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2F/当番ノート

ルーマニア徒然 - 雑記

当番ノート 第21期

 今週はルーマニアあれこれ。主に出会った人々の話。

まずはタクシーの運ちゃん編。
・総論
 6割が陽気に延々と話し続け、3割が真面目に黙って運転し、1割が超絶陽気に女の子を斡旋しようとしてくる。
・タクシーの運ちゃん①
 乗ったらいきなり「お前日本人か?」と言われ、そうだと言うと「これ直せる?」と携帯を見せられる。エンジニアじゃねえって。
・タクシーの運ちゃん②
 物凄い高速で運転しつつも、敬虔なので教会を通る度に十字を切る。ハンドル握れ。
・タクシーの運ちゃん③
 急いでると言ってるのに、空港手前のガススタンドに止まり水を買いに行く。後にしろ。
・タクシーの運ちゃん④
日本のアイドル写真をミラーにつけている。誰?と聞くと「彼女」と。
・タクシーの運ちゃん⑤
 別の運ちゃんも同じ写真を付けていた。聞くとやはり「彼女」と。フタマタか。
・タクシーの運ちゃん⑥
 新車らしく終始ご機嫌。「いい匂いだろ!どうだよこの香り!」と言われるが乗車した瞬間「香水臭!」と思ったことは言わないでおく。目的地に着くまで嬉しそうにずっと繰り返している。こういう人って、怒ってる人よりハラハラする。
・タクシーの運ちゃん⑦
 最近初めて黒人運転手に出会った。7年前コンゴから移住して来て、ルーマニア人の奥さんがいるそう。「ここには黒人女性がいないからダメだ」と。奥さんいるじゃん。
・タクシーの運ちゃん⑧
 乗ったら耳を劈く爆音でクラブ状態(当然音下げない)。仕方無いので二人で盛り上がった。

 その他タクシーの運ちゃん話は枚挙に暇が無い。愉快な人達である。

・家の近くの客引きのおばちゃん
 近所の24時間オープンの小売店の階段に座ってるポン引きのでかいおばちゃんは、何度断っても毎回声掛けてくる。見上げた営業魂。
・レストランにて
 日本人で大挙して行くとたまにビールが無くなる。
・路上にて
 結構道を尋ねられる。
・ハイウェイにて
 ガス欠になり往生していたら5台に1台くらい止まってくれる。ボロボロの車に寿司詰めになったジプシーが止まってガソリンを分けてくれた。彼らは困った人には優しい。輸血に使われたのはさっきまで飲んでたと思しきペットボトルなのだが。

工場にて
・うちの工場のフォークリフトのおじさんは会う度「娘要らない?」と聞いてくる。他のやつに聞いたら結婚してるって、おい。
・倉庫担当のおばさんはたまに「娘要らない?」と聞いてくる。こちらは吝かではない。
・工場にたまに遊びに来る地元の神父はラテン系ふくよかおじさんで、いつ会ってもOhayo!と言ってくる。たまに喫煙所でプロパガンダをしている。
・前回の記事に書いた、バス内でカチャカチャ鳴るビールに対し「空の方が良い音するんだぜ」と言ったのは実はこの神父である。生臭坊主。
・そんな神父の家の食事に呼ばれた際の魚スープは絶品だった。
・うちの工場のGMは猫を日本語でなんと言うか聞いてくる。
・でも覚えられない。

・セルビアで出会ったユダヤ系ルーマニア人(逆?)は図書館を日本語で何と言うか聞いてきて、”Toshokan, toshokan…”と嬉しそうに繰り返していた。なんでそれ気になった。
・スーパーにいた女の子に「見て!中国人!」と言われる。「日本人だよー」と言うと目を真ん丸くして「ルーマニア語喋ってる!」って。苦笑していると母親が「そうよー、あの人勉強したのよー。」って。お前が言うな。
・友人の家で飲んでいたら村の子供が門の前を行ったり来たり。「見て!中国人!」またか。
・それだけ外国人に慣れていない人達が普通に道を尋ねてきたりするのは未だもって全くの謎である。


 ルーマニアでは他者との距離が近い。大阪をイメージしてもらえば良いと思う。信号待ちをしていたらおばちゃんが通り過ぎざまに「兄ちゃん、暑いな!」と言って去って行ったりするのは日本では大阪くらいだ。この国では、他の国でもそうだと思うが、道端で他人同士でも普通に会話するし、友人の友人のパーティに行っても全然OKだし、何なら会ったばかりの家に泊めてもらうことだってある(詳しくは6月19日の投稿参照)。困っていたら大抵誰かが助けてくれる。運転免許の書き換え(凄まじく面倒)の時に同僚が親身に助けてくれて、ふと気付いたことがある。それは、社会がいい加減で住みにくいからこそ、人々は助け合うのではないかということ。日本ではまあ誰でも独力で生きていける。ネットで調べれば大抵分かる。この国では口伝でしか伝わらない”ノウハウ”が未だに沢山ある(つまり、如何に郵便屋さんにちゃんと届けてもらうか、とか。。)。みんなで情報共有をして乗り越えた方が効率が良いのだ。助け合うというのはお互いの弱みも見せ合うということだ。それでか、人々はお互いに対して寛容だ。なんだかそういう風に考えると、日本みたいにインフラが整い過ぎるのも考えものかも知れないななんて、短絡的ながら思ってしまうのだった。


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ここの人はみんな楽しそうなのだ。

moto

moto

1988年生まれ。ルーマニアから帰国して、息子が生まれました。

Reviewed by
美奈子

愉快なルーマニアのひとたちの話。「物凄い高速で運転しつつも、敬虔なので教会を通る度に十字を切る。」
暮らせば暮らすほどに、楽しいんだろうなと思います。人と人とのコミュニケーションに、ディテールの豊かさが溢れていて、美しいです。

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