山小屋日記〈6〉10月後半

第35期(2017年10月-11月)

この日記は、長野県の山小屋で働いた3ヶ月の記録です。
趣旨は第一回「海から山へ」。


10月16日

ここ最近ずっと、山を歩きたくてうずうずしている。
五感を気持ちよく使いながら、樹林帯の中を一歩一歩踏みしめて歩きたい。それを想像するといてもたってもいられない。こんな気持ちになるのははじめてだ。
そんな話をUさんにしたら、そうでしょ!となぜか嬉しそう。わたしも3回くらい山に行ったあたりからかなぁ、無性に山を歩きたいって思うようになったの、と言う。

明日は待ちに待った休日で、楽しみにしていた峠越えをする予定。いまでこそ、この近くまでバスが入って来られるようになったけれど、それ以前は歩いて峠を越える道しかなかった。そんな昔ながらの峠道を歩き、街へ下りてみることにしたのだ。このあたりの紅葉はもう終わりかけだけれど、街へ下る道はまだ見頃だろう。休憩時間にコースのことを調べていたら、『智恵子抄』の中で高村光太郎と智恵子が歩いていたことがわかり、思いがけず嬉しくなった。岩手県花巻市にある高村光太郎記念館が好きで、子供のころから何度か訪れている。光太郎と智恵子の深すぎて危うい愛の物語は、なんだか目が離せなくて惹かれる。

明日は朝まで雨が降り、しだいに晴れる予報だ。


10月17日 休日

6時前には出発する予定が、バタバタしているうちに7時前になってしまった。かなり出遅れた。外に出ると小雨が降っている。雨の中の登山は初めて。木々の中を歩くのであまり濡れはしないけれど、足元はだいぶぬかるんでいる。
紅葉がはじまってからというもの、山の中を歩いていると時折独特の甘い香りが漂うようになった。何かが熟成されたような、酔いそうな香り。今日は雨のせいか特に強く香るような気がする。何の香りなのだろうとずっと気になっていたのだけれど、先日ひょんな会話から桂(かつら)の葉だということがわかった。桂の葉ってどんなだろうと思い、落ち葉をいくつか拾い上げてみると、とても濃く香る葉を見つけた。黄色くて、ハート型にも似た丸い形をしている。しばらくその葉を右手に持ち、時折鼻に近づけて香りを確かめながら歩いた。ちょっとくせになる香りだ。ほんとうに酔いそう。
山道を2時間弱登り、山頂に到着。ここから街へは長い長い下りの道を行く。

森の中は暗い。でもときおり光が溜まる場所があり、そのコントラストがとても美しい。木の幹に落ちるユニークな葉の影はひとつとして同じものはなく、刻々と変化している。歩く足を止めると風も止み、頰がひんやりとした空気に包まれる。静けさのなかに、葉が落ちる時の「ぼ」とも「とん」とも形容しがたい小さな音を聴き、ほんのすこしの重さをイメージする。
こうやってただ目の前にある自然を眺め、心の動きに身を委ねているだけで、ほんとうは満たさせる。満たされないときは、目の前のものを見つめる余裕がないとき、たとえばそれは他の何かに頭が支配されていたり、時間ややるべきことに追われていたりするときだ。でもそういうものがあるから張り合いがあるのも事実で、どちらかを取るということはできない。ただただ自然を感じながら穏やかに暮らすということは、今のわたしにはきっと無理なんだろう。

もう使われていない古びた小屋に着いたとき、突然晴れ間が出てきた。雨の山もいいけれど、やっぱり日が差すと一気に気持ちが軽くなる。木々が光を浴びてキラキラ光るのを見ていると、顔がほころぶのがわかる。
6時間かけて山を下りた。すごくゆっくり歩いたのに、同じ方向を歩く人には会わなかった。すれ違ったのも3人だけ。樹林帯の中をひたすらに水の流れとともに下っていく緩やかな道で、常に水の音がすぐ隣にあった。こんなに気持ちのいい場所が近くにあったなんて。山小屋を出てしまえばもうなかなか来ることはかなわないのだろうけれど、また必ず来たいし、これから自分の日常の近くにこういう場所を見つけられたらと思う。
無事に街に下りたのに、もう山に帰りたくなっている。

