「緑子の部屋」第5回

第20期(2015年4月-5月)

   n_4
4-1
「でもなんか、ありますよねそういう」「え?」「緑子、サン? って知らないけど、そういう女の人って、何も言わないでただジッと見てる、みたいなの、やりそう」「あ、そう?」「うん、想像つくナー」「へーそうなんだ」
 と言ってクソ男が、新しいタネの入ったボウルを冷蔵庫から出すのにかこつけて、立ち位置を一歩左に寄せた。肘が、女の二の腕に触れている。女はそのままにしているが、おれには分かる。あいつは絶対気が付いている。

 皮をとって・ヘラでタネを乗せて・縁に水をつけて・閉じて包んで並べる。
 皮をとって・ヘラでタネを乗せて・縁に水をつけて・閉じて包んで並べる。
 皮をとって・ヘラでタネを乗せて・縁に水をつけて・閉じて包んで並べる。
 皮を「でもヒドイなー大熊サン」と「え、何が?」って「えー? だって、二股かけてたってことですよネ? その(ヘラで)緑子サンと(タネを)アヤチャン? ドイヒーじゃないですか」乗せて「や、まあ結果からしたらそうなんだけど、(指を)不可抗力だったんだって」水の「えー、意味わかんナイ」入った小皿に突っ込んだまま、停止する。餃子に集中したいのに、つい会話を聞いてしまう。やつらの茶番に侵食される。おれの目の前で、クチャクチャしやがって。クソヤローとクソビッチのイチャイチャパラダイスで、おれはひとり、耐えている。地蔵のような気持ちだ。

「やっぱ井尾ちゃんは、そういうのって嫌なのかな?」「そういうの?」「あ、ごめん今のナシ」「んん~? や、でもー、自分がされたらイヤだけど、分かるヨ」「あ、そお?」

 この男女と同じシフトにされたことを恨む。

 突然、ピーピーピーピーピー……と警告音が鳴って、ラインが停止した。野菜と肉が合流するところで容器がなぜか次に流れず、あふれた肉が床にこぼれ落ちていた。あーあ、と女が言って、男が舌打ちして駆け寄った。おれは見なかったことにして、包む作業を再開する。
「ごめん井尾ちゃん、ちりとり持ってきてくれるー?」
 ハーイ、と言って女が離れた。二人はこぼれた肉を床から集め、雑な手つきで新しい容器に入れていく。
「ライン管理って、ほんとは社員の仕事なんだけどね」「そうなんですねー。……あの、」「ん?」「これってまだ続く感じなんですかね?」と女が甘えた声を出す。「あ、疲れちゃった?」「ハイ」は?「じゃ、ちょっと休んでもいいよ」おい。「え、でもさすがに、ねぇ?」と言って女がこちらをチラ見してくるので、おれは気付かないフリをする。皮をとって・ヘラでタネを乗せて「大丈夫大丈夫、オレ見とくから」いやいやいや。見とくからじゃねえよ。お前もただの派遣だろ? ちょっと長いからってエラそうにしてんじゃねえよ。「ウソーありがとうございますー!」コラ。ウソーてなんだ。お前が要求したんだろうが。ありがとうございますうじゃねえよ、やたらと語尾を伸ばすんじゃねえよ、きちんと喋れこのヤロウ、と女をガン見していたら、振り返った女と目が合った。ので、縁に水をつけて・閉じて包んで並べる。皮をとって・ヘラでタネを乗せて・縁に水をつけて・女はまだおれを見ているだろうか? 閉じて包んで並べる。皮をとって・ヘラでタネを乗せたところで女が言った。「あ、そしたらー、休まなくていいから、結局何が一番原因で別れちゃったんですか?」

