山小屋日記〈4〉9月後半

第35期(2017年10月-11月)

この日記は、長野県の山小屋で働いた3ヶ月の記録です。
趣旨は第一回「海から山へ」。


9月15日

もう少ししたら紅葉が始まるらしいので、葉っぱや木の実がとても気になっている。
この地域は自然保護区に指定されているため、植物を採取することが禁止されているのだけど、朝食のときに「落ちた葉っぱや木の実を拾うのもダメなんですかね?」とわたしが尋ねると、それは大丈夫でしょ、と口々に言われた。
そしてKさんからは「なんで木の実なんか欲しいの?虫出るじゃん」と不思議がられてしまった。たしかに、虫が出るのはちょっと困るなぁ。何かいい保存方法を調べてみようと思う。


9月17日

朝食の食器を片付けているとき、新しく入ったHさんに、そうじゃなくてこうして、と諭すような口調で言ってしまった。後から思い返すと、ちょっとイラついた感じで上からものを言うみたいになってしまった。
Hさんはそのとき笑顔で、あ、ごめんなさいと言った。
謝られてハッとした。ここにきたばかりのとき、わたしはこういう言い方をされて傷ついたのだ。言葉の内容ではなく、突き放すような冷たい言い方に。言った人はきっと悪気なんてなかったのだろうけれど。
まだ新しい環境に慣れなくて気を張っている時って、こんな些細なことでも簡単に傷ついてしまったりする。きっとそれってわたしだけじゃないはずで、Hさんはもしかしたら泣きたくなったかもしれない。全然気にしてないかもしれないけれど。
とにかく反省した…。

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今日は台風が接近していて、雨も風も強い。こんな日に来てもらうのは申し訳ないなと思いつつ、そわそわしながら待っていると、みれいさんが無事に山小屋に来てくれた。
みれいさんは葉山在住だけど、高松で知り合った。わたしの店で主催していたブックイベントの立ち上げに関わってくれたのが2年前で、それ以来度々会っている。遠くに住んでいるのにいつも身近に感じる不思議な存在だ。

高松で出会った人との縁はわたしにとって本当に大切で、でも高松をはなれることで終わってしまう繋がりもあるのだろうと寂しくもあった。ただみれいさんは、わたしに会いに早速こんな山の中まで来てくれた。「佐藤さんのおかげで旅をするきっかけができた」と言って。きっとこれからわたしがどこに行っても、その場所に遊びに来てくれるんだろう。勝手にそんな気がしている。

あの人がいるから、という理由で旅に出ることを、わたしは今まであんまりしてこなかったけれど、これからはそんな旅ばかりになりそう。今年はたくさんの人とお別れをした。そしてお別れをするたびに会いたい人が増えるということを、最近知った。いま生活を共にしている山小屋の仲間たちだって、あと少ししたらみんな散り散りになり、会いたい人になるのだろう。

みれいさんが会いに来てくれて嬉しかったから、わたしも山を下りたら旅に出たいと思う。


9月19日 休日

休日。友人のえみちゃんが高松から遊びに来てくれた。山には縁がなかったえみちゃん、わたしがいる今を逃したらもう山に来ることなんてないかもしれない、という理由で、ちょっとしたチャレンジ感覚で会いに来てくれた。この予定は山小屋に来たばかりのころにすでに決まっていたので、当時は「えみちゃんが来るまではなんとか辞めずに頑張ろう」と自分に言い聞かせていた。今朝それを思い出して、なんだか感慨深くなった。

せっかくえみちゃんが来てくれたので、すこし遠出をして乗鞍岳(のりくらだけ)まで行く。山頂近くまでバスで行けるため、もっとも気軽に登れる3000m級の山の1つ、といわれているらしい。景色も最高だから行った方がいいと、山小屋のみんなからオススメされていたのだ。
バスを降りるともうかなり標高が高い。そこから1時間ちょっと、登山初心者のえみちゃんとゆっくり登った。

山頂につくと風が強く、どこまでも晴れていて最高の見晴らしだった。こんなふうに山々を遠くまで見渡すなんて、はじめての体験だ。それもそのはず、これまで生きてきた中で一番高いところにいるのだ(飛行機は除く)。
遠くの山ほど青く、空に近い色に見えるということを、以前半年だけ通ったデザイン学校の先生から教えてもらった。そこで学んだことは正直ほとんど覚えていないのだけど、この知識だけはよく思い出す。教えられた通り、遠くの山は空に溶け込みそうな薄い青色をしていた。

