山小屋日記〈5〉10月前半

第35期(2017年10月-11月)

この日記は、長野県の山小屋で働いた3ヶ月の記録です。
趣旨は第一回「海から山へ」。


10月2日

ここに来た当初は写真なんてほとんど撮らなかった(撮りたいと思わなかった)のだけれど、最近になってたくさん撮るようになった。エプロンのポケットにこっそりデジカメを忍ばせて、何気ない、でもここにしかないものを見つけるたびに、シャッターを切る。
以前ある写真家さんが言っていたことを思い出す。「人はなぜ写真を撮るのか」という問いの答えは、記憶を少しでも長く自分の中にとどめておきたいからなのではないか、と。

ただそうやって写真を撮りはじめたら、頭の中に言葉が溢れなくなった。感情が揺れているときは日記を書くことで自分を保っていた部分があったけど、いまは安定しているからか、書きたい衝動が生まれない。
いま気がついたけれど、わたしはどうしてか、満たされているときは写真を撮りたくなり、満たされないときは文章を書きたくなる、のかもしれない。
これってすごい発見なんじゃないだろうか。

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お風呂で湯船に浸かっているとき、その場に居合わせたHちゃんに「山のどこにハマってるの?」と聞いてみた。先月乗鞍岳に登って以来、わたしは頂上からの景色にはさほど興味がないのかも(樹林帯を歩いている時のほうが楽しい)と思うようになり、それもあって、みんなが具体的に山のどこに魅力を感じているのかを知りたかったのだ。

Hちゃんは、えーなんだろう?と少し考えてから、こう言った。
「登ってる最中は、なんでこんなつらいことしなきゃいけないんだろう、もう嫌やって毎回思うのに、上まで登るとやっぱり気持ちがいいんですよね。あと山小屋が好きかなぁ。山小屋での出会いが楽しいです。おじさんたちから武勇伝を何時間も聞かされたり、知らない人と山の話をしたり、そういうのがやっぱり面白いし、だからできれば日帰りじゃなくて一泊以上で行きたいって思ってます。」
将来はスイスの山小屋で働きたいらしい。そのためにドイツ語を習得すべく留学を考えているそう。ほんとうに山小屋が好きなんだなぁ。Hちゃん、普段よりも生き生きして、言葉が内側からすらすら出てきているように見えた。
人が好きなものの話をしてくれることって、こんなに嬉しいことだったっけ。普段あまり仕事以外の話をする間柄ではなかったからなおさら、とても嬉しかったのだ。いつもはささっとお風呂を出てしまうHちゃんが、今日は長湯だった。


10月3日

紅葉シーズンの繁忙期が続いている。朝6時から21時まで仕事だった。

今日は解せないことがあって、わたしは根深い疑念を抱いている。
調理師のSちゃんが椅子に座って仕込みをしていたのだけれど、それを見たYさん(男性)が「勤務中はみんな立ってるんだから座っちゃダメだよ」と注意したのだ。聞いた瞬間に「え、それって部活中に水飲むなみたいなこと?」と思った。

最近Sちゃんは首や肩が凝ってすごくつらいと言っていて、湿布をしてさらに頭痛薬も飲んでいた。主な原因は毎日同じ姿勢で大量の仕込み作業をしているからだ。調理台の高さが微妙に低いから、なおさらきついみたい。だから体への負担を減らすために椅子に座っていたのだ。わざわざつらい体勢で仕事しなくても、自分が楽な方法でやればいいと思うし、体調管理も仕事のうちだ。
勤務中なんだから、というけれど、勤務中だからこそ、短時間でできるだけいいパフォーマンスをするべきだと思う。
というか仮にSちゃんが肩こりに悩んでいなかったとしても、座ってはいけないというルールには疑問がある。「みんな立ってるんだから」は理由にはならないし。

だから組織は面倒なのだ、とか思ってしまう。お客様へ良いサービスをするとか売上を上げるとか、そういう本来の目的のためのルールや気遣いならわかるけれど、そうじゃないところでエネルギーをつかう。
注意したYさんのことが嫌いなわけではないし、むしろ人としてとても好きなのだけど、こういう一時的な雇用ではなく長く一緒に働く相手だとしたら、体育会系の人とは合わないのかもなぁと思う。

そんなことを悶々と考えていたら、隣にいたMさんが小さな声で「解せぬ…」とつぶやいていたので、後で2人きりになったときに「あれどう思う?」と聞いてみた。元看護師のMさんいわく「それぞれの作業に適した姿勢というものがあるわけで、たとえば机で事務作業をしているときに立ってなきゃいけないなんておかしいし(実際それに関しては何も言われないし)、やっぱり納得いきません。」とのこと。うんうん、と同意。