4-2
「え? その話、戻る?」「だって気になるじゃないですかぁ~」と言った井尾ちゃんの口元が、悪戯っぽく歪んでいる。あーこの子、性格悪いんだろうなー。でも可愛いなあ。ただ俺的には、そのチークはない方がいいんだけど。ジョシってなんで頬を丸く塗りたがるんだろうな。インコか。
「ホラ、早くしないと社員サン、戻って来ちゃいますヨ?」「や、おかしいでしょ!」と言いつつ僕はもう、喋ってもいっかという気分になっている。昔のことだし。ネタになるなら。
 井尾ちゃんの「大丈夫。誰にも言わないし」に「えー?」とかって返したりして。こういうのって楽しいですよね。「んーじゃあその代わり、餃子作りながらね」「ハーイ」
 思い切って、僕は井尾ちゃんの両脚の間に左足を差し込んでみる。片足立ちで、井尾ちゃんのロングスカートの裾をちょっとだけ持ち上げてみる。つま先がふくらはぎにチョンと触って、井尾ちゃんがピクッとする。今まで色々ちょっかい出しても、拒絶しない代わりに反応もしてくれなかったけど、今回はさすがに、えー? って言ってクスクス笑った。笑ってるってことはOKってことか? 楊サンが見てるよーとか言ってるけど、チャイナに見られてることも含め、たぶん井尾ちゃんも楽しんでると思う。これは、いやって言いつつ喜んでるパターン。「え、ねえねえそれで? なんで別れちゃったの?」

4-3
 お兄ちゃんが、って言って。緑子が。お兄ちゃんがいきなり家を出ていって、物凄い勢いでその男を殴り飛ばしたの、とか言って。うちには父親がいなかったから、って。あ、そうなんだ、と思って。親父さんいないっていうの、知らなかったんで。でも面倒臭かったから、そのことには触れなかった。あ、そうなんだ、って思ったけど、うんうん、って言って。でも触れて欲しかったのかもしれない。ていうかたぶんそうなんだけど。そういうの分かるし。(あーハイハイ)あっちも、俺が分かってるって期待して言ってるっていうのがあって(フーン)(え?)は?(……)(ヤダー楊さん聞いてる?)……で、まあそういう甘えみたいなのが、その頃はもうイチイチほんと腹立って、だから余計に、絶対触れてやらなかった。(あー)一旦そういう風になると、どんどん関係がおかしくなってきて、緑子がなんかすがってくるみたいな感じになって、すごい誘ってくるというか(エー!)でもそうなっちゃうとこっちはヒいちゃうっていうか、(あー)だから最後の二ヶ月半くらい、たぶん緑子には全く触ってない。

4-4
 そこでいきなり男が振り返ったので、おれは無防備に奴らを凝視していたところを見られてしまった。男も、ぅわ! と言って驚いて、楊さん! 手止まってるよ! と怒鳴られた。
 おれは佐竹だ。楊じゃない。だけどこいつらはどこで知ったのか、おれを昔の名前で呼んでくる。たぶん社員のあいつだ。面接の場で喋ったことを、こいつらに面白おかしく話したんだろう。

4-5
 なんだけど、じゃーあー、なんですぐ別れなかったのかっていうと。おかしいんだけど、嫌いじゃなかったから。というか、なんかすごく、執着があって。(ハイハイ)……まあ、でもどっちが先なんだろうな。緑子のすがってくる感じと、こっちの振り払いたくなる感じ。どこかで何かを間違ったとかいうことじゃなくて、緑子とは最初からそういうの、避けられなかったような気がするんだけど。でも最後の方はほんとひどかった。ていうのはたぶん、俺が。

「…ハイハイ」
と楊サンがつぶやいて、大熊サンがパッとそれに反応して振り返ったので、慌てて続きを促した。「え、それでそれで?」

 ……それでなんか、お兄ちゃんが守ってくれて、というようなことを言ってて。「守られてる」ことを知って初めて、「守られない」状態を想像した、みたいな。まあ何言ってんのかよく分かんなかったんだけど

