愛のかたち−03「弓」マリッジブルー

第26期(2016年4月-5月)

美しい友人がいる。造形があまりに繊細にできているので、彼女の顔を思い出すときは、逆光の中を手探りするように描き直さなければならない。まるで思春期前のようなきめの細かい肌に、さくらんぼ色の唇。乳白色の小粒の歯が、互いに負荷をかけることなく真っすぐに揃っている。それだけでも充分なのだが、微笑むと口の両端がふっくらとした頬を持ち上げ、柔らかな眉も上がるのにたいして、目は悲しげに垂れるのが色っぽい。奥二重瞼の奥の瞳は、自然光の下では琥珀色に輝く。控えめにすっと通って先の丸い鼻筋。耳下から絶妙なラインを描く幅広めの顎と、細い首。額に落ち肩にかかる黒髪はさらさら。私は天然の美に惹かれる。
尤も、彼女の育ったのは関東平野であってどこの海上でもなく、たぶん弓を引いたこともないので、今回の映画の主人公のような野生的な眼光は備えていない。
彼女は27歳のときに20歳上の人と結婚した。若い男の子たちに包容力を期待してはがっかりさせられ、若い男の子たちの身勝手に振り回されては疲れていた彼女の、それは納得の選択だった。
しかし、歳をとることが単純に人間を賢くするとも、豊かにするともいえない。思慮深さを丹田に備えて味わい深い二十歳もいる。順応だけが処世術となって久しい三十路もいれば、子供のように政治的な中年もいるし、かつての真面目さをぽいっと捨て去って悦に入っている老人もいる。

「弓」(原題:《활》、監督:キム ギドク、2005年)には、精神年齢不明の老人と、可愛い少女が登場する。そして彼らによる年の差婚は、私の友人たちの比ではなく、50歳くらい開いていそうだ。

老人は結婚の日をわくわくと待っている。町に出る度に衣装や小物を揃え、結婚の2文字がハートで囲まれたその日まで、カレンダーに夜毎×印をつけている。
たいする少女は6歳のときに拾われてから10年ばかり、老人の営む釣船から降りることなく生活しているらしい。彼の操る弓に守られ、弓占いを手伝い、夜にはその弓の奏でる音楽を聴きながら。彼女はほとんどいつも微笑んでいて、とても可愛い。ちなみに、「サマリア」のチェヨン役の女優、ハン ヨルムだ。この映画では彼女の顔ばかり映し出されるが、最早そのための作品なのかと思うほどだ。盥の中で身体を洗う老人の手にうっとりと身を任せる顔。無防備な寝顔。暴漢に矢をお見舞いするときの勝ち誇った顔。若い客と出会って、新しい音楽を聴いて嬉しそうな顔、それに伴って嫉妬に燃える老人を憎む顔も。
黄ばんだ海に浮かぶ古い船の、安っぽい作りの釣場。そこに港から釣客を連れてくる小舟だけが背景に入り込む、その中で、彼女だけが明らかに美しい。キム監督は画家でもあるせいか、絵画的なシーンが多い。そして、「うつせみ」と同様、ここでも主人公2人ともほとんど喋らない。行動と表情だけでテンポ良く話が進み、時折圧倒的な弓の音が、海原を渡り闇空を昇る。
彼らについての情報の多くはお喋りな釣客たちが教えてくれるのだが、ついに若者が秘密を暴く。少女は攫われっ子で、捜索願も出されていたのだ。

この映画、1つ大きな問題があった。観ていて途中から吐き気に悩まされたのだ。思い当たったのは、私は船酔いする体質だということだった。
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【以下ネタバレ】

さて、これはフィクションにも現実にも時々見られる命題のように思うけれど、不正のもとに構築されてしまった愛は維持され得るのか、あるいは、否定されるべきか、どうか。
彼らの場合、結局、少女は老人を見捨てることができない。捨てられかけて絶望する老人もしかし、彼女がいなくては死ぬこともできない。2人は結婚のために船出する。同時に母船は沈んでいく。ブランコも波の中へ。子供時代にお別れだ。2人とも子供だったのかもしれない。ただし、老人は、自分の身体は次のステージに伴えないとわかっていたのだ。
真実よりも尊いものがあるとすれば、未来だろう。共有できないとわかっていても、未来へ向かって相手を生かそうとする意志ならば、感傷と違って有用だ。「サマリア」と同様、ここでも男はぎりぎりのところで愛を守った。
果たして、それは占いの通りだったのだろうか。ちょっと刺激的なシーンで終わるけれど、それはお楽しみに。