のクレヨンで描く棺の中  樋口由紀子
  (『容顔』詩遊社、1999年)

冒頭と末尾の川上弘美の引用は、川上弘美『どこから行っても遠い町』(新潮文庫、2011年)に拠った。

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それでは次回「第六夜 オクムラくんとミッコさんと闇シャンプーをさがす」夢でお逢いしましょう!