作業中の脳みそを満たすもの

第23期(2015年10月-11月)

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前から制作している時の脳みその状態って、自転車に乗ってる時と似てるなぁと思ってた。

私の場合、下絵の段階で完成の95%を設計する。残りの5%は仕上げの調整。あらかじめ、完成がほとんど見える状態まで作り込むから、下絵の段階は無音じゃないと作業に集中できない。
一方、キャンバスに向かう段階になると打って変わって機械のように、私はただの労働力。私が作った設計図通りに私から指示を仰いで、労働者の私がその通りに働く。絵の具を触っている時はラジオを聞いたり鼻歌を歌ったり、会話しながらでも全然平気。コントロールはするけれど脳みそは開放されているから、自転車に乗ってる時とよく似てると思う。だから、制作中は考え事や回想をすることも結構多い。

昨晩の作業中、ネット回線の不具合で制作の良き友であるyoutubeが開けず、iTuneから昔よく聴いていた音楽を掘り出してかけていた。
18の時、学校のデッサン室でMDプレイヤー(なつかしい!!)でよく聴いていたアルバムたち。歌詞の内容はもう全然自分に関係ないようなものばかりだったんだけど、曲を通して見える情景や時代の描写がとても好きだった。
大御所の歌手だったし、歌手のバックグラウンドを調べながら、自分の親や祖父母の時代のことを考えたりもした。

彼は広島出身。原爆を経験した親に育てられ、高度成長期の中でハンバーガーとジェームズ・ディーン、ビートルズに夢中になり、強烈な学歴社会の思想の中やっと乗り越えた大学進学の先で学生運動を経験し、核や公害を始めとする環境汚染、ベトナム戦争の様子が活発にテレビから流れる時代を生きた。このような戦後日本(「日本はいつまで“戦後”なんだ!?」という問いかけはさておいて)の中で、若者たちがいったい自分はどう生きるべきか模索するような曲が多かった。アルバムを聴き増やすごとにその人物の歴史の輪郭が分かるようで、何より、その人物の歴史と創作物を照らし合わせた時に見受けられる、背伸びをしない等身大のリアルな感性がとても好きだった。
余談だけど、私は一応15歳の時に「15の夜」を、17歳の時に「セブンティーンズマップ」をちゃんと聴いている。この2曲はあまりにも有名だったから。まるで答え合わせをするように何度も聴いて曲調が耳になじんでも、全く共感できなかった。だけどそれは、当時と20年の時差があって私の環境とは全く違うから、当たり前のことだったんだなぁ。

Canon - Canon EOS Kiss Digital N - 2009-12-13 18-28-29のコピー
いつか首都高から見た東京タワー

  
懐かしい曲は懐かしい記憶も一緒に思い出す。こんなことを思い出した。

中学生の時、テレビで都内のどこかの高層ビルの屋上で、快晴の青空を360度グルッと見渡すような映像を見た。驚いた。ビルの地平線なんて初めて見たから。どこまで行っても人工物、どこまで行っても人の気配。それでいてすごい開放感。都会と自然の境目がはっきりしている札幌で育った私には、まるで近未来の映像のような、極端に言えばテレビの中だけの架空の都市のようにさえ感じた。
札幌の端っこの小さな街で、学校で塾で憶えのないいじめを受け、親に知れるのは恥ずかしいからと休む事も出来ず同じ道を通い続けた思春期に、このテレビの中の世界に行けば誰も私を気に留めず気楽に暮らしていけそうな気がした。ここからリスタートすれば今度こそはもう失敗しない。多分現実から逃げたくて、テレビの中のその街にほのかな希望を感じていたんだと思う。そしてこの時から、いつかここに行きたいと思うようになっていた。
自然物よりも人工物が好きで、目に見えない放射線より近くの人間の感情の方が怖い。

望み通りに今この街で暮らしながら筆を持っているけど、労働者の時間帯の脳みそは、時たまこうして忘れかけていた記憶を過去から持ち帰ってくるんだなあ。