境目

第24期(2015年12月-2016年1月)

12月ももう終わりますね。慌ただしい”年の瀬”もピークかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。

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通学路に居る、背が高い木。

木を「生き物」として認識すると、とたんに人間が小さな生き物に見えてきます。

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上野公園の黄葉するイチョウとカエデたち。

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大学の中には紅葉も居る。藝大らしく、とても美しい風景。

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木を見ていると、「ゾウの時間 ネズミの時間」という本を思い出しました。

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

(正確には私は一冊はちゃんと読んでいなくて教科書に載っていた一部を見て覚えているだけなので… お正月の隙に読んでみたい…。)

私が教科書で読んだのは、「ほ乳類の心臓は一生で15億回ほど鼓動する。これはゾウもネズミも変わらないため心拍数を時間の単位として考えるならば、それぞれの生き物にとって一生の長さは変わらない。」といった内容の部分でした。

すごく面白くて、なるほど!と思ったし「学ぶ」「視点を変えてみる」といった思考の重要さを考えさせられた気がします。

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心臓を持っていないのでこの比較はできませんが、植物の一生に比べて人はものすごく早く死ぬ生き物ですね。

ところで、植物にも死の瞬間というのはあるんでしょうか。

私みたいな人間が気付ける範囲だと大体、「待てど待てど芽が出なかったなァ」とか、「だんだんしおれていっちゃった…立ち上がらないし、もうだめなのかなァ」とか。(そういえば育てていた多肉植物を今年亡くしたんだった。)そんな感じになってしまう。

ただし時には、どうかな…と思っていても、新芽や開花で命を感じることだってありますね。

いつも気付けないけれど、植物にだって、生がある以上、死との境目は確かにあるのではないでしょうか。

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時間に於いて完全なる点。

どれほどミクロの世界になっていても、その前までと、その後では全く違う時間になっている境目、決して線にはならない、そんな点こそが瞬間。

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切り花だって時間をかけて水を吸ってゆっくり動いているし、採れた野菜だって呼吸をし続けています。

けれど必ず、生がある以上死もあるはず。ある時までは植物という単位で生きているけれど、それは永遠ではない。

植物として死ぬ瞬間がどこかにあって… その後は?細胞という単位での生命体になるんだろうか。

細胞を生命として考えると、いろいろな生き物は生き物がたくさん集まって形成されているようで、とても面白いですね。

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さてさて、もうすぐ年越し、そしてお正月ですね。

食いしん坊の私は既に美味しい食事が楽しみでならないのですが…綺麗な器に綺麗に盛って、美しい見た目も楽しんで、味わって食べて。そして私たちの身体がつくられていく。料理や素材に意味を持たせて五感で感じるこういった節目の食事は特に、大変豊かな時間だなあと思います。

もちろん、特別な調度品で工芸文化を身近に感じられるのも私にとってはすごく大切です。

毎年ばたばたしていて(年末年始もバイトがあったり作品制作に追われていたり)、祖母や母や姉が居なければ全くそんな時間にできないのですけれど…苦笑。(ありがとう!)

また思い出に残る節目に出来ると良いなあ。と楽しみに思っています。

今年も沢山の方々に沢山お世話になりました。昨年の今頃は卒制に追われていたと考えると大変に、濃い一年だったと感じます…。
来年度は更に自分の求めるものと、過ごし方をみつめ直して精進してゆきたいと思っています。

2016年に入っても、一ヶ月アパートメントの連載は続きます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

それでは皆様・・・よいお年を!

2016.12.29 仲道萌恵