モ・クシュラという個人出版社のこと 序章

第33期(2017年6月-7月)

モ・クシュラ株式会社という個人出版社を横浜で2012年に立ち上げ、今年で5年目になります。モ・クシュラという社名は、クリント・イースドウッド監督の映画《ミリオンダラー・ベイビー》(2000年)のヒロインで女性ボクサーのリングネームから拝借したもの。Mo Chuisleはゲール語で、「おまえは私の鼓動だ(My pulse)」という深い親愛の情を表す言葉です。

この社名、「読者の人生と深い関わりを持てるような本をつくりたい」という思いを込めて付けたのですが、言い間違い率が高く、よくあるもので「モ・シュクラ」「モ・クショラ」あたり、たまに「モシュラ」、先日は新たに「モ・クソラ様へ」というメールが来て、さすがにモ・クソラはないでしょう……と呆れつつも、意味から外れた言葉が、人の認知をすれ抜けていく自由なさまは、どこか清々しい気持ちにさせてくれます(社名としては、困ったものなのでしょうが)。

ところで、「個人出版社」をやっている言うと、さぞかし本好きな人なのでは? と思われるかもしれませんが、そんなこともないのです。たぶん、編集者になるきっかけは映画でした。映画館の暗闇が好きで、大学時代は地元のシネコンでバイトに明け暮れ、卒業後もそのまま映画館でアルバイト。

当時としては、映画館の暗闇どころか、人生レベルで闇の中にいるような気分でしたが、ある日、そのシネコンのゴミ箱に捨てられていた朝日新聞の求人広告に「求人募集 フィルムアート社 書籍編集者募集 未経験可」とあるのを発見。学生時代に映像学を専攻していた関係で、卒論を書くときにここの出版社の本を読んでおり、それならと応募することにしました。

後から聞くところによるとけっこうな倍率だったそうですが、なぜか採用。ところが、採用の通知をもらった途端、私に編集者の素質はなかろう!と急に怖気づき、当時、フィルムアート社の創業者で代表の奈良義巳さん(2016年に他界されました)に、「せっかくの内定ですが、私に編集者が務まる気がしません」と電話で採用を辞退しました。「そうですか、じゃあ、他の人を採用します」と仰られなかったので、ささやかながら現在も本がつくれているのかもしれません。

勉強ができるほうでもなく、手先も不器用、タフネスの反対側にいる自分に「編集者」が務まるはずがない、と私があのとき怖気づいたのは、編集者の名目的な機能ーー年間スケジュールの中で、著者から原稿をもらい、専門的な知識で意見をはさみ、赤字を入れ、台割(本の設計)を作り、印刷に回すーーにばかり目がいったんだと思います。実際、私はそうした編集者がもつべき機能に長けているほうではありません。

モ・クシュラの本は現在、5冊。そのうち3冊が美術館のカタログ、2冊が自主企画の本です。美術館のカタログは納期が明確ですが、自主企画の2冊(小野博『世界は小さな祝祭であふれている』、アサダワタル『表現のたね』)は、ざっくりとした納期と、辿りつきたい方向だけ決めると、あとは著者と対話をしながら原稿をつくり、日常における出来事について意見交換をしたり、それが制作のインスピレーションになったり、邪魔になったりしながら、ようやく「事後的に」立ち上がってきた本の世界にタイトルを与えました。

こうした本の作り方は、著者も編集者も川に流されながら、川に泳ぐ鮎を釣り上げるかの如くで、釣り上げるどころか、両者で溺れてしまいそうになること度々、どちらも制作に1年以上がかかりました。エディターシップの観点からしても褒められた作り方ではありませんが、それでも、この2冊をある種の熱さをもって作りあげることができた経験は、与えられた仕事と自分の適性とのはざまで長らく違和感を感じていた自分に、ようやく居場所を与えてくれたような気がしています。

モ・クシュラのホームページ