山小屋日記〈2〉8月後半

第35期(2017年10月-11月)

この日記は、長野県の山小屋で働いた3ヶ月の記録です。
趣旨は第一回「海から山へ」。


8月21日

今夜はなかっちゃんと電話をする約束をしている。
なかっちゃんは高松にいた頃に仲良くなった本屋仲間だ。少し前まではしょっちゅう会っていたから、なんだかすごく久しぶりに感じる。山小屋に来て話が合う人がいないと思うたびに、なかっちゃんがここにいたらなぁと思った。わたしにとっては本当に、大事な友人だ。

山小屋の夜は21時半消灯。それ以降はみんな寝静まるので、部屋では電話できない。仕方がないので近くの橋まで歩くことにした。数センチ先も見えない真っ暗な森の中を、懐中電灯で照らして歩く。熊に会いませんように。葉っぱがカサカサとこすれ合う音にいちいち振り返ってしまう。地面を踏みしめる音が妙に響きわたり、なんとなく緊張した。

森を抜けると一気に視界がひらける。今日も夜空がきれいだ。天の川もわかるくらい、星がはっきりとたくさん見える。あまりにきれいなので、懐中電灯を消して橋の真ん中に座り、暗闇の中で空を見上げた。なかっちゃんに電話をかけ、いま川に来てるよと言うと、電話越しでも水の音が聞こえるという。

なかっちゃんもいま人生の岐路にいる。「何者かにならねば」という焦燥感を抱えながら、これからのことを決めかねてる。わたしと同じだ。何者にもならなくたっていいのに。生活ができて、自分が満たされて暮らせるならそれでいいはずなのに、まだそんな風に割り切れそうにない。自分の野心ゆえなのか、まわりの目を意識してのことなのか。両方かもしれない。

でもなかっちゃんは多彩だし、人との関係を広げていける才能があるし、何かに属さずとも需要がある。それにまだ25歳だし。と思うけれど、当の本人はそんなに簡単に自信を持てないのもわかる。平凡なわたしからしたら、なかっちゃんと仲良くなれたことも、奇跡のようなものなのだけど。

わたしはずっと「自分は平凡だ」というコンプレックスのようなものを抱えて生きてきて、だから「やっぱり自分は平凡な人間でした」って認めてしまうのが悔しいという気持ちが、たぶんある。高校生のときに友人から「ゆりは地元の企業に就職して事務の仕事をしそう」と言われたとき、このままいけば本当にそうなるんだろうなという未来が見えた気がして、そんな自分がすごくつまらなくて嫌だと思った。
それからは、当時描いていた「平凡な人生」のイメージに抗う道をあえて選んできたけれど、気を抜けばあっという間にあのイメージの中に戻ってしまいそうな気がして、そのたびに焦る。
でもいま思えば、そんな「平凡」なんていう雑な一言でまとめられる人生なんて、どこにも誰にも存在しないのだろうけれど。

気づいたら2時間も電話していた。また話そうと約束して電話を切った。
Tシャツにパーカーを羽織ってきたけれど、やっぱり山は寒い。もっと厚着してくればよかった。
本格的に体が冷え切ってしまい、布団に入っても体が冷たい。次に電話するときは、ダウンを着て外に出よう。


8月23日 休日

山小屋で働きはじめてから2度目の休日。お盆の繁忙期は聞いていた通りとてもハードだったから、16連勤の間の記憶があんまりない。おかげであっという間に月日が過ぎてくれてよかったけれど。

今日は約ひと月ぶりに下山する。宮脇さんが長野に来る日とわたしの休日がたまたま重なったので、ご飯でも食べようということになっているのだ。ぴったりなタイミングが奇跡的。

始発のバスに乗るために6時すぎに起床し、ひさしぶりに化粧をした。山小屋に来た翌日から、わたしは一切化粧をしていない。下界では気にしていた色々なことが気にならなくなっている。すっぴん生活は驚くほど楽ちんだ。
ポーチを開いたらアイライナーが2本も入っていて、あれ、なんでかな?と考えてみたら、ここに来る前に慌ててドラッグストアで購入したことを思い出した。3ヶ月も山にいるのだから途中で使い切ってしまうかもしれないと思い、予備を買っておいたのだ。
まったく無駄な心配だったな、と一人で笑ってしまった。

