山小屋日記〈7〉11月初旬(下山)

第35期(2017年10月-11月)

この日記は、長野県の山小屋で働いた3ヶ月の記録です。
趣旨は第一回「海から山へ」。


11月1日

下山まであと7日。
午後、たまたま休憩のタイミングが一緒だったUさんとTくんと、近所の山小屋に遊びに行った。
囲炉裏を囲みながらのんびりおしゃべり。下山後どうするのかとか、来年登りたい山の話とか。ここで出会わなかったら絶対に交わらなさそうなメンバーだし、いまだって特別仲がいいわけじゃないけど、でも2人だから話せることもちゃんとある。当初はこうして気兼ねなく話せる相手では全くなかったのに、すこしずつ打ち解けた。
ここに来る前のわたしは、人と出会ってすぐに、仲良くなれそうとかなれなさそうとかを判断してしまいがちだった。もしそうやって判断して切り捨ててしまっていたとしたら、たぶんいまの関係はなかったんだろう。これからも会うことがあるのかないのかわからないけれど、大切な友人には変わりない。


11月2日

下山まであと6日。
Aちゃんと休憩時間に河原でキャッチボール。寮の玄関の戸棚の中にグローブがあることを最近知り、次に晴れたらやろうよと言っていたのだ。キャッチボールって不思議で、コミュニケーションがうまくいく気がする。テーブルで向かい合うよりも会話がはずむ。相手の顔が見えすぎない絶妙な距離がいいのだろうか。ボールが行き来する淡々としたリズムの中で、気づいたらいつもは話さないことを話していた。身の上話とかこれからのこととか、ほんとうにいろいろな話。


11月4日

下山まであと4日。
宿泊の受け入れは今日で最後。食堂や売店の営業は明日の昼で終わる。あらゆる終わりが目の前に迫ってきた。そのことを夕食の盛り付けをしているときに一気に実感した。毎日毎日淡々と続けてきたこの作業も今日で最後なのだ。だいぶ感慨深い。

冬支度のため、窓や扉に金属や木の板が打ち付けられていく。これから閉山して雪が降れば、来年の4月ごろまで小屋は雪に埋もれてしまう。冬の間、小屋は完全に眠るのだ。自然光が入らなくなった館内は暗く、芯から冷え切っている。最後まで人が出入りする正面入口以外は、もう人が通れなくなるらしい。
そして山小屋の外周りもじわじわと有刺鉄線が張り巡らされはじめた。夜は暗くてよく見えないから結構危ない。早速おっちょこちょいなKさんが引っかかったらしい。お約束すぎて笑ってしまった。


11月5日

下山まであと3日。
荷物を明日の朝には発送しなければいけないので、荷造りをする。本が数冊手元にあって、できれば読み終えて実家に送ってしまいたい、ということで、休憩時間はひたすら読書。タバブックスの『あたらしい無職』を読む。面白い。わたしももう数日後には無職だ。さあどうする、と自分の状況にも時折向き合いつつ読了。無職になったら無職日記でも書こうか。

ちなみにお風呂に入れるのは今日までだ。明日と明後日は我慢。最後だしゆっくり湯船に浸かろうと思いつつも、洗濯機を使えるのが明日の早朝までなので、風呂上がりに洗濯をしなければ。今夜は洗濯機争奪戦だ。
夜、上の部屋で数人がトランプの大富豪ですごく盛り上がっている。読書を理由に誘いを断ってしまったから、感じが悪かっただろうか。


11月6日

下山まであと2日。
寒い。昨日外に干した濡れ雑巾は、朝見たらカチコチに凍っていた。

今日からお湯が使えなくなる。蛇口をひねっても冷水しか出ない。これがすごく冷たい。
すると突如大きな寸胴が登場した。石油ストーブの上に乗せて、そこで常にお湯を沸かし、大きな柄杓ですくって色々なことに使うのだ。掃除用のバケツに入れたり、お茶を飲んだり。水を継ぎ足して、水量が減らないように気をつけながら使う。
冷水も限られた水道からしか出なくなり、いよいよ小屋閉め、という感じが漂いはじめた。

そして今日からお風呂に入れない。ふとした瞬間に、今日はお風呂に入れないんだ、ということを思い出してはその度にへこんだ。清潔云々の問題は別にどうでもいいのだけれど、とにかく温かいお湯に浸かりたい…。

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11月7日

下山まであと1日。
もう閉め作業もほとんど終わったので、空いた時間で細かな掃除をするのみ、という感じ。作業の進捗に余裕があるということで、午後みんなで温泉に行けることになった。すごくうれしい!
いつもは徒歩でしか行けない散策路を、はじめて車で走った(基本的に車は通行禁止なのだけど、荷揚げのときだけ通ることができる)。舗装されていないデコボコの道はすごく揺れるし跳ねるしで、そこらの遊園地のアトラクションよりよっぽどスリルがあって楽しかった。でも登山客とすれ違うたびに「仕事です」という引き締まった顔をするように努めた。
温泉に到着。浴室で髪と体を洗って立ち上がると、先に入っていたおばあさんがすれ違いざまにボソっと「湯船に髪の毛つけないでよ」と睨みをきかせてきた。まだ湯船に入ってもいないのに…。言い方がきつくてすっかり萎縮してしまい、せっかくのリラックス気分が一気にしぼんでしまう。
温泉から上がりラウンジでしばらくのんびりしてから、またデコボコの道を帰った。日中にお風呂に入ってしまうと、夜が長く感じる。
明日はついに下山だ。


11月8日

下山当日。
雨が降っている。朝早く目が覚めたので、荷物をまとめて部屋をすっからかんにした後、散歩に出かけた。川沿いに猿の大群がいて、橋の上で行列とすれ違った。猿はもう見慣れたけれど、さすがに数が多いと緊張する。
朝食に昨日握っておいたおにぎりを食べ、山小屋を後にしてバス停へ。そこで男性スタッフが小屋閉めの最終作業を終えるのを待って、昼前に車で山を出発した。

下りるのは、ほんとうにあっという間だった。
いつもは電車とバスを乗り継がなければ行き来できなかったからだろうか、山と街というものは何かで隔てられているように感じていたのに、今日はただ車に乗っているだけであっという間に街に下りてしまった。地続きだという当たり前のことになんだかとても拍子抜けした。と同時に、山小屋生活の現実感が薄れていく。今朝まで山で暮らしていたのは夢だったんだろうか。さっき川沿いで猿の大群にすれ違ったのは幻だろうか。
車を下りると街の匂いがした。もう山の匂いはしない。風は生ぬるくて春のようだ。

夜は温泉旅館で打ち上げ。一泊して、明日の朝にはみんなとお別れだ。


11月9日

朝起きて旅館の部屋から外を見ると、遠くに山々が連なっている。そこが自分のいた場所だと想像するのは簡単ではなかった。いま行っても山小屋はもぬけの殻だ。もうそこに踏み入れられないという事実が、あれは夢だったんじゃないかと思わせる要因のひとつだと思う。

朝食を食べているときに、わたしは今日から自由なのだという実感が急に湧いてきて、その瞬間に、帰りたい、と思った。家に帰りたい。でも実家に帰りたいのとは違う。そんな話をすると隣にいたUさんが「自分の部屋」に帰りたいんでしょ、と言った。そうそう、まさにそれだ。何処というのではなく、ほっとできる自分の部屋に帰りたいのだ。でもいまのわたしはそんな場所を持っていない。これからあたらしく作らなくてはならない。

駐車場でそれぞれにお別れの握手をして、みんな散り散りになった。