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10月24日

植本一子さんの新刊『降伏の記録』が届いた。
午後の休憩が終わる直前に受け取ったので、後ろ髪引かれる思いで仕事に戻った。早く読みたくてうずうず。でも読んでしまったら揺さぶられるのがわかっているから、覚悟が必要だ。
仕事を終えて急いでお風呂に入り、部屋に戻って本を開く。それから朝の4時まで読みふけった。明日も早朝から仕事だということに途中で軽く絶望したけれど、読むのをやめられなかった。特に最後の書き下ろしは目が離せず息つくひまもなく、圧倒されて泣きながら一気に読んだ。
一子さんの言葉には実感のともなわないふわふわしたきれいごとなんて一つもない。どこまでも自分に正直で、だから信頼できると思う。わたしの中にある信頼の基準って、約束を守るとか仕事ができるとか常識があるとかそういうことではなくて、借り物の言葉やきれいごとで片付けずに核の部分で言葉を発しているか、その人の実感が見えるかってことなんだと、本を読んでいて気がついた。

負の感情も後悔も葛藤もぜんぶ、まるごと肯定してしまう。どうしようもない自分のままで生きていく。そんなふうに生きてもいいとわたしに教えてくれたのは、一子さんの写真と文章だったと思う。もしそれらに出会えていなかったら、いまわたしはどうなっていたのだろう。あらゆることが、もっとずっと遠回りになっていた気がする。


10月26日

小屋締めに向けて連日大掃除をしているせいか、もう心は年末気分だ。今朝の気温0.6度も年末っぽい。
日中は屋根に布団を干した。日差しが強くて暖かい。布団の上にごろごろと寝転んで山を眺める贅沢すぎる時間、くせになる。至福とはこのことだ。


10月27日

午前中、難易度の高い山に登頂したTくんから電話。山小屋からちょうど見上げることができる山なので、望遠鏡を手に外へ出る。1km以上先の山頂をよく見てみると、何やらタオルを振り回している人がいる!見つけた瞬間にみんなで大盛り上がり。水色のTシャツを着ているせいで背景の青空と同化してしまっているのが残念。もっと別な色のTシャツを着ていけばよかったのに。望遠鏡ごしに写真を撮ってみたら、豆つぶみたいなTくんが写っていて、笑った。
昼過ぎ、今日も屋根の上に残りの布団を干した。


10月28日 休日

今日から2連休。山小屋生活最後の休日だ。
山梨の石垣さんの家に遊びに行くため、朝一番に出発。電車に乗るときに自動改札機で切符を買った。700円の切符を買うのに一万円を入れた。座席に座って出発を待っていると、白髪の駅員さんが「いま自動改札機で切符を買った方いらっしゃいますか」と慌てた様子で車内に入ってきたので、「あ、はい」と手を挙げると、「いくら入れましたか?」と聞かれる。そこで、お釣りを300円しか取らなかったことに気がついた。9,000円が券売機に残っていたらしい。なんといううっかり…。駅員さん、ほんとうにありがたすぎる。

石垣さんと合流し、甲府へ。甲府でアーティストインレジデンスをしているアメリカ在住の日本人美術家・太田恵以さんのギャラリートークに連れて行ってもらった。恵以さんはわたしと同い年らしい。展示は写真と油絵と映像などで構成されたインスタレーション作品だったのだけれど、質疑応答での「創作活動において何か軸になる表現手法はあるのか」といった質問に対して、しばらく悩んだあとに「ぜんぶ好きだから選べない」と、恵以さんが困ったような楽しそうな顔で答えたのが印象的だった。
美術に限らずいろいろな場面において「どれか一つに絞ったほうがいい」「軸を決めたほうがいい」というアドバイスをくれる人はたくさんいるけれど、無理に一つを選ばなくてもいいし、やりたいことは全部やればいいと思う。そうするうちに何か道筋が見えてきたらそれでいいし、もちろん見えてこなくたっていいのだ。好奇心に素直な恵以さんはとても素敵だった。