見渡す限りの山々に囲まれ、わたしは自分がどこにいるのかわからなくなった。正直あまりにスケールが大きすぎてピンと来ず、現在地をうまく把握できない。圧倒的な自然の中にいるのに、どうにもその実感が薄いのだ。
壮大な景色を目の当たりにしたら、もっと感動が込み上げてくるものと思っていた。

もしかしたらわたしにとっては「いつも街から見ているあの山に登る」というような体験が面白いのかもしれない。
非日常を体験するとき、日常とのつながりが見えると、そこに感動が生まれるような気がする。わたしの場合は。

それでも標高3026mで感じた風や感覚は、しっかりと体の記憶として残った。
雲の影が山肌をすばやく走る様子は、有無を言わせずただただ美しかった。

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9月21日

午後の休憩が終わり調理場に行くとSちゃんが、「ゆりちゃん、ちょっとこっち」と言い、唐突に歩き出した。何かやらかしたかな…?と思いながら恐る恐る呼ばれたほうについて行くと、そこには葉っぱのついた松ぼっくりが2つ置いてあった。松ぼっくりといっても、よくみる松ぼっくりよりもかなり小ぶりで、一枚一枚が薄くて繊細な感じ。
「Kさんがゆりちゃんにって。いらなかったら捨ててってさ。」

まったく予想していなかった展開にびっくりして嬉しくて「なーーー」と意味不明な声をあげてしまった。こんなに小さくてすこし力を入れたら壊れてしまいそうなものを、一体どこで拾ったのかわからないけれど、わざわざ私のためにここまで運んでくれたのだ。つい先日「木の実がほしい」と言っていたのを覚えていてくれたのだろう。
部屋に持ち帰り、眺めながらしばらくニヤニヤした。調べてみると、この小さな松ぼっくりはカラマツのものらしい。
見るたびに山の日々を思い出せるように、大事に保存しておくことにしよう。

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9月22日

朝、Kさんに会ったときに「木の実ありがとう」と伝えると、「あれね、わたしのお気に入りの木があるんだけど、その子の実なんだ」という。お気に入りの木、かぁ。延々に続く木々の中を歩くとき、わたしはそんなふうに意識して木を見たことがなかった。いいな。わたしもお気に入りの木を探してみようか。


9月25日

下山後のこと、これからのこと。考えなくちゃと思っているのに、なかなか考えられていない。
そういえば社会人になりたてのころは、5年後10年後にどうなっていたいかを考えて、その上でいますべきことを選ばなければいけないと思っていた。そういう考え方が正解だと教わってきた。就職でも、仕事でもなんでも。
でも正直、数年前に思い描いていた自分といまの自分は全く違うし、数年前になりたかった自分と、いまなりたい自分も違う。

結局のところ、「いつかこうなりたい」と思っている「いま」しか存在しないんだろうな。その「いま」の積み重ねなのだと思う。

わたしはいま、どうなりたいんだろう。口に出すのが怖いだけで、本当はもう今の延長線上に、ちゃんと見えているような気もする。


9月28日

夜、消灯後に外に出ると、空を見上げた瞬間に流れ星が流れた。山に来てから一体いくつ流れ星を見ただろう。
ふと、わたしが寝ている間にも、毎日何十何百という星が頭上を流れているであろうことを想う。街にいるときはそんな想像しなかった。
この星空の下を散歩したい。このまま歩き出して、夜のひんやりした空気で頬っぺたを冷たくしたい。山だからこんな時間に出歩くなんて無理なのだけど。しかも明日は5時起きだからすぐにでも寝ないといけないのだけれど。
でも無性に、歩きたくて歩きたくてたまらなくなった。


9月30日

今朝の気温は3度だったらしい。もう冬だ。
午後休憩で寮に戻るために外に出たとき、日差しが暖かかったので日光浴をしていると、Hさんが一眼レフカメラを持ってそそくさと隣にやってきた。山がとても綺麗に見えるため、撮影をしに来たらしい。
わたしが山を見て「かっこいい」とつぶやいたら、Hさんがファインダーを覗きながら「最近買ったんです」と言った。わたしは何も言わずに、しばらく隣で山を眺めた。