第六感の“肌”

第23期(2015年10月-11月)

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私はスケッチやドローイングをしない。日記もあまり付けない。欲しい情報や繋ぎ留めておきたいものは必然的に頭に残るし、中途半端な自分の痕跡をもし自分が死んだ後に掘り返されたらと想像すると、もはや裸を見られるより恥ずかしい。自分の手から視覚化する時は、完成された形できちんと残したい。

だけど今回、2ヶ月間定期的に言葉を残す場が与えられた。
このアパートメントに綴った2ヶ月間は、必然的に頭に残る上手く言えないけど確かに今感じている“何か”を、一つ一つ言葉に変換していく作業だったように思う。
私は、自分の感覚の中で一番強い強制力を持っているのは視覚情報だと確信している。その一方で、言葉は視覚よりも恐い存在だと思っている。
言葉は相手を簡単にごまかすことができる。
言葉の真意を見抜こうとするとヒラリとかわされ、いつも惑わされる。
必死に紡いだ言葉に託した優しさはなかなか伝わらないのに、なぜ棘だけはすぐに伝わるんだろう?
言葉がきっかけで無駄に消耗することもしばしばだ。

そんな時、私は五感のメモリを切り替えて“肌”に神経を集中させる。これは触覚ではない。深呼吸して“肌で感じる”雰囲気やニュアンスを感じ取ろうと試みるのだ。
もし第六感というものがあるとしたら、それはこの“肌”かもしれないなんて言ったら、周りのみんなはなんて言うかな。

今回が最終回となります。2ヶ月間読んで下さった方々、どうもありがとうございました。

2015,11,28 藤森詔子