7時前に寮を出て、50分ほど歩けばバス停につく。そこからバスと電車を乗り継いで、街へ出るのには約2時間かかる。
山小屋で働き始めてから、歩くことへのハードルがぐっと下がった気がする。とにかく歩かないとどこにも行けないのだ。徒歩1時間程度なら全く遠いと感じなくなった。この感覚が下界での生活でも続けばいいな。

10時頃に街につき、宮脇さんと合流するまでの間に駅前のスーパーで買い出しをした。コーヒー、お茶、お菓子など。いずれも部屋でのひとりの時間を充実させるための投資。合わせて5000円くらい買ってしまった。でもこれでたぶん、下山する11月までは買い物をする必要はなさそう。

12時半ころに宮脇さんが到着。ロータリーに停車している見慣れた赤い車が香川ナンバーであることを確認し、ドアをノックした。「ひさしぶり」と握手を求める宮脇さんは相変わらずだ。この人とは本当にどこにいても会えてしまう気がするから不思議だ。そういえば高松でお別れをしたときの最後の言葉は、「またすぐに!」だった。本当にその通りになったな、と思った。

ランチでも行こうという軽めの約束だったけれど、話をしているうちに気づけば本屋巡りをすることになっていた。宮脇さんは写真家でありながら、高松にあるブックカフェのオーナーでもあるのだ。会ってすぐに本屋の話ができる相手がどんなに貴重かとしみじみ噛み締める。
さくっと蕎麦を食べ、市内の書店をまわった。棚を眺め、ピンと来た本を手に取る。久しぶりの感覚。やっぱりわたしはこの時間が好きだなと思う。
それぞれの本屋さんで思い思いに過ごしたために、結局時間がなくなり、あっという間に山に戻る時間になってしまった。

別れ際、「みなさんによろしくお伝えください」と言うと、「元気にしてたよって伝えとく」と言われた。わたしが言った「みなさん」とは誰のことだったのか、宮脇さんは誰に「伝えとく」と言ったのか、具体的にはわからないけれど。わたしのことを気にかけてくれている人たちがいるとしたら、それはとても幸せなことだなと思う。そんな人たちがいる場所がわたしにもあるのかと思ったら、なんだか胸がいっぱいになった。

あっという間に今日が終わる。下界で刺激を受けたせいか、なんだかとても疲れて眠くて、電車の中でずっとうとうとしていた。
街から山に戻ると、やっぱり空気が美味しいことを実感する。山に来る前にある人から、「あのあたりの空気を数ヶ月吸うだけでも行く価値があるよ」と言われたことを、ここに来てから毎日思い出している。
朝起きた時、休憩で外に出たとき、お風呂上がりに寮に戻る時、窓を開けたとき。何気ない瞬間に、その言葉が頭をよぎるのだ。そしてそのたびに、空気を大きく吸い込んでみる。

いろいろ大変なことはあるけれど、山小屋に来てみてよかったと思う。
街に下りて本当に楽しかった。でもやっぱりいまわたしが目を凝らして見てみたいものは、山の中にある気がするのだ。


8月24日

今日は宿泊客は多いものの、昼間の食堂の営業はゆったり。
午前中、岩魚(イワナ)の仕込みをやらせてもらった。宿泊客の夕食には必ず岩魚の塩焼きを出しているのだ。この仕事、基本的には男性スタッフがやるのだけれど、時間に余裕があるときは時々教えてもらえる。この作業が山小屋の仕事で一番好きかもしれない。
包丁でさばき、血合いをとってから串に刺すのだけれど、波打つようなS字型に刺すのはなかなか難しく、コツがいる。まだまだ修行が必要だ。

夜、仕事を終えて外に出ると風が強く吹き、秋の匂いがした。夏を感じないままもう、秋が来る。


8月25日

昨日ネットで注文した電気湯沸かし器が届いた。山の中なのに翌日に届くなんて本当にすごい。これからは好きなときに部屋でお湯を沸かすことができる。山小屋生活が一気に快適になった。

これまで、一緒に働くスタッフのみんなとまともにお互いのことを話す機会がなかった。打ち解けきれていなくて緊張していたせいもあるし、時間的な余裕がなかったせいもある。でも何よりも、わたしが心を開いていなかったからだと思う。
最近すこしずつ、ひとりひとりの身の上話を聞くことが増えてきた。
山小屋に働きに来るには、普通の会社に就職するのとは違った何かしらの理由がある。
登山がすごく好きというわかりやすい人もいれば、わたしみたいに仕事を辞めたタイミングで、これからのことを決める前のモラトリアム期間という人もいる。ほかにも、一年のうちの半分は住み込みの仕事をしてお金を貯め、残りの半分は旅に出たりして過ごす、というサイクルを繰り返している人もいる。

