山を下りて、これからのこと

第35期(2017年10月-11月)

この日記は、長野県の山小屋で働いた3ヶ月の記録です。
趣旨は第一回「海から山へ」。


下山して3週間がすぎた。
山小屋にいる間に、大掃除やら小屋閉めやらでもうしっかり年末気分を味わってしまったせいで、下山してみたらまだ今年が2ヶ月も残っているということに拍子抜けしてしまった。山小屋は今年の営業を終了したけれど、世間はまだまだ通常運転だ。

山を下りてから1週間ほど、友人宅にお世話になりながら過ごした。そうやってしばらくは友人を転々と訪ね歩く旅をしてから実家に帰る予定だったのだが、ほどなくして体調を崩してしまい、やむを得ず実家に帰ることにした。自分でも気がつかないうちに疲れが蓄積していたのだろう。とにかく一度一息ついて仕切り直しをしないと、これからのことを何も考えられないような気がして、なだれ込むように家に帰ってきた。
でもそこで、すごいことに気がついてしまった。

18歳で実家を出て以来、帰省以外の理由で実家に帰るのは、これがはじめてなのだ。
それに思い至ったとき、わたしは急に怖くなってしまった。

先のことが何も決まっていない以上、唯一の居場所は実家であり、でもその実家も自分の居場所と呼ぶにはとても心許ない。ここはもう、わたしがいないことを前提にしてきちんと完成されている。帰ってきて早々、生活の拠点をさがす必要性を実感した。
そうなると、目下の課題は「家」だ。そのあとは「仕事」。

これからどこで何をして暮らすのか。できれば山にいる間にその結論を出したいと思っていたのに、結局決められないまま下りて来てしまった。でも、たくさんのヒントは携えている。それらを材料に、これから手探りで進むのだ。

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山にいる間は良くも悪くも、あらゆる情報、人、出来事から一定の距離があったために、自分と関係のあることとそうでないことの境目がはっきりしていた。入ってくる情報にも限りがあるし、会える人も行ける場所も限られていた。頑張れば会えるのに会わない、頑張れば行けるのに行かない、という訳ではなく、ここにいる以上頑張ったって会えないし行けないのだ。だからやきもきしても仕方がないし悩む余地もない。そういうことがたくさんあった。
最初こそすこしだけ「世間から取り残されている焦り」みたいなものがあったような気がするけれど、そんな感覚もあっという間に消え去った。

そうなると外への関心も薄れていって、いま目の前にあるものに集中しやすくなる。だから、人と根気よく向き合いやすかったんだろうなと思う。そして、未来をよりよくするために今を生きるんじゃなく、ただシンプルに今を生きていればそれでよいのだ、とも思えた。
そんな刺激の少ない山の生活は、ある意味では心穏やかで、それでいて物足りなくもあった。

下山した今、人と会うことも増え、自分と関係のある(ように思える)情報も増え、目の前にたくさんの選択肢が出て来た。それは嬉しいことである一方で煩わしいことでもあり、どちらがよいということではない。だからどちらかを取るのではなく、自分にとってちょうど心地よい塩梅を選べばいい。シンプルに、ただそれだけのことなのかもしれない。住む場所も、働き方も。

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いま思えば、高松の本屋を辞めてすぐに山小屋に行ったのは、「これからどうするの?」「何がやりたいの?」という問いから逃げたかったから、だと思う。
大好きな高松をはなれたのだから、その決意に見合う行き先を見つけなければいけないと思っていた。変化は前進でなければいけないのだと、思っていた。だから、人に納得してもらえる完成された答えを差し出せる自分になるまでは、会いたい人にも会いたくなかった。気負い過ぎていた。
そんなわたしにとって、山の上はうってつけの環境だったのだ。

でも「完成された答え」なんてものを準備する余裕があったら、その間に未熟な自分をそのまま差し出してみてもいいのだと、この連載を通して教えてもらったような気がする。
3ヶ月の時間を過ごした稀有な環境のこと、自分の中で起こった心境の変化のこと。それらを拙くても言葉に残しておけてよかった。日々感情はめまぐるしく変化して、今となっては入山直後の不安定な気持ちも他人事のように思える。自分の身に起きたことであっても、切実な感情はその渦中にいるときにしか抱けないし、切実さの鮮度は時間の経過とともに目減りしていく。喉元を過ぎればあっという間に熱さを忘れてしまう。
それは決して悪いことではないのだけれど、自分の中に生まれた気持ちがまだみずみずしいうちに、目を凝らして見つめ、一つ一つ言葉にしてみることで、日々をより色濃く積み上げることができるような気がする。それは、現在地を確認しながら進む安心感にも似ていると思う。

これからだってきっと落ち込んだりするけれど、それもそれでいい。
取り繕うんじゃなくて、手探りしながら迷いながら、それを隠さずにさらけ出してしまう。特に取り柄もないけれど、どうしようもない自分をありのまま吐き出すことならできる。今のわたしにとっては、それが一番無理のない生きる術なのかもしれない。

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