東京で会社員をしていたころ、「女子はヒールを履かなければいけない」「ストッキングはベージュでなければいけない」みたいなクラシカルな(?)マナーに準じることを求められていた。仕事をするのに(しかも内勤なのに)なぜヒールを履かなければいけないのか、なぜ黒いタイツではいけないのか、わたしには全然わからなかった。会社のイメージのため、と言われれば納得したのかもしれないけれど、「周りに失礼だから」というようなことを言われていた。ヒールのない靴を履くことが、誰にどう失礼になるのか。腑に落ちないことを受け流すことがどうにも苦手すぎて、結局会社を辞めてしまった(理由はそれだけではないけれど)。

でもそうやって「腑に落ちない」と言っている自分は妙に生き生きしている。わたしにはたぶん「何かに対して納得いかないという気持ちを向けていたい」みたいなところがあって、さらにそういう「納得がいかないこと」に対してどんな意見を持っているかによって、相手をはかってしまうところがある。自分に正直になると、ひねくれ者になる。


10月4日

すごく寒い。今年一番の寒さかも。冬の空気だ。
山は下界よりもすごく乾燥しているようで、手荒れもひどく、喉も少し痛い。
そしてついに最近、かかとがひび割れた。自分のかかとが割れる日が来るなんてつゆとも思っていなかったから、結構ショックだった。幼い頃に父の足の裏を揉んであげようとしたら、かかとの皮がパッキパキに割れていて、人の足ってこんなふうになるのかと子供ながらに衝撃を受けた。あのときからなぜか、ひび割れは「お父さん以上」の年齢の人がなるものと思い込んでいた、のに、ついに自分が。
恐る恐るまわりにも聞いてみると、やっぱり同じような人がいた。山の乾燥、おそるべし。


10月7日

今年の繁忙期もあと2日。この連休が終わったら紅葉も徐々に終わり、一気に閑散とするらしい。
今朝は5:50集合。午前中バタバタと働き、お昼を食べて1時間半休憩して、また午後もバタバタと働き、気がつけば20時を過ぎている。

夕方、蒸したさつまいもを差し入れてもらった。甘くてホクホクで、あまりの美味しさに深いため息が。何も味付けしていない自然な甘み。一番おいしいものってこういうものだよなぁと思う。
フーフー食べながら、未来の暮らしのことを思い浮かべた。いつか生活をともにする誰かと一緒に、蒸したさつまいもを食べている図。3日前の十五夜のときは、月見団子を食べるのをイメージした。わたしは近しい人と一緒に季節を感じ、それをおだやかに確認し合いながら生活したいのだと思う。家族なのか、恋人なのか、暮らしを取り巻く仲間なのか、まだわからないけれど。

ここでは毎日大人数でご飯を囲んでいるから、下山後に1人でご飯を食べる日が来るかもしれないと思うと、結構さみしくなってくる。一人暮らしには、もうとっくに飽きている。


10月8日

近くの神社で催事があり、それが終わった直後からものすごく混んだ。オーダーラッシュが続き、出しても出しても終わりが見えない。これが今年の営業のクライマックスなのか。たくさん働き、とても疲れた。


10月9日 休日

繁忙期のピークが開けたので、久々の休日。繁忙期が終わるということはつまり、紅葉ももうすぐ終わるということだ。いまならギリギリ余韻を楽しめるかなということで、ちょうど休みがかぶったHちゃんTちゃんと一緒に紅葉で有名な山へ登ることにした。誰かと一緒に登るのははじめてだ。

朝5時半集合。まだ薄暗い道を歩く。1人で登るときは、ちょっと疲れたら立ち止まったり、しょっちゅう写真を撮ったりしているせいでなかなか進まないのだけれど、人と一緒だとぐんぐんテンポよく歩ける。たわいもない話をしながら進む。途中、紅葉が光を浴びてすごく綺麗だった。だいぶハイペースで歩いたおかげで、コースタイムより1時間近く早く山頂についた。

山頂の小屋でカレーを注文し、しばらくゆっくりした。もう紅葉は終わりかけで、いま見頃なのは山の中腹あたりのようだ。また帰りの道がたのしみ。
紅葉はついこの間はじまったと思っていたのに、あっという間に終わってしまう。たった数日でも、山の表情はずいぶんと変わる。だから午後に山を下りるときにはもう、朝登ってきたときよりもすこし季節が進んでいるんだろう。きっと葉の色もほんのすこし変わっているんだろう。