「オマエガナ」

 私が止めるより早く、大熊サンが楊サンにつかみかかった。……と思ったけど、今度もただ勢いよく振り返っただけだった。
「楊さん、包むの終わった?」「終わっタ」「終わってないじゃん、まだ皮あるでしょ」「肉ガ終わっタから出来ナイ」「ダメだよ、楊さん遅いんだから。私語禁止ね」
 楊サンは確かに包むのも遅いし、形も汚いから、いつも社員サンにも怒られている。まだ入って二週間だけど、たぶんこの人いくらやっても変わんないだろーなって感じがする。反省とか、自分のやってることへの疑いとかがない感じ? ってまあ私だって人のこと言えないけど、私の分は、大熊サンがやってくれるから大丈夫。
「肉ナイ」
 楊サンの目は、キョロキョロして落ち着かない。だけど油断すると、気付けばじっとり見られてる。
「だから肉が先になくなっちゃったのはサ、ホラ見て、楊さんの作った餃子、大きいじゃん?」と言って大熊サンが、自分の包んだ餃子と楊さんの餃子を比べて見せる。「小サイ」「うん、言ったよね? 楊さんまだ初心者だから、十個ごとに秤に載せて量ってねって俺、言ったよね?」「ハイ。デモ中国ではコレでハ小サイだカラ」「うんここ日本だから。楊さんさ、遊んでるとファイアーだよ」「エ、自分」と言った楊サンの小さな目が大熊サンに固定された。手の甲が下に向けられた、妙な指さす形で、人差し指をびたりと大熊サンに向けている。「は?」と言って大熊サンが明らかにキレそうになっているので、「いいよ大熊サン、楊サンも頑張ってるんだし!」と言ったら楊サンは、すっと目と指を私に向けて「オマエモナ」と言ってくるので、ん? どういう意味だ?! と分からないけどぞっとした。「いい? 楊さん、私語ノーだからね」と言った大熊サンにまた楊サンの目は向いて、「ジブン、足」と指が彼の左足を指す。「ヤダ、楊サン何言ってんの?」なんでか分からないけど、罰が当たったみたいな気分になった。「大丈夫大丈夫、どうせ内容分かってないから」と大熊サンが私の肩を抱きかかえるみたいにして強引に作業に戻らせようとするけど、楊サンの目がこっちを見てる。「ワカルよ」

4-6
 大丈夫大丈夫。と井尾ちゃんをなだめつつ、僕は内心焦っている。フザけんなよチャイナ、せっかくいいとこだったのに! と心の中で罵りながら、何とかさっきの話の続きで、楽しい雰囲気を取り戻す。
 でー、何言ってんのかよく分かんなかったんだけど、でも漠然と、俺に守って欲しいというようなことを言ってるんだろうかこいつは、と思った。どういうことかっていうと、「お兄ちゃんが守ってくれてるんだー」ということを、交渉のダシに使っているような感じ? 「だから大丈夫」ということを言って、こいつは俺を遠ざけようとしているのかとか、なけなしの持ち札振りかざして向かってくるところとか、そういう全部が鼻についてしょうがなくて。はいつくばって泣けばまだよっぽど可愛いのに、と思って。や、ホントおかしいんだけど、むちゃくちゃにいじめてやりたい、支配してやりたい、みたいな感情から、逃れられなかった。言葉で言わずに匂わせてくる感じにむかついた。薄汚い精神だと思った。し、自分がそれを正してやる、教えてやろうとすることが、正義っていうか。そんな風に思ってた節が、ある。で、気付いたら、殴ってた。

4-7
 電車の中で、終電なんか特に多いけど、暴力に出会うことがある。
 酔っぱらった男の人たち。暴力は、近くにあると、それが自分に向かっていなくても恐ろしくって涙が出る。体がきゅっと硬くなる。なるたけ離れていたいと思う。

 大熊サンは、さっきから何言ってんだろう?

4-8
 でもさ、結局殴っても根本的には分かんないし、変わんないんだよね。恐怖が植えつけられて、俺の顔をうかがうようになって、俺はますます腹が立つようになった。暴力が増した。

 井尾ちゃんが遠い。しゃべればしゃべるほどどんどん取り返しがつかなくなってることだけ感じながら、僕はしゃべり続けている。