第三話 「対話」

第20期(2015年4月-5月)

他が軽いと言うものを重いと感じ、、感じ、
だから何であるというのだ。
それだけのことで、反逆者として
人々から避けられなくてはならないのか、
こうして生まれてきたことに。

それとも添え物として、
そこここに置かれねばならないサテンの絨毯か、
王の食卓に飾られた果物皿なのか私は!
混沌の如く、顔のないもののままで、
キリストのデスマスクのようにして
死ぬるのだろうか、私は。

私は 私は、かくの如く私は、
なぜ私として 人々に
認識されねばならないのだろうか。

だが、こうして他己の押しつける布を踏みつけ、
自らの内にのみ還ったとき、私には何が残るというのだろう。
或いは、こんなにも「偉大な自己」というのは、
どこからあふれ出てくるのだろうか。

「おまえは誰だ」、水精にそう叫べ!
反響した自らの声にのみ真実は隠されている。
その意図は巧妙に反射し、笑い声はかき消される。
自らの問いかけによって。始まりは全てからかいに満ちている。

仕方がない精神の安定のための柵分けだと人は言う。

人とは誰だ?

おまえ自身の精神だ!

そして古代からの人間の垣根であるとも。
おまえはそこから一歩踏み出すごとに、
世界を内面から認識することができる。

しかし、そこにはヘルダーリンが待っているのだ。

輪郭を失ったものをおまえは
知覚しえない意識の中で知っている。
だからこそ、おまえは対話なんぞに興じているのだ。

おまえがもしおまえであることを知りたいのならば、
そこから無言で眼や耳を与えればよいはずだ。
そうだおまえはその時狂気だ。
そして何も伝えられないが、我々の意識の一部として、
世界を慰撫している。

おまえはその時世界の片りんへと姿をマントで隠すのだ。
そしておまえはわれわれにわたしはおまえになり、
あなたは消失して俺が動揺して花瓶を割るのにも、
月日が葉とともに蹂躙されてゆくのにも頓着しなくなる。

だが、それでは象を見つけることはできなくなる。
私は人々から象をさがしているのです、
自らの瞳から抜け落ちたものがどこに行ったのか。


「象を探しているだって?象を?」


諸君、大笑いしよう!大笑いおお笑いだ、
それこそおまえのつくりだした妄像だろう。
DasManが我々をそして象を探すことなんぞ、
ほとんどお目にかかったことがない。

おまえは知っているかね。
White elephant は英語で
無用の長物という意味なのだということを。

おまえはそうして眼の中の滓に気をとられている間に、
人生の幸福を謳歌することなく、年老いてファウストの再来だ。
おめでとうだなあ。

今度は憐みに満ちた顔で私を軽蔑するんだな。
おまえの言う、人生の楽しみとは何だ。

寝そべって物を口に詰め込み、舌に味あわせ、
吐き出すことが幸福かね、
それとも美男美女と夜の衣擦れの音に酔うことか!
子供をもち、妻とともに不自由なく暮らすことか。

おまえは何者だ。
それこそ、DasMan の亡霊じゃないのか。

おまえは光の元に照らされても一度は消えるが、
また暗闇に戻ることを虎視眈々と狙い、付きまとう、
妄執の影か。おまえがそうしてすべてのものを
コロンブレに見せているのか。

消えろ、
砕け散れ、
私はおまえの奴隷ではない、
悪魔め!