島で 六話

第28期(2016年8月-9月)

 ちょうど仕事もなかった私は隙があれば、取材と銘打ったモリヤさんと喫茶店に入り浸った。
「私も書く作業は真夜中にやるとはかどるので、相手してくださると嬉しいです」
 そう言うモリヤさんとの会話は、ずっと新鮮で、奇妙なものだった。
 この先関わることがないだろうとわかりながら、その場の時間を埋める会話はこの島の中ではまずありえない。島にやってくる人間は大概、大きな決意と共に移り住んでくる。その事情は人それぞれだけれど、本土へ戻る人間はほとんどいない。だから深浅の差はあっても、先行きが約束された会話しかないのだ。
 そんなことも考えていないだろうモリヤさんの言葉は軽い。私のことを聞いた分かそれ以上に自分のことを教えてくれた。
「うるさかったら言ってください。私、仕事以外だと自分のことばっかりしゃべっちゃうので。……相手のことばかり聞くのは、なんだか申し訳なかったり、こわいような気持ちになってしまって」
 モリヤさんは田舎の出身だったそうだ。大学のために都会に出て、フリーライターになったという。
「もちろん、島のことは知識としては知ってはいました」
 モリヤさんはグラスに注がれたアイスコーヒーを細いストローでかきまぜる。
「でもこの島や街と全然関係のない場所で偶然、島に住んでいたという方とお会いしたんです。そのとき話を聞いて、興味を持ちまして」
「島に住んでいた?」
「たぶん、ときこさんと同じぐらいの女性で――***さんという方なんですけど」
 モリヤさんはたぶん苗字をいうが、この島に苗字はないからわかりようがない。
「下の名前はわかりますか?」
「ああ、すみません。ええと……***さんだったかと」
 思い出す時間も必要ないぐらい、ああっ、とすぐさま声を上げた。
「高校のときの友人です。あの男が島からいなくなったとき、家族と一緒に出て行って」
 あの、屋上の友人。今でもセーラー服を着た彼女しか思い出せないのに、私と同じくもう四半世紀を生きてしまったのだ。そして本土のどこかの街で生きて、モリヤさんと出会っていたのだ。想像もつかなかった。
 モリヤさんは嬉しそうに手を叩く。
「わ、すごい偶然ですね!」
「連絡も取れてないので、本当にすごい偶然です」
「えっ、じゃあ私、連絡先を持ってるので教えましょうか」
 でも相手は私の連絡先を知っているだろうに、電話一本もあれからかけてこなかったのだ。
「連絡したくなったら、おたずねします」
「ええ、ぜひ! ふふ。それじゃあ今どんな感じとかも、本人から聞いたほうが面白いですよね。ないしょにしときます」
 明るい屈託のない声が、すこしだけうらめしかった。
 続けて納得したようにモリヤさんは頷く。
「でも、そうですよね。ときこさんが高校生だったころに男女が分かれたということは、小中学生の頃は男のひとたちがいたんですもんね」
「もちろん」
「じゃあ、初恋とかはやっぱり男の子だったり?」
 初恋、という言葉に懐かしさも感じない。恋愛の話はあまりしてこなかったせいだな、と思いながらも、あるに違いないと信じるモリヤさんのらんらんとした瞳にはまいってしまった。
「初恋は、ありましたよ。私は覚えがないですけど、周りの子たちは言っていました」
「へえー」
「めぐだって、幼稚園に好きな子がいるって言ってましたし」
「ああー。……あの、それってやっぱり、恋愛感情、ですか?」
 なんだか不安をおびた声色に、私にも不安がよぎってしまう。それは、はたして、なんなのか。それでいいのか。
「……どうでしょうか。まだ恋愛と友情の好きがわかっていないようなので、なんとも言えません。私たちが判断できるものでもないでしょうし。でも、めぐはその気持ちが本当のものだと信じてると思いますよ」
「そうですよね、すみません。私、また余計なことを言ってしまいました」
 これは言い訳ではないんですけども、とモリヤさんは言う。
「私自身、なにかあったわけじゃないんですけど……こう、子どもの頃の選べなかった無力感って、ずっと残るじゃないですか。親に勝手に決められたこととか、先生に理不尽に怒られたときとか、いろいろ。大人になってから思い出しても、それでもやっぱりあれは、あのときの私には選びようがなかったんだな、って。……今この島にいる子どもたちは、大人になったらどう思うんだろうって」
 気になるんです。
 そんな声も出せる人だったのだな、と思えた囁き声だった。窓を強く打つ海風に負けてしまいそうだった。今日の風が強いのは、週末には嵐がやってくるせいだ。その後にも嵐になりそうな雲があるのだという。モリヤさんは不安げに「帰れるかなあ」とぼやいた。
 島の建物も古いものばかりだから、嵐は良くない。帰り道では気の早い人たちが、もう屋根や窓を補強する姿が見受けられた。通りすがり、顔馴染みのおばさんに、ときこちゃん家もちゃんとしとかんとね、と微笑みかけられた。我が家は実家もアパートも、何もする予定はないのがばれてるようだった。
 資料が欲しいからと図書館へ行ってしまったモリヤさんは、昨日も図書館に泊っていた。記事を書きやすいし、子どもたちがいる家では落ちつかないからちょうどいいのだろう。
「ただいま」
 実家に戻るなり、玄関で倒れるように眠っていたみどりを見つける。すこし驚いたけれど、引き戸の音ですぐ目を覚ましたらしい。ゆっくり身を起こしたみどりと、目があった。
「みどり」
「私、この島を出たい」
 寝ぼけた甘い声。その台詞ときつい視線とは、どうにもしっくりこなかった。