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こうして物理的に職場から遠い場所にいると、すこし心も開放的になる。帰り道、Hちゃんがこれまで口にしなかった本音をすこし、教えてくれた。
わたしの知らないところで、職場の人間関係でとても苦しんできたこと。ちょっと信じられないような理不尽な体験。そんなことが起きていたなんて、全然知らなかった。たぶんわたしだったらここまで耐えられていない、と思った。

無事に山小屋に着くと、Hちゃんは「話を聞いてくれてありがとうございました」と言い、部屋に帰っていった。

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10月10日

朝礼で見かけて以来、Hちゃんが部屋から出てこない。何か揉めごとでもあったのだろうか。社長に尋ねても煮え切らない回答しか返ってこなくて、とても心配になった。昨日の今日なので、何かあったの?とメールを送ろうか悩んでいるうちに夜になってしまった。
すると、20時ころにHちゃんからメール。
「下山することにしました」という内容だった。

引き止めるべきなのか。でも早く苦しさから解放されてほしい気持ちもあり、「Hちゃんが楽になれる選択をしてほしい」と返事をした。


10月11日

Hちゃんは今日からとりあえず予定通りの2連休。街に下りたらしい。上の人からは、1日休んで考えなさいと言われたようだ。


10月12日

Hちゃん、どんな思いで街にいるのだろうか。昨日メールを送ろうか悩んだけれど、余計なお世話かもしれない、わたしがでしゃばっても重荷になるだけかも、とかうだうだ考えてしまい結局送れなかった。このあいだ一緒に山に登ってちょっと話を聞いたぐらいで、事情も苦労もその辛さも、わたしは何もわかっていない。
でも人の気持ちなんて想像してみたってどうせわからない。だからといってこちらの気持ちを一方的に押し付ければいいわけではないけれど、部外者だって心配して声をかけるくらいしてもいいよね、と自分に言い聞かせて、夕方にメールを送った。ただ心配しているよ、ということだけ。
返事は来ていない。


10月13日

今日Yさんとすこし話をしたときに「人間関係の苦労なんてどこに行ってもあるんだから、いまここで我慢できないくらいじゃダメだ」みたいなことを言っていた。やっぱり体育会系。

でもこんな山の中では、人間関係の苦労って何よりも我慢しがたいことなんじゃないか。組織で働く以上は仕方がないとか、そういう苦労はどこにでもある(んだから我慢しろ)とか、わたしはそんな風に思えない。「どこに行ってもある」なんてそんな世の常みたいに言わないでほしい。ここ以外の場所なんて、世の中に数え切れないほどあるのだし。

それに大事なのはそんな一般論じゃなくて、いま目の前にあるつらさとか悲しみとか、そういう気持ちの方だと思う。それは誰かと比較できるものではないし、他人が「こんな程度」と決めつけたり判断したりできる類のものでもない。つらくて心が壊れそうなら、一度そこから離れて良いとわたしは思う。そのつらさと天秤にかけてみて続けるだけの価値がないなら、やめれば良いと思う。
生きていて直面することの中で、心を壊してまで我慢する価値があるものなんて、すごく限られている気がする。

Hちゃんからメールの返事。やっぱり今のままいるのは苦しいです、という内容。
明日の朝、みんなに挨拶をして下山するという。


10月14日

朝はみんな厨房に集合して朝礼をする。その中にHちゃんがいるのを見つけた時、正直わたしは足がすくんだ。
なんて話しかけたらいいんだろう。どう接したら。
近くに行くのを躊躇していると、MさんがふざけてHちゃんにじゃれ始めた。張り詰めたものをほぐそうとしたのだろう。その瞬間に、凍っていた空気が動いた。
わたしはいつも真面目に心配することしかできなくて、こんな魔法みたいに空気を温めることなんてできない。Mさんは、さりげなくそれをやってのける。この人にはかなわないと思った。
Hちゃんがいなくなりとてもさみしいけれど、辞めることで得られるものもきっとあると思う。


10月15日 

同室のHさんが最終出勤日だったので、わたしの部屋にみんなで集まって飲み会をした。同じ屋根の下で暮らしているのに、こんなふうに大人数で夜に集まったのは初めてだ。お菓子とお酒を持ち寄り、楽しい会だった。
「もっと早くこういう会をすればよかったね」と口々に言い合った。
Hちゃんもこの場にいて欲しかったなと思い、何度か口に出そうとしたけれど、なんとなく言えなかった。