いつか読んでみたい本

第33期(2017年6月-7月)

モ・クシュラからの第一弾『世界は小さな祝祭であふれている』の著者でアムステルダム在住の写真家・小野博さんに初めて会ったのは、小野さんの個展がひらかれていた九段下のビルでだった。知人を介して紹介してもらったとき、小野さんの傍らには大きなスーツケースがあって、数時間後にはアムステルダムの家に帰るフライトだと言う。

そのときに交わした名刺が頼りとなり、小野さんとメールやスカイプで雑談することが多くなった。ボスニア、コソボ、グルジア、パレスチナ、紛争地も含めて世界100都市以上を歩いた小野さんの話はどれも新鮮だったが*2、東京で働いていたときの話となると、私も同じ地平で共感できることがあった。

それは、満員電車で感じる絶望感、消費者金融の看板がのさばる街を歩くときの薄ら寒い気分、資本主義のスピードに人間を合わせようとする仕組みへの嫌悪感など、多くの人が感じるような感情だと思うけど、それに対する執拗なわだかまりは、いつまで語り合っても足りない気がした。この本には企画書がないが、そうした共通の感覚から発する語り合いがベースにあったと思う。

恋愛中の二人ならまだしも、他者と向き合い、お互いの言葉に深いところで耳を傾けながら、何時間も語り合うというのは、誰とでもできることではなく、なかなか根気のいる行為で、私の場合「本をつくる」という行為を介して「やっと」できるところがある。

でも、そうまでしてやっと向き合う他者から得る情報の量というのはすごいものがあり、それはカメラを持ってまちを歩くときと似ていてる。対象への向き合い方が、がぜん変わるのだ。そんなこと、日々の仕事や趣味、子育ての中でやっているよ、と言う人もたくさんいると思うが、私にはそういうものがないから、本をつくっているだけかもしれない。そう思うと、モ・クシュラの活動というのは、随分とパーソナルな側面が強い気がし、そんなことでいいのだろうかという想いは常にある。

でも、ゴダールが「ヌーヴェル・バーグがある時期のフランス映画を突き破ることができたのは、ただ単に、われわれ三、四人の者がお互いに映画について語り合っていたからです*2」と言ったときの「語り合い」と同じで、語り合いの中から、市場に流通する本ができるとしたら、それはどんな本なのだろう。

そんな本をつくった気もするし、一生つくれない気もする。モ・クシュラの活動を通して、そんな本が読めたらいいと思う。

*1 紛争地を旅したときの話は『ライン・オン・ジ・アース』(2007年、エディマン)に詳しい)
*2 保坂和志「アウトブリード」『愛』(朝日出版社)より引用。