今日は、石垣さんが人に会うたびに「またすぐにどこかで」という感じの軽い挨拶でお別れをしていて、それがとてもいいなぁと思って見ていた。興味の対象が似ている人って、次に会う約束をしていなくてもひょんなところで会えるものだ。わたしはこれから新しい場所で、そんなつながりを作れるだろうか。またゼロからはじめなくてはならない。コミュニケーション能力に不安のあるわたしは、石垣さんの人との関わり方に何度も感動してしまった。

夜、石垣家でテレビを見ていると、広辞苑が10年ぶりに改訂するというニュースが。前回「クラブ」と「キャバレー」の違いを明確に説明できずに掲載を見送ったというエピソードがあったらしく、そういうのいいなぁと言い合う。夜な夜な少人数でそういう議論をしていたい。生活には役立たない、実用性のない議論を、ああでもないこうでもないと、何時間も言い合いたい。


10月29日

山に戻るべく昼過ぎの電車に乗ると、石垣さんから「忘れ物が!」と写真が送られてきた。スマホの充電器だ。ああ。コンビニで買うしかないなぁ。
最終バスは17時ころなのだけど、それに乗ると山に着くころにはもう真っ暗で、山小屋まで歩けなくなってしまう。だから一本早いバスに乗るつもりだったのに、充電器を買うときにレジが混んでいたために乗り逃してしまい、結局最終バスに乗ることになった。懐中電灯を持って来ているし、まぁ暗くてもなんとかなるだろうと甘く考えていたのがいけなかった。
山に着くとほんとうに真っ暗で、しかも台風がせまっているため大雨だった。足元もかなりぬかるんでいる。水たまりも深い。これはやばいんじゃないかと思いながら、傘を右手に、懐中電灯を左手に歩き出す。序盤から水たまりの中をザバザバと歩かなければならず、全身びしょ濡れになることを覚悟した。とにかく無事に山小屋に着けばそれでいい。とにかく、無事に。

しかし、暗い道を5分くらい歩いたところで、懐中電灯がつかなくなった。電池を入れ替えてみてももうつかない。なんてこった。灯りがないと一歩も前に進むことはできないのに。仕方がないのでスマホのライトを使うことに。電池、もつかな…と思ったとき、さっき充電器を買ったことを思い出す。よかった。これで電池の残量にハラハラしなくてすむ。それが何よりの救いのように思えた。真っ暗な山の中でスマホの電池が切れたら、それはそれは絶望的な気持ちになるだろう。
夜の山道にはもちろん街灯なんてないので、ほんとうに純粋な暗闇だ。灯りを消すと足元も見えない。自分の足元が見えないということは、こんなにも怖くて足がすくむことなのだと実感する。そしてスマホのライトでは3メートルくらい先までを照らすのが限界で、その先の道がどうなっているのかはもうまったくわからない。数メートル先が見えないことにも、足がすくむ。
山小屋までの道は比較的平坦だけれど、もちろん舗装されたコンクリートではないので、ごつごつした石が転がっているし、多少のアップダウンもある。この雨のなかで転んで顔が泥まみれになったりしたら、そして手から離れたスマホが水没したりしたら、もう本当にあっという間に心が折れてしまうだろうと思い、そこだけは絶対に間違わないぞと気を張りながら、慎重に歩いた。
頭の中に溢れる不安を言葉に変えながら歩く。とにかく、ただ前へ前へと歩く。
遠くに山小屋の灯りが見えたときの安堵の気持ちを、わたしは忘れないだろう。無事に帰ってきた。


10月30日

今日は宿泊客がついに0人。わたしが来てからははじめてのことだ。
そして今年はじめての雪。朝から静かに降りはじめ、すこしずつ積もりながら、夜まで降り続いた。
そうだ、雪の夜はすごく静かで、外はいつもよりも明るいのだ。音が雪の中に消えるような静けさ。冬には冬にしかない美しさがあることを久しぶりに思い出して、静かに興奮した。