ここに来る前は看護師だったとか、学校の先生だったとか製薬会社の研究員だったとか、そんな断片的な情報で相手のことを少しわかった気になってしまっていたけれど、実際は全然わかっていなかったなと実感することが多い。もちろんまだまだ知らないことばかりだけれど。

ひとりひとりのことをもっと知りたい。ゆっくり話をしてみたい。何が好きで何が嫌いで、どんな思いでここに来たのか。1ヶ月経ってやっとそんな風に思えるようになった。なんだか視界がひらけてきたような感じ。


8月26日

昨日「視界がひらけてきた」と書いたけれど、それもつかの間…。今日また息苦しいなと感じてしまう出来事があり、一日の最後にテンションが急降下した。このままルーティンの仕事を淡々と繰り返していれば11月に下山できるのだと思うと気持ちが楽になっていたのだけれど、毎日同じように平和に終わるとは限らない。
集団生活をしていると、思いがけないことで人の機嫌をそこねてしまったり、ちょっとした勘違いや入れ違いが事件を引き起こしたりする。すごく面倒くさい。逃げ出したいけれど、どこにも逃げられなくて嫌になる。

でもそうやって面倒だと思ってしまうことを、そう思わなくなるかもしれない方法は、なんとなくわかっている。苦手な人に対して、腫れものに触るように怯えて距離をとっているから、相手が何を考えているかわからなくて怖いんだと思う。だから、自分から歩み寄って働きかけてみる。勇気を出してテリトリーに踏み込んでみる。
好きではない相手に根気よく向き合うなんて、不得意だし、これまでのわたしだったら絶対にやらなかったことなのだけど。でもここでの生活が楽しいと思えるようになる可能性があるのなら、その方がいい。街に住んでいれば関わる相手をある程度は選べるけれど、ここでは選べない上に、避けることもできないのだから。
ビクビクしながら過ごすくらいなら、ためしにちょっと頑張ってみようと思う。


8月27日 休日

今日は3度目の休日。山に登りたいけれど疲れも溜まっているので、近所の山にさくっと登ってみることにした。午前中に行ってお昼前に帰って来られる、一番手軽な山だ。
朝7時すぎに出発。樹林帯の中を行く気持ちのいいコースだけど、急坂もあったりして思ったよりハード。みんな「1時間ちょっとで登れるよ」と言っていたでそのつもりでいたのだけれど、やっぱりわたしはみんなよりも体力がないみたい。ぜーぜー言いながら「まだ着かない!」を繰り返し、1時間半をちょっとオーバーした。8:45に登頂。

山頂には小さな山小屋があるのだけれど、ほんとうにこじんまりしている。煙突から煙が出ている。畳をほうきで掃く音がして、そこに生活がある感じがした。たぶん常駐しているのは最大2人くらいだろう。私の働いている宿のような、集団生活の緊張感とは無縁そうに見える。
展望台で景色を見ているとすぐに汗が冷えてしまい、ダウンを羽織った。そのまま1時間くらいぼーっとした。朝ごはん用に握ってきたおにぎりを食べるも、塩気が足りない。ごま塩を持ってくればよかった。

9:50に山頂を出発。帰りは写真を撮ったりしながらゆっくり下山した。
ダウンを着たまま歩いていると、ご年配の夫婦とすれ違い「暑くないですか」と声をかけられた。「ああそうですね、ちょっと」と笑顔で答えた。 すこし歩くと後ろの方から「脱げばいいのにね」と聞こえてきた。たしかにまだダウンを来て歩くような時期ではないけれど、他人の服装なんて放っておけばいいのに、と思ってしまう。わたしには何の事情もないけれど、人にはそれぞれにいろんな事情があるのだし。でも世の中、人は悪気なくそんなことばかり言うよなぁと思った。

11:25、寮に帰宅。少し仮眠をするつもりが、気がついたら4時間も寝ていた。いろいろやりたいことがあったのだけれど、ここ1ヶ月で疲れが溜まっていたのだろう、今日は仕方がないことにする。
お風呂に入り部屋に戻ると、ずいぶんと寒い。今日から暖房が必要かも。

明日、明後日と仕事をしたらまた休みで、大好きなMさんが遊びに来てくれる。早く話がしたい。ここで感じたいろいろなこと、これからのこと、ぜんぶ誰かに打ち明けたい。


8月29日

朝6時集合。朝食の漬物を皿に盛り付けていると、スマホの緊急速報が鳴った。反射的に6年前の震災を思い出す。これから何度この類のメロディを聞いても、想起するのはあの震災なのかな。
スマホを見ると「政府からの発表 ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射された模様です。頑丈な建物や地下に避難して下さい。」とある。
え?ミサイル?

Sちゃんが「なんか東北の方に向かってるらしいよ」と言い、「対象地域は北海道、青森、岩手、宮城、秋田…」と何かの情報を読み上げ始めたあたりで、血の気が引いていくのを感じた。
この感覚には身に覚えがある。わたしは3.11のときも地元にいなかった。地震直後で状況がわからない中、耳慣れた地名ばかりが繰り返しニュースで読み上げられ、生きた心地がしなかった。

慌てて「佐藤家」という家族のラインのグループに「ミサイル大丈夫?」とメッセージを入れる。いま思えば「大丈夫?」と聞いたところで、聞かれたほうは答えようがない。すぐに父親から返信があった。
「おはよう!不安を煽るのは政府の無責任な対応に原因あり!朝から不愉快極まりない!」
なんだかとても興奮している様子。でもそれを見て、ああ私ばかりがあたふたしてしまったのだなと冷静になった。情けない…。
ミサイルだろうが天災だろうが、また何かがあるたびに、わたしは自分が地元から遠く離れた場所にいることを後悔するのだろうか。6年前みたいに。でももし対象地域が四国でも、わたしはきっと生きた心地がしないのだろう。東北にも関東にも四国にもそれ以外の場所にも、大切な人が何人もいる。6年前と違って、わたしの大切なものはもう東北だけにあるわけではないのだ。

朝食を食べ終えて歯磨きをしているとき、父親からまたメッセージがきた。
「訂正。今朝のメールは、政府に対する怒りをストレートに表現したものです。友理、これに懲りず、たびたびメールください。(笑)」
さっきのラインに返信をしていなかったから、「不愉快極まりない!」という言葉がわたしに向けられたものであると誤解したんじゃないかと心配したようだ。あまりに思いがけなくて笑ってしまった。
今回の件で下界は騒いでいるのだろうか。山にはあらゆる情報が入ってこず、朝ざわついた後は誰もこの件について話をしなくなった。

天気予報は晴れだったのに朝からどんより小雨で、さすが山の天気だなぁと思っていたら、お昼前にカラッと晴れたので、「布団干そう!」と声をかけ合い、屋根に布団を干した。
繁忙期も終わり、みんな心に余裕が出てきた様子。来月中旬までは比較的ヒマになるらしい。


8月30日 休日

今日は休み。7:40頃起床。いつも5時台に起きているからずいぶん朝寝坊したなという感じがする。
11時頃に寮を出て、バス停まで歩く。今日はMさんが遊びに来てくれるのだ。
Mさんに初めて出会ったときは、明るくて心が健やかなお姉さんという印象しか持っていなかった。でも本当はそんな簡単な人じゃなかった。そういえばあのとき、本が関係を開いてくれた。わたしがおすすめした本をすぐに読んでくれて、興奮気味に感想を伝えに来てくれたとき、わたしもMさんも、いま同じような時期にいるんだなと思った。

今回、数ヶ月ぶりに会ったMさんが話してくれたことは、わたしには衝撃的すぎることだった。 これまでにないほど尊敬していた人が突然豹変してしまったのだという。わたしもその人のことが好きだったし、その人がいる場所も大好きだった。

完璧な人なんていない、人には多面性がある、残酷なほどに。
たったそれだけのことなのかもしれないけれど、その事実を消化するには時間がかかりそうだ。それでもまだ「人を簡単に信用してはいけない」という教訓には至れない自分がいる。Mさんやわたしが持っていた「あの人がそんなことするはずない」っていう思いこそ、信用そのものだと思うのだ。あの思いを持たずにいることなんて、たぶんできなかった。世間知らずで甘い考えなんだろうか。
わたしもきっと、もうあの人のいる場所に行き、言葉を交わすことはないのだろう。そこに自分の日常はないし、行かなくたって十分に生きていけるというのに、たった一つ大好きな場所に行けなくなることがこんなに心細いことなのだと、さみしくなる。Mさんが体験した悲しみはもっともっと深いのだと想像して、胸がきゅうっとなった。
わたしに打ち明けたことで憑き物が取れたみたいだと言ってくれたことが、何よりの救いだった。心の底から笑い話にできるような日が、きっと来る。


8月31日 

今日は6:35集合。これまでで一番遅い集合時間。
8月最後の日ということで、今日の夕食は毎年恒例のBBQだという。夏の繁忙期を乗り切ったお疲れさま会という名目で。数日前にそのことを聞き、ぼんやりと憂鬱に感じていた。きっと準備も片付けも大変だし気を遣うのだから、そんなことをするよりも早く解散して寝たいってみんなが思っているのではないか、とか考えてしまうけれど、口には出せなかった。
会社員時代の忘年会を思い出す。ほとんど誰も楽しみにしていないであろう、会社から従業員への労いの時間。若手女性社員は社長の隣に座らなければならず、憂鬱な時間だった。

でもBBQは、実際にはとても楽しかった。ひと月以上ぶりにお酒を飲んだせいもあるかもしれない、わたしは上機嫌でずっと笑っていたみたい。お肉を焼いて、お酒飲んで、花火で盛り上がりたい人は盛り上がり、ゆっくりしたい人はゆっくりおしゃべりし。
山好きのTくんが、10月に上級者向けの山に連れていってくれるという。9月中に経験を積めばきっと登れると言ってくれた。標高が高い山に登ろうなんて野心は全く持っていないのだけれど、せっかくこの環境にいるのなら、そして導いてくれる人がいるのなら、チャレンジしてみたいと思った。
「そのうちきっとゆりさんも、あの山が超イケメンだとか言い出すんですよ」とHちゃんがにやりと笑う。Hちゃんは学生時代に山に魅せられて、この山小屋で働くのはもう3年目になるらしい。

最後に3本締めをしたとき、わたしはもしかしたら、この人たち全員のことを好きになれるかもしれない、という予感がした。1ヶ月過ごしただけではその結論が出るには至らなかった。もう少しここで過ごしてみて、この予感の先を見てみたい。
最初は「ここはわたしの居場所じゃない」「この人たちとはきっと分かり合えない」なんて決めつけて、自分からシャッターを下ろして過ごしていたのに。そんな自分がこんな心境になるなんて、全く想像もしていなかった。

ここしばらくずっと、もう好きな人としか一緒にいたくない、嫌いな人とは関わりたくないと思って生きてきた。でもそんな、嫌いとか苦手とかいう感情が、一緒に過ごすうちに覆ることもあるのだと、ここにきてからわかった。こんなに近い距離で人と関わり続ける環境に身を置かなければ、ずっとわからなかったかもしれない。

いろいろな場所を転々として生きてきたけれど、次の場所ではきちんと根を張りたい。簡単に手放したり諦めたりしないで、人と関わって生きたい。その一歩手前のタイミングで、この環境が必要だったのかも。なんて、きれいにまとめるのはまだ早いか。

BBQを終えてお風呂へ。湯船から上がると急に立ちくらみがして、立ち上がれなくなってしまった。シャワーの前でしゃがみこみ、すこし落ち着いたと思って脱衣所に出るも、また頭がくらくらして床にへたり込んでしまう。久々にお酒を飲んだ上に、湯船に浸かって一気に酔いがまわったのだろう。もともと貧血気味な体質だし。
あとで調べてみると、飲酒直後の入浴はとても危険な行為らしい。情けないことに知らなかった。
脱衣所で横になっていると、Mちゃんがコップに水を汲んで持って来てくれた。彼女は本当に面倒見が良くて優しい。でもわたしは当初、彼女のことがとても苦手だった。はっきりと言いたいことを言い、思うままに感情表現をする彼女の言葉に、時折傷ついたりした。でもいまはそんなMちゃんに日々救われている。

できれば好きな人とだけ関わっていたいというわがままな気持ちは今も変わらないのだけれど、どうやらわたしにはまだまだ見る目がないらしい。時間をかければ、ちゃんと向き合えば、好きになれる人はもっといるみたい。
頑なになっていた感覚が、少しずつほぐれてきている感じがする